浦谷 |
「『タンポポ』の映画本編より、
おもしろいメイキングを撮ってしまいますけど、
いいですか」って訊いたら、
「いいよ。
それとこれとは、別のおもしろさだから」って。
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糸井 |
それは、知的な会話だなぁ。 |
浦谷 |
のちにね、深作欣二監督にも
同じようなこと言ったことがあるんだけど、
ぜんぜん、反応ちがったよね。 |
糸井 |
深作さんは、なんて? |
浦谷 |
まぁ、決して「いいよ」とは言わないよね。 |
糸井 |
というか、ふつうはムッとしますよ。 |
浦谷 |
深作さんも、ドキュメンタリー好きでしょう? |
糸井 |
手法として取り入れてますよね。作品に。 |
浦谷 |
そうそう。あの『仁義なき戦い』シリーズの
ヤクザの抗争シーンとかも
手持ちカメラで追っかけるような感じでね。
スタティック(静的)なドラマがイヤなんだ。 |
糸井 |
「ニュース」の匂いをさせてますよね。 |
浦谷 |
でも、あれだけの作品を残したすごい監督でも、
こと「ドキュメンタリー」については、
伊丹さんのレベルには行ってない‥‥と思う。 |
糸井 |
そう思いますか。 |
浦谷 |
思う。 |
糸井 |
はー‥‥。とにかく、伊丹さんには
なんで、そんなに才能があったんだろうかと思うと、
なんか「悲しさ」さえ感じるんですよ。 |
浦谷 |
悲しさ。 |
糸井 |
いや、あの、すごいなって思うのはもちろんだけど、
伊丹さんの才能に
あらためて触れてみたら、なんか悲しいというか‥‥。
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浦谷 |
ああ‥‥。 |
糸井 |
いや、あの、生意気なんですけどね、
そんな悲しいだなんて、人のこと言うのは。 |
浦谷 |
いや、なんとなくわかるよ。 |
糸井 |
つまり、どう表現したらいいのか‥‥
「先生はどうして
何でもわかってらっしゃるんですか」
と訊かれた孔子が、
「それは、わたしの生まれが悪いからだ」って
言ったっていうじゃない。 |
浦谷 |
そうなんだ。 |
糸井 |
なんか、すごいことをやってきた人には
そういう悲しみを、感じるというか‥‥。
浦谷さんが、このDVDのなかで
伊丹さんの生い立ちをていねいに描いているのも、
伊丹さんのそういう部分に
惹かれてるんじゃないかなって、思ったんです。 |
浦谷 |
個人的にも、いちばん知りたかったんですよね。
少年時代のことについては。 |
糸井 |
つまり、この才人の生い立ちの部分。 |
浦谷 |
うん、で、いざ本気で調べようとしたらね、
伊丹さんの履歴書には、
ある時期に、
穴というか空白があることに、気づくんです。 |
糸井 |
へぇー‥‥、空白。 |
浦谷 |
結局、そこのところは
このDVDでも埋められなかったんだけど‥‥
ひとつには、
天才児だけを集めた天才学級で学んだ京都から、
松山へ転校して、高校時代を過ごすでしょ。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
で、その高校で大江健三郎と出会う直前、
ダブってるんですよ‥‥伊丹さん。 |
糸井 |
ああ、そうでしたっけ? |
浦谷 |
うん、そこで1年、ダブってる。 |
糸井 |
ほう‥‥。 |
浦谷 |
かたちとして「休学」なんだけど、
つまりは、不良やってたんだろうと思うんだ。 |
糸井 |
なるほど、平たくいえば。 |
浦谷 |
でね、当時の天才学級のことを知っている
林直久さんっていう同級生、
この人も最後の最後に探し当てたんだけど‥‥。 |
糸井 |
DVDにも、出てきた人だ。 |
浦谷 |
そう、林さんは、その京都の天才学級のなかでも
いちばん頭がよかった人らしい。 |
糸井 |
天才学級のなかの、成績トップ。 |
浦谷 |
で、その林さんといちばん仲よかったのが
伊丹さんらしいんですよ。 |
糸井 |
へぇ‥‥。 |
浦谷 |
ちなみに、そのいちばんだった林さんは、
何をやってた人かっていうと、
ずーっと組合の活動やってたわけ。最後まで。 |
糸井 |
なんだか、ナゾの多い‥‥。
|
浦谷 |
で、その仲のよかった林さんと伊丹さんは
いっしょに、
いろんなところを「放浪してた」んだって。 |
糸井 |
放浪ですか。 |
浦谷 |
それも「伊丹さんのお母さんのすすめ」で、
当時の「名のある人のところへ、いろいろと」‥‥
とかって、林さん本人が言ってる。 |
糸井 |
いろいろ、よくわかりませんねぇ。 |
浦谷 |
いろんなところへ「放浪」に行ってたのって、
何のために? 何かの修行してたのか?
これはもう、最後までわからなかったんだ。 |
糸井 |
そうなんですか。 |
浦谷 |
ともかく、松山の直前に1年ダブってる。
だから、松山の高校に転校したときは、
同級生より、1歳年上だったわけです。 |
糸井 |
そうなりますよね。 |
浦谷 |
転校先の松山東高校の学生はみんな、
戦々恐々としてたらしいよ。
なにしろ、映画監督・伊丹万作の息子で、
なぜだか、ほんとは1歳年上で‥‥って。 |
糸井 |
しかも、京都の都会の、「天才学級」出身なわけで。 |
浦谷 |
うん、松山東高校の教師でさえ、
「とんでもないやつが来るらしいぞ」って
ウワサしてたみたいだから。 |
糸井 |
あの…天野祐吉さんって、
高校生のとき、松山で伊丹さんと
同学年だったらしいんですけど、
(注:退学、休学などの関係上、
伊丹さんと天野さんに直接の面識はない)
「本当にきざだった」って言ってた。 |
浦谷 |
ああ、きざね‥‥。
当時の集合写真をみても、それはわかると思う。
ひとりだけ長髪で、シャツ姿だったりして。
松山東高校時代。一人だけ制服・制帽姿でないのが伊丹さん。 |
糸井 |
でも、それにしては、孤独じゃないというか、
まわりと仲良くやってるじゃないですか、伊丹さんって。 |
浦谷 |
人が集まってきたみたいだよね。 |
糸井 |
そのへん、「手だれ」といったらあれだけど‥‥。 |
浦谷 |
ひとつにはさ、お父さんが遺した蓄音機と
大量の西洋音楽のレコードを、
京都から、持ってきてたらしいんですよね。
で、級友たちが、
その西洋音楽を聴きにきてたみたいなんだ。 |
糸井 |
そんなもの、誰も持ってなかった時代に。 |
浦谷 |
そうそう。伊丹さんの下宿に遊びにいけばさ、
クラシックを聴くことができるって。 |
糸井 |
めずらしい店を開いたみたいなもんですよね。
でも、それを「道具の使いかたがうまい」って
言っちゃったら、おしまいなんだけど‥‥。 |
浦谷 |
うん。 |
糸井 |
何というか、「必死だったのかな?」って思いが
いつも付きまとうんです。伊丹さんについては。
さっきの「悲しみ」の感じとも、似てるんだけど。 |
浦谷 |
うーん‥‥。 |
糸井 |
誰だったかな‥‥誰かとの対談のなかで、
「人の見てないところで、うんと努力してきた」
というようなことを、
ポロッポロッと、漏らすんですよ。 |
浦谷 |
ええ、ええ。 |
糸井 |
その、「きざでかっこつける人」にしては
ずいぶん、漏らしてたんです。 |
浦谷 |
うん、うん。 |
糸井 |
でもやっぱり、いちばん辛かった部分は、
たぶん、語っていないですよね。 |
浦谷 |
ああ、そのあたりの「人との距離感」は、
伊丹さんならでは‥‥かもなぁ。
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糸井 |
以前、作家の村松友視さんに会ったとき、
訊いてみたことがあるんですよ。
「伊丹さんのこと、何で書かないんですか」って。 |
浦谷 |
ほう。 |
糸井 |
村松さんは、
中央公論の伊丹さんの担当編集者として
かなりの時間、
いっしょに創作の現場にいたわけでしょう? |
浦谷 |
そうですね。 |
糸井 |
そうしたらね、こう言うんですよ。
「伊丹さんという人は、なんかさ、
逃げ水みたいに‥‥
スルリスルリと逃げてっちゃうんだよな」って。 |
浦谷 |
ああ、わかるなぁ。 |
糸井 |
捕まえようとすると、すっ‥‥と逃げちゃうって。 |
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<つづきます> |