糸井 |
でも、大学出たばかりの23歳の浦谷さんと
同じような目線で話せる伊丹さんっていうのも‥‥
つまり、その「フラットな感覚」って
ちょっと、先を行ってたと思うんですよね。 |
浦谷 |
うん、対等に会話できることじたい、
そもそも新鮮だったですからね、当時は。 |
糸井 |
あの時代に、なかなかねぇ。 |
浦谷 |
今はさ、あるのかもしれないけど。
友だち感覚で話せるようなことも。
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糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
でね、その後もしばらく『遠くへ行きたい』の
チーフADをしてたんです。
で、そのうち、ぼく自身が企画した
「デビュー作」をつくることになった。 |
糸井 |
ほう。デビュー作。 |
浦谷 |
『遠くへ行きたい』のタイトルバックなんだけど、
金沢の内灘海岸で撮ったのね。
風吹ジュンをイメージガールにして。 |
糸井 |
おお、いい名前が出るねぇ(笑)。 |
浦谷 |
風吹さんに海岸を走ってもらったんです。
あそこ、米軍の試射場か何かがあったから、
ちょっと左翼っぽいムードを出そうと。 |
糸井 |
うん、うん。左翼っぽい? |
浦谷 |
そう、その感じをどう演出したかっていうと、
同じ海岸をね、
地元の漁師さんにも、歩いてもらったんです。
青木繁の『海の幸』って絵があるじゃない?
あのイメージでさ。 |
糸井 |
ああ、はい、ええ、ええ。 |
浦谷 |
それから、小学校から借りてきた鉄棒を
砂浜に立てた。
で、そこでなぜか少年が懸垂してるんだ。 |
糸井 |
‥‥ほう。 |
浦谷 |
シュールな感じを出そうと思ったんです。
そんな感じで、
47秒間のタイトルバックをつくったの。 |
糸井 |
浦谷さんにも、そういう素養があったんですね。 |
浦谷 |
でもね、あまりにシュールなもんだからさ、
まわりがビックリというか、怒っちゃって。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
だって、最後にさ、歯の欠けた少年が、
グワーッて懸垂してるんだから(笑)。
「こんなタイトルバック見せたあとで
どうやって
番組をはじめたらいいんだ!」って。 |
糸井 |
あははは、なるほど。 |
浦谷 |
そんななか、ただひとり、伊丹さんだけが、
「ぼくは、自由な感じがしていいと思う」って
言ってくれたんですよ。
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糸井 |
ほー‥‥。 |
浦谷 |
すると、静かになるわけです。まわりが。 |
糸井 |
それは、うれしかったでしょう? |
浦谷 |
うん、だから、伊丹さんとは
そういう関係でやらせてもらえたからさ、
恩返ししなきゃなと思ってた。 |
糸井 |
そういう浦谷さんの思いって、
このDVDのなかに、ちゃんと入ってると思う。
だって「テレビ人・伊丹十三」の部分を
圧倒的におもしろくしてるんだから。 |
浦谷 |
そう‥‥ですかね。 |
糸井 |
もうひとつ、ぼくがおもしろいなと思ったのが、
生い立ちをていねいに描いてるところ。 |
浦谷 |
ええ、それは、はい。
小学校のときに天才学級で英才教育を受けていて
戦時中から英語を習ってたこととか、
その後の伊丹さんを語るうえでは、重要ですから。 |
糸井 |
それをさ、とてもうまく見せてるというか、
うちで伊丹さん特集をやるときにも
こうしたくなったにちがいないと
思わせるやりかただったから、
オレ、手に負えないっなて思ったんですよ。
しかも、浦谷さんの個人的な思いがすごく‥‥。
|
浦谷 |
うん。 |
糸井 |
込められてる。こりゃ、かなわんなって。 |
浦谷 |
だいたいオレ、
このDVDに自分で出てるからね(笑)。 |
糸井 |
ふつう出ないよね、自分からは(笑)。 |
浦谷 |
うん、でも「テレビ人・伊丹十三」を
しゃべれる人って、
他には、あんまりいないと思ったんだ。 |
糸井 |
オレ以外には。 |
浦谷 |
とくに、伊丹流ドキュメンタリーの
なんたるか‥‥については。 |
糸井 |
ほう。 |
浦谷 |
「作品は、原作という太い串で貫かれてなきゃダメ」
ということと、
「見方の入り口をつけなきゃダメ」ってことと、
「その場その場で
時々刻々、変わっていく要素を入れ込む」こと。
このみっつの要素が
「ドキュメンタリー」には必要なんだってことを、
伊丹さんの現場で、叩き込まれたんです。 |
糸井 |
なるほど、その後の浦谷さんは
その教えを軸にして
映像の仕事をやってきたわけですね。 |
浦谷 |
うん、もろに影響されてますよね。
‥‥というか、
その後、ぼくは、伊丹映画の「メイキングもの」を
つくることにもなるわけですし。 |
糸井 |
ああ、そうか。 |
浦谷 |
オレ、深作欣二監督が大好きでさ、
菅原(文太)さんの『県警対組織暴力』って映画の
ドキュメンタリーをつくったんですよ。
カメラマンとオレふたりだけで、16ミリを持って。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
日本テレビの日曜スペシャルだったから
昼間に放送したんだけど、
たまたまね、
伊丹さんがヒマで見てたらしいの。
で、このドキュメンタリーおもしろいな、
なんか、やたら笑えるじゃないかと。 |
糸井 |
へぇ。 |
浦谷 |
つくったのテレビマンユニオンの連中じゃないかと
うすうす感じながら見てたらしいんだけど、
最後にロールが出たら
やっぱりそうだったって、驚いたらしいんですよ。
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糸井 |
ええ。 |
浦谷 |
で、伊丹さんが『タンポポ』をつくるときに、
赤坂の河道屋って蕎麦屋、
あの人、しょっちゅうそこで蕎麦食いながら、
酒を飲みながら、打ち合わせしてたんだけど、
まあ、呼ばれたわけ。オレが、そこに。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
で、こんど『タンポポ』っていう映画をやるから、
そのメイキングを‥‥
当時、メイキングっていう言葉があったかどうか、
ちょっとわかんないんだけどさ。 |
糸井 |
製作過程を撮ってくれと。浦谷さんに。 |
浦谷 |
そう。あの深作欣二監督の『県警対組織暴力』で
菅原文太を撮ったように
撮ってくれよって頼まれた。ドキュメンタリーで。 |
糸井 |
そういうことだったんだ。 |
浦谷 |
「ウン、あれはおもしろかった」と。
「ああいうふうに撮ってほしい」と。 |
糸井 |
‥‥うれしかったでしょう? |
浦谷 |
もちろん、うれしかったですよね。
でも、ぼくはさ、そのときに、
「ありがとうございます。
わかりました」って言ったんだけどさ‥‥。 |
糸井 |
言ったんだけど? |
浦谷 |
「われわれ、本編よりもおもしろいものを
撮ってしまいがちなんですけど、いいですか?」って
聞いたんです‥‥伊丹さんに。 |
糸井 |
‥‥すごいねぇ! |
浦谷 |
だってさ、当時ぼくたちは
映画という‥‥つまりフィクションよりもさ、
ドキュメンタリーのほうが
だんぜんおもしろいんだって信念を持って、
テレビマンユニオンをやってたわけだから。 |
糸井 |
ええ、ええ、はぁー‥‥。そしたら? |
浦谷 |
伊丹十三は「もちろん、いいよ」って言うわけ。
それはもう、ハッキリと言ったんだ。 |
糸井 |
それを言う伊丹さんも、すごいね。
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浦谷 |
「というか、おもしろくなきゃ、こまるわけよ!」
「本編とメイキングは、
おもしろさの質がちがうんだからさ」だって。
つくづく、こういう人っていないよなあと思ったね。 |
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<つづきます> |