糸井 |
ケーブルとケーブルの間をくぐる
テレビドラマ創成期の通行人役って、
まるで、踊りの話を聞いてるみたいですね。
そういうむずかしさは想像していなかった……。
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石坂 |
主役たちも
途中で着替えにいったりするから、
喫茶店のシーンだと、
出てくるまでの間、
お客さん役をやっているぼくたちを
撮ってくれたりするんです。
それはうれしかった。
まぁ、生放送のドラマというのは、
その時に、やっちまえば終わりだったから、
そういう意味でははっきりしてましたけど。
時々、ワンシーンしか
出ていないヤツがいたりするんですけど、
そういうやつに限って出トチるんです。
自分でモニターを見ていて
「あ、これ、俺出てるところなのに。
すいません!」
と帰っちゃったりしたやつがいました。
ワンシーンしか出番がないのに出なかったから、
アルバイト料の四〇〇円は、もらえないよね。
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糸井 |
生放送だから、
放送してるやつが
そのままモニターに出るんだ。
おもしろいなぁ。
それが高校時代ですか?
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石坂 |
高等学校から
大学1年ぐらいまではそうでした。
大学に入ると
いわゆる大学の劇研というところに入るんです。
芥川比呂志さんという
慶応の先輩が作った
新劇研究会というものに入りまして……。
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糸井 |
演劇ばかりしていて、
慶應には、どうして入れたんですか?
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石坂 |
もう、下から(高校から)入りました。
高校を卒業するのだって、
あぶなかったんですけどね。
高校の卒業試験で
大学の学部やなんかが決まるんだけど、
私、出席日数が少ないんですよ、忙しくて。
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糸井 |
忙しいですよね。
電車賃が足りないくらい
忙しかったみたいですからね。
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石坂 |
学校へは行くんだけど、
疲れ果てて寝てるわけだよね、部室で。
そんなわけで、
「八割有効」とかいうふうに
掲示板に貼り出されたことがありますよ。
どういう意味かというと、
ぜんぶの試験の成績を
二割引にされちゃうという……
六十点だと四八点になっちゃって。
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糸井 |
生意気なヤツだったんですか?
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石坂 |
学校にとったら、
扱いにくいやつでしょうね。
高校の演劇部の連中というのも、
非常に生意気でしたから。
硬派ぶっていたり……
体力が要るんだなんていって、
網島までマラソンなんかしていた。
変わりものたちというか、
今の市川猿之助さんが
盛んにした部でしたからね。
部室に当時はあまりなかった
ソファやコーヒーメーカーを
持ってきて入れこんだりして。
一方の隣が野球部だし、
もう片方の隣がアメリカンフットボールで、
運動部のどまんなかに部室があったんだもん。
それは、
ヘンだったといえばヘンだったよね。
これで不良で学校に行かないやつは
学校に来もしないんだけど、
ぼくは、学校に行くんだもん。
学校に行かないと、みんなと連絡がとれない。
今日の稽古は何時かもわからないし。
当時は、携帯電話もないから。
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(つづきます)
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