ほぼ日の伊丹十三特集
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「イラストレーターの矢吹申彦さんの料理の腕は、  伊丹十三さん直伝」と聞きました。 ほんとうなんですか、と尋ねたら、 「ははは、直伝ではないけどさ」というお返事。 「──でも、芋たこは、伊丹さんの味かな」 よかったらその「芋たこ」食べさせてください、 と、ずうずうしくもお願いをして、 矢吹さんのお宅におじゃましてきました。 芋たこを肴にしながらの、 伊丹さんの、料理にまつわる思い出ばなし、 全3回でおとどけします。 (聞き手は食いしん坊担当の、武井です。)
矢吹申彦さんプロフィール

第1回 「たん熊」のお弁当。
2009-07-27
第二回 カウンターで見て覚える
2009-07-28
第3回 芋たこをどうぞ。第3回 芋たこをどうぞ。
2009-07-29

第1回 「たん熊」のお弁当。
ほぼ日 矢吹さんの著書
『池波正太郎のそうざい料理帖』の著者紹介に
「本書で見せた年季の入った料理の手さばきは、
 伊丹十三氏直伝である。」
とあったんです。
矢吹 ははは。
ほぼ日 矢吹さんに取材を申し込む電話口で
そのことをお訊ねしたら、
「そんなことはないんだよ」って。
矢吹 うん、直伝ではないけどさ、
ぼくがほんとに料理をやろうと思ったのは、
伊丹さんと仕事で組みだしたことが
きっかけなんです。
おつきあいがはじまったごく初期に、
赤坂にあった「たん熊」のお弁当が届いたの。
ほぼ日 「たん熊」。
京料理の老舗ですね。
矢吹 で、それは、もちろん、
話の内容に即して
イラストを描くために必要だから、
届けてくださったわけなんだけれど、
それが、ものすごいおいしくてね。
ぼくも、あの「たん熊」に
お弁当なんかがあると思わなかったから、
また食べたいと思って、お店に電話してみたの。
つまり、ぼくには、お座敷なんて、
全然、用がないわけで、
でも、お弁当だったら食べたい。
でもそんなちゃんとしたお店で、いきなり
「お弁当ください」
って言うわけにいかないでしょ。
ほぼ日 高級料亭ですものね。
矢吹 だから「友人が新幹線で帰るんですけども」
って方便をつかってね。
だって「自分ちで食べる」なんて言うと、
「たん熊で食べなさい」
って言われちゃうでしょ(笑)。
で、電話して取りに行って、
そのときに、カウンターがあるのを見つけたわけ。
そして「このカウンターに座りたいな」と思った。
それが、思えば、伊丹さんの導きだったんだね。
ほぼ日 伊丹さんは懐石料理がお好きだったんですか?
矢吹 いや、ところが伊丹さん、
懐石、あんまり好きじゃないんだよね。
なぜかっていうと、
ちょこっとずつしか出てこないじゃない。
伊丹さんは、これがおいしいと思ったら
それをいっぱい食べたい人なんだ。
でも、あとで知ったんだけど、伊丹さんも、
「たん熊のカウンターは行く」んだよ。
それで、ぼくも、たん熊のカウンターで
勉強したんだよ。
ほぼ日 自分でこの世界のことを
もっと知りたいと思って?
矢吹 そう。
ほぼ日 それで、伊丹さんの、
直接となりに座ったんですか。
矢吹 いや、伊丹さんと一緒に行ったことはない。
ほぼ日 じゃあ、自分でお金を払って。
矢吹さん、当時、20代ですよね。
矢吹 若かったですよ。20代です。
ほぼ日 伊丹さんは1933年生まれ、
矢吹さんは1944年生まれ、
ひとまわりくらい違いますが、
感覚的にはすごく上の人なんですか?
矢吹 数えてみるとそれほどでもないんだけれど、
当時、わりと上だと思ってた。
うん。最初に仕事で指名されたときは、
伊丹さんのこと好きだったからさ、
「へえ、伊丹さんと会えるんだ!」って(笑)。
ほぼ日 最初に伊丹さんに
食事を誘われたのは
覚えていらっしゃいますか。
矢吹 うん、ぼくが、初めて伊丹さんに誘われたのは、
代沢の小笹寿しだったんです。
小笹寿しっていうのは、もとは、銀座で、
赤坂、原宿って、店が増えて行ったの。
そして最後に出したのが代沢。
そこは、伊丹さんと、
山口瞳さんの行きつけでした。
そしてぼくが、伊丹さんとコンビで
随筆の仕事をしだしたころに、
お店にいる伊丹さんから、
電話がかかってきたんです。
ほぼ日 小笹寿しから。
矢吹 「矢吹さんち、近いでしょ」って。
当時、ぼく、近くに住んでいたんですね。
でもまだちゃんとしたお寿司屋に入るなんて、
なかった頃のことです。
ほぼ日 ちゃんとお寿司屋さんを知らない青年が、
伊丹さんや山口瞳さんの行きつけお寿司屋さんに。
矢吹 そこも、「たん熊」じゃないけど、
導かれたの。ほんとに。
ほぼ日 いま、自分も含めて、
そんなふうに、
大人になる道を示してくれる先輩って、
すごく少ない気がします。
矢吹 いま、こっちが教えないと
いけない歳になってるけどさ(笑)。
それで、小笹寿しを知ってから──、
知っちゃったら大変でしたけど(笑)、
お寿司は、小笹一本になったわけ。
そしたら、今度は伊丹さんが
ぼくが小笹しか知らない、
小笹しか行けないだろうっていうんで、
また、連れ出してくれたの。
ほぼ日 なんて世話好き。
学ばせてあげたかったんですね。
矢吹 そんなふうには、口では言わないけどね。
赤坂と六本木の中間ぐらいに
「ミラクル」って
変なお寿司屋さんがあったんだ。
ほぼ日 ミラクル‥‥?
矢吹 名前もすごいでしょ。
でも、漢字だよ。
あててあるんだよ。
「味楽留」。
ほぼ日 「味楽留」‥‥。
矢吹 すごい名前なんだけどさ、
ほぼ日 それで、お店のカウンターで
伊丹さんと並んで食べるわけですね。
矢吹 そう。それで、ぼくは、
伊丹さんとおやじとのやり取りを聞いてるの。
ほぼ日 こういうところでは、こうするんだよ、
みたいな感じなんでしょうか。
矢吹 「味楽留」のころは、
伊丹さんの息子さんが
ちっちゃかったときで、
本持って来てさ、
お寿司屋のカウンターで、
ずーっと本を読んでいたよ。
  (つづきます)

2009-07-27-MON

 
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22. 伊丹十三さんと飯島奈美さん。
 
「ほぼ日」では、
「LIFE」でおなじみの飯島奈美さん。
コマーシャルや映画で、それぞれの設定に合わせての、
料理とセッティングを担当する
「フードスタイリスト」が肩書きです。
 
飯島奈美さんの映画デビュー作は
荻上直子監督作品である『かもめ食堂』ですが、
それ以前に、じつは、
伊丹十三さんの映画にかかわっています。
伊丹さんの映画のフードスタイリストである
石森いづみさんのアシスタントとして、
『大病人』から、『静かな生活』『スーパーの女』
『マルタイの女』までの作品に参加しているんです。
 
ちなみに、石森いづみさんが、
伊丹さんの映画でスタイリングを手がけたのは
『タンポポ』から。
石森さんのコーディネート作品を見た伊丹さんが、
声をかけられたのだそうです。
じつはそれまでの映画づくりの世界では
「フードスタイリング」という概念はうすく、
料理や器は、小道具や装飾と呼ばれる分野の人が
まかなっていました。
しかし役者が口にする料理をつくったり、
使う器を選ぶのは、やはり専門的な目が必要。
ましてや『タンポポ』という、
料理がテーマとなる映画では必須だったのでしょう、
伊丹さんは、CMの世界で活躍していた石森さんを
映画の世界へと、みちびいたのでした。
 
ちなみにアシスタント時代の飯島さんは
伊丹さんの映画に「出演」もしているそうです。
「店員役で、ほんのちょっとだけエキストラ出演です」
ということなんですが、
飯島さん、照れてちゃんと教えてくれないので
見て探すしかないんですが、
まだ探し出せておりません。
発見したかた、ご一報くださいませ。
(「ほぼ日」シェフ)
 


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