糸井 |
石坂さんは、大学に入った頃には、
もう仕事をバリバリとしていたんですか?
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石坂 |
通行人はずいぶんやっていたし、
ラジオの台本も書いていたし……
高校の頃、詰め襟で
ラジオの打ちあわせにいっていましたから。
いろんなものが、
あたらしくはじまってきていた時だった。
横浜の、ラジオ関東にいた先輩の紹介で、
短波放送の脚本を書いたりしていて……。
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糸井 |
通行人と放送作家をやってたんだ。
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石坂 |
稼いだお金は、劇団に貢いで。
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糸井 |
費用がいるから?
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石坂 |
そうそう。
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糸井 |
毎日、たのしかったでしょう?
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石坂 |
たのしかったですよね。
世の中がすごい勢いで
変わっていくという実感はあった。
テレビなんかもできてきたし、
ラジオも、ジャンルから
はみでたものをやりはじめている……
モダンジャズの解説なんていうのを
評論家たちがやりはじめていた時期で。
ジャズに興味を持ったのは、
同級生に熊谷っていうやつがいて……
こいつがブルーノートや
インパルスとかいうような
レコードの輸入をやっていた
銀座の鳩居堂の息子なんです。
親父がピアノを弾くし、
そいつもジャズピアノを弾くし、
レコードの輸入もやるし、
便箋も売るという、妙な家なんだ。
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糸井 |
鳩居堂は、便箋が本業ですもんね。
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石坂 |
テープなんかなかった時代だから、
その熊谷という友達に言って
「一回だけ聞きたいから、
絶対に傷つけないから貸して」
と言って、
ブルーノートを一度だけかけて、
「あぁ……!」
とか感動して返した記憶があります。
「新しい! すごい!」と思っていました。
コルトレーンなんかを
最初に聞いた時には、
やっぱりすごいショックを受けて、
今でもよく覚えています。
「歌もの」のジャズもすごかったなぁ。
モダンジャズの番組の台本を書いて、
その放送の時に、
熊谷から一回だけレコードを借りてきたり……
今で言えば著作権違反なんだけど。
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糸井 |
モダンジャズのレコードを、
やっと借りたりしてる時に、
ジャズの番組の本を書いていたんですね。
そういう時って、
知ったかぶらなきゃいけないわけじゃないですか?
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石坂 |
それはありますよね。
だからやっぱり、
いろんな人の本や雑誌をよく読みました。
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糸井 |
(笑)高校生の頃に、毎日、
ものすごい背伸びしている姿がおかしいなぁ。
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石坂 |
うん、すごい背伸びをしていたと思う……。
ただ、それはぼくだけじゃなかった。
全員、背伸びしてるのがふつうだったから。
かかとを、降ろしちゃいけなかったんだから。
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糸井 |
(笑)ぼくも、それはわかります。
たとえばぼくらの頃には、
澁澤龍彦や唐十郎の芝居を
二十歳そこそこのやつに
わかれったって無理なのに、
みんな見ていたもんね。
「いや、よかったなぁ……」
イナカから大学に出てきたてのヤツが、
わかるはずがないのに。
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石坂 |
みんな、そうだったと思う。
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糸井 |
全員がこう、
見えないハイヒールをはいていた。
もともと、何にも知らないのに。
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石坂 |
背伸びしていないやつはいなかったから、
ぼくは、不自然ではなかったんです。
高校の頃に読んで影響を受けたのは
ウィリアム・サローヤンとかで……
背伸びしてるから、ついでに
生意気にしていないといけないなぁという。
だから、
敢えて打ちあわせにも学生服を着ていったり。
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糸井 |
「おとながやってることなんか、高が知れてる」
みたいな?
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石坂 |
うん。
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(つづきます)
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