糸井 |
逆に、浦谷さんと伊丹さんのあいだで、
考えかたも合わないし、
意見も分かれるなあってところは、ありました? |
浦谷 |
うーん‥‥。 |
糸井 |
ぼく、ちょっと思うんですけど、
伊丹さんって、頭のなかを、
徹底的に西洋化しようとしてたんじゃないかって。
|
浦谷 |
あ、それはあるね。 |
糸井 |
西洋から見ると、日本人のやってることって
こんなにおもしろく、
こんなにフシギに見えるんです‥‥というような、
日本人にはない視線を
自分のなかに、確立していったような気がする。 |
浦谷 |
そうかもしれない。伊丹映画って、
最後、論理的にしゃべりすぎると思うんだ。 |
糸井 |
なるほど。 |
浦谷 |
あれってつまり、西洋人だよね、観てるのが。
つまり、
日本人じゃないやつが観てる感じ‥‥がする。 |
糸井 |
そのあたりで、考えかたが分かれてるかもね。
浦谷さんと、伊丹さんは。 |
浦谷 |
そうかもしれない。 |
糸井 |
で、ぼくと浦谷さんが共通してるのも、
そのへんかもしれないなぁ。 |
浦谷 |
伊丹さんが映画を撮りはじめるころにね、
小津映画を大量に貸したのね、ぼく。
おそらく、(宮本)信子さんに聞けば
わかると思うんだけど、
もう、毎日のように
小津映画を観てた時期があるはずなんです。 |
糸井 |
ほう。 |
浦谷 |
‥‥その「正反対」をやってたのかもね。 |
糸井 |
ああ、小津をひっくり返しちゃってるのか。 |
浦谷 |
いや、ホントのところは、わかんないけどさ。
でも、すくなくとも、
伊丹映画ってのは、徹底的にロジカルだし、
西洋的な構造をしていると思うよ。 |
糸井 |
小津安二郎の映画って、
ある側面では「コツのかたまり」じゃないですか。 |
浦谷 |
うん、うん。 |
糸井 |
つまり、映画の方法論として取り出せる部分を
天才学級の人として、
完全に勉強したんでしょうね、伊丹さんは。 |
浦谷 |
そうかもしれない。
伊丹さん、ハリウッド映画も、真剣に研究してたし。
|
糸井 |
あ、そうですか。 |
浦谷 |
2作めの『タンポポ』って、
アメリカで、すごく評価が高かったんですよ。 |
糸井 |
わかりやすかったんでしょうね。 |
浦谷 |
そう、あれ、西部劇がベースだから。
で、第3作めの『マルサの女』も、
日本では大ヒットしたでしょ。 |
糸井 |
うん、うん。 |
浦谷 |
だから、その当たりかたからすれば、
『マルサの女』は
もう絶対、アメリカでも当たると
思ってたはずなんです、伊丹さんは。 |
糸井 |
ええ。 |
浦谷 |
でも、いざ行ってみたら、
ぜんぜん当たらなかったんですね。
それどころか、
「アメリカ人にとっては
こんな映画は、信じられない」とまで
言われちゃって。 |
糸井 |
‥‥というと? |
浦谷 |
「最後の場面で
主人公がいなくなってるじゃないか!」と。 |
糸井 |
ああ‥‥なるほど。 |
浦谷 |
つまりね、ハリウッド映画っていうものは
主人公がいろんな苦難を乗り越えて
成長していき、
最終目標を達成するっていうドラマでしょ。
|
糸井 |
ええ、ええ。 |
浦谷 |
「あらゆる困難を突破していく
主人公と同じように
観客の側も、自分が成長していくという
疑似体験をするのが映画なんだ」と。
ところが、『マルサの女』の場合は、
最後、ヤクザ事務所へ踏み込むとき‥‥
いないんだぜ? 主人公の信子さんが。 |
糸井 |
うんうんうん。いない(笑)。 |
浦谷 |
悪と対決する場面で、主人公がいない。
だから、アメリカ人から
「こんなのは映画とは言えない!」なんて
言われちゃったわけです。 |
糸井 |
そここそが、あの映画のキモなんですけどね。 |
浦谷 |
そうそう。だから、日本の映画は、
むしろ、そっちの構造でできてるわけですよ。 |
糸井 |
ぼくらには、納得できますもんね。 |
浦谷 |
『忠臣蔵』だってさ、そういう構造だし。 |
糸井 |
ああ、無念の主人公、という。 |
浦谷 |
で、だけどさ、伊丹さんは、
その『マルサの女』の苦い経験から、
ハリウッドの方法論を学ぼうって思ったわけだ。 |
糸井 |
なるほど‥‥。 |
浦谷 |
ハリウッドのシナリオっていうのは、
基本的に「三幕もの」でできている‥‥とかって、
本気で勉強をはじめちゃうわけです。
※三幕もの‥‥物語全体を三つの段階にわけて
構成する方法。
もともとはギリシャ劇の構成法を指す。 |
糸井 |
なるほどね‥‥。 |
浦谷 |
で、伊丹流「三幕もの」の代表が『あげまん』ですよ。
ハリウッドを学び尽くした結果、
生まれたのが、あの作品だったんですよ。 |
糸井 |
ますます「西洋人」になっちゃったわけですね。 |
浦谷 |
その一方で、伊丹さんが
ずーっと悔しがってたのが、宮崎アニメ。 |
糸井 |
え、そうなの? |
浦谷 |
うん。あれはもう、悔しくて、悔しくてね。
「浦谷、オレ、宮崎アニメは
もう洋画だと思うことにした」って
言ってたこともあるくらいで。 |
糸井 |
ははー‥‥でも、他方で、
伊丹さんのDNAを受け継いでる映画ってのもまた、
ありますよね、きっと。 |
浦谷 |
ああ、あるでしょうね、いろいろ。 |
糸井 |
で、そのなかのひとつが
『おくりびと』じゃないかと思うんですよ、ぼく。 |
浦谷 |
うん、うん、そのとおりだよね。
あれ、小山薫堂さんが
初シナリオで
アカデミー賞を穫るところまで行ったけど、
あるときに聞いたら、
小山さん、筆に困ったときには、
「伊丹さんだったら、どう書くか」を考えて
完成させてったんだって。 |
糸井 |
え、そうなんだ! |
浦谷 |
映画のなかに、重要な役割として
いろんな「料理」を引っ張ってくるところなんて、
すごく、それらしい感じがするし。 |
糸井 |
そうですね、そうですね。
山崎努さんの演技じたいにも
やっぱり伊丹映画の気配が出てるし、見事だったし、
モックン(本木雅弘さん)が
山崎さんに憧れているのも、よくわかったし。 |
浦谷 |
うん、うん。 |
糸井 |
みんなそれぞれが、伊丹さんの孫みたいだった。
だから、今回の『おくりびと』の件でも、
「伊丹さん、
とうとうアカデミー賞を穫りましたね」って
言いかたも、できるんじゃないかな。
|
浦谷 |
うん。伊丹さんといっしょに
映画をつくってたスタッフとか演出陣なら、
すぐピンと来ると思いますよ。
「伊丹さん、
アカデミー賞を穫りましたね」って
ことばの意味が。 |
糸井 |
そうですか。 |
浦谷 |
だって『お葬式』がオスカー穫ってても
おかしくなかったと思うし。 |
糸井 |
同じように
周防さんの『Shall we ダンス?』に対する
海外からの評価だとか、
あのあたりにも、ぜんぶ影響してるでしょう。 |
浦谷 |
伊丹さんがね。 |
糸井 |
三谷(幸喜)さんなんかの作品にも。 |
浦谷 |
うん、うん。 |
糸井 |
‥‥今、伊丹さんに、会ってみたいなぁ。 |
浦谷 |
うん。 |
糸井 |
会って、こういう話がしてみたいです。 |
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<つづきます> |