事前に原稿を書いて、
スピーチにのぞもうかなあと思ったのですが、
段取りがあるとなにもできない人間ですので、
その時思ったことをそのまま言えばいいと思ったので、
このままいかせていただきます。
こういうご挨拶のときに絶対に必要なのは、
ただ「ありがとう」という気持ちだけだというふうに
自分で決めましたので。
こんなにうれしいとは思わなかった賞でした。
とっても、ありがとうございます。
伊丹さんのような才能があふれている方と、
自分とっていうのは、
どうしても比べにくいものなのですが、
あえて一致するところといいますか、
同じようなことを見つけるとすれば、
「名づけようがない」ということなんだろうと思います。
伊丹さんには何度かお会いしたのですが、
ぼくにとって伊丹さんというのはまぶしい方で、
ごろごろとなつくような関係には
ならなかったんですけれども、
ずーっとお仕事は見てたんです。
見てたものっていうのは、
けっきょく、ぼくのなかでは
まとまりがつかないままでした。
そんなふうに時が過ぎて、去年、
伊丹さんの仕事を全部まとめたDVDを
それをつくったテレビマンユニオンの方から
渡されて、見たんです。
それを見て、いや、まいったんですよ。
このジャンルも、このジャンルも、っていうふうに
それぞれの解体された部品としてやるんじゃなく、
全部をやる人なんだってぼくは思いました。
そして、受賞の理由にもありました
「ほぼ日刊イトイ新聞」で、
伊丹さんについてなにかやりたいと思ったんですが、
そのときは、自分たちの手に負えなくて、
もうちょっとしたらわかるときが来るかもしれないから、
そのままにしておこうと思った。
そんな時間が1年近く続いていたんですが。
そんなときに、今回、
このような賞をいただけるということになりまして。
非常に難しいことなんですが、
「名づけようのないこと」に取り組むといいますか、
「名づけようのないこと」を紹介するってことこそが
自分のあこがれだったんだと、
いま、つくづく思っています。
ぼくも、伊丹さんのように、
というとおこがましいですけれども、
「名づけようのないこと」ばかりをやってまいりました。
ですから、こんなような晴れがましい場に
来るという機会もなかったんです。
というのは、「名づけようのないこと」に対して
贈られる賞なんてありませんでしたから。
しかし、とうとう、
「伊丹十三賞」というものができたおかげで、
「名づけようのないもの」に与える賞が
出発できた、のか? と思います。
そういうようなことで、
いままで「名づけようのないこと」をしてきた先人とか、
いま「名づけようのないこと」をしている若い人に、
「こんなふうに見つけてくれる人がいたぞ」と
報告したいような喜びがあります。
ぼく、この先も
「○○をやった人」というふうに
名を残すことにはならないと思うんですけれど、
「名づけようのない」ものを
「名づけようのない」ままに楽しんで、おもしろがって、
死ぬまでやっていけたらなあ、と思います。
そして、これは、
いまここで思ったことなんですけれども、
ひとりの方がある仕事をなさって、
その方が亡くなって、何年も経ってから、
こうやって奥様にあたり、
なおかつ監督にとっては主演女優にあたる方によって
その人がいまもこんなふうに
思い出させてもらえるんだという、
その関係が、とてもうらやましいです。
うまく言えないんですけど、
そういうふうにしてくれる方がいた伊丹さんって、
やっぱりすごくうらやましいなあって、思います。
「みんなもそうなるといいぞ」って、
言ってやりたい気がします。
あいかわらず、
なにを言ってるのかという話になりますけれども、
なにが一番言いたいかって
「とてもうれしいです。」 |