糸井 |
やっぱり伊丹さんは、大きい意味で
「オレが食わせてあげる」という、
生活力のある人に見えます。
|
宮本 |
昭和8年生まれですから、
すごい時代だったと思います。
|
糸井 |
そうですよね。
|
宮本 |
戦争が終わって、
物の価値が変わって、
父親が早く亡くなって。
|
|
糸井 |
飢えてダメになる可能性がいつでもあった。
だから、絶えず手に職をつけていこうとする。
そういう伊丹さんの像が、
ぼくには見えてきました。
|
宮本 |
だってね、いつも出かけるときに
子どもたちにかけてた言葉は、
「とうちゃん、味噌醤油代稼いできます」
ですからね。
|
糸井 |
そこだ!
|
|
宮本 |
子どもたちは
「いってらっしゃーい。
味噌醤油代、おねがいしまーす」
と言ってましたよ。
|
糸井 |
おもしろいなぁ(笑)。
|
宮本 |
旅に出ると、
駅でシュウマイ買ってきたり、
買ってきた陶器をパーッと並べて
子どもたちに見せたり。
本は必ず買ってきました。
本さえ読んでれば大丈夫、って。
|
糸井 |
うん、うん。
|
宮本 |
伊丹さんが帰ってくると、子どもたち、
「おかえりなさーい」と
パタパタ廊下に出てきましてね。
|
糸井 |
なつきますね、
サンタクロースみたいなお父さん。
|
宮本 |
はい(笑)、サンタクロース。
|
|
糸井 |
サンタクロースが
愛情だけ持ってきたら
かなわないですもんね。
それは、ほんとのサンタじゃないです。
|
宮本 |
そうですね。
|
糸井 |
ぼくはそこのところに、なんとなく
伊丹さんと自分の
共通した部分を見てしまうんです。
ぼくはとてもありがたいことに、
第一回伊丹十三賞をいただきましたが、
一回目の受賞者ということで、まずは当然
「すいません」という気持ちがあります。
|
宮本 |
そんなことないです(笑)。
|
糸井 |
「オレがもらっていいんだ」と思いたいから、
つい自分の都合で、
伊丹さんを見ようとしてしまいます。
ぼくは特別に
貧しい時代に生きたわけじゃありません。
戦後間もない頃に生まれて、
口ばっかりの生き方もできたし、
洒落のめして生きることもできたろうし。
|
宮本 |
ええ。
|
糸井 |
人からは洒落で生きてたように
見えるかもしれないけど、
ぼくは、あんがい
荷物を持ったサンタになりたい
タイプなんですよ。
|
|
宮本 |
ああ、そうなんですね。
|
糸井 |
「どこかでぼくの真心さえ伝われば」
というよりは、
ちゃんと「ヨイショ」と言いたいんです。
その目で伊丹さんを見てみると、
ここでレタリングをやったから
すぐにデザイナーの仕事があったんだなぁ、
とか、すごくよくわかります。
ずっとこの人は、家長をやれる生き方を
してきたんだなぁ、と。
|
宮本 |
そうですね、なるほど。
|
糸井 |
世話になりながら、
いいものをつくってきた人は
いっぱいいると思います。
そういう人も、その都度、ぼくは大好きです。
でも、まねっこできないです。
伊丹さんは「味噌、醤油」につながることを
絶えずやってきたから‥‥
|
宮本 |
あの人の基本が
「味噌、醤油」なんですよ。
それはもう、そうです。
|
糸井 |
高い下着について語るその口で
「味噌、醤油」と言う。
その往復がおもしろいですね。
生きることと洒落ること、
好きなものに行くこと、
どうしようもないんだよということ、
矛盾するいろんな要素が
伊丹さんの中で行ったり来たりしています。
すごく洒落た先輩としてだけ見ちゃうと
そこで終わっちゃうんですが、
ぼくらは伊丹さんの水かき部分を見る人に
なりたいと思って、
この「ほぼ日の伊丹十三特集」を
やってきました。
そして、こうやって
最後に宮本さんをお迎えすることができました。
宮本さんは、家にいらっしゃる伊丹さんを
ごらんになっていたわけですからね、
いまの「味噌、醤油」ひと言で、
もう、済んじゃうくらい、よくわかります。
|
宮本 |
伊丹十三の味噌、醤油(笑)。
|
|
糸井 |
そう、それが
水かきの部分だったんです。
(続きます!) |