はじめてのJAZZ2ヒストリーもたのしみなりー!ほとんどまるごと再現ツアー

#09 1920〜1940年 スイング!スイング!スイング! そして、国民音楽へ

山下 えーっと、まあこんなようなものが、
最初のころにあったのではないかと。
糸井 でも、今の演奏でも、
やっぱり、ところどころに山下さんの風味が
出てきますね。
山下 ええ、まあ、何やっても私は‥‥。
タモリ フリーである。
山下 すいません。
糸井 いえいえ、ありがとうございます。
ここから、
次のスイング時代へと続いていくと。
山下 ええ、まず「One O'Clock Jump」という有名な曲、
それから、グレン・ミラーの「Moonlight Serenade」、
最後に、同じくグレン・ミラーで「In The Mood」。

どれもきっと、みなさん、よくご存知の曲ですよ。
糸井 山下さん、そんなに急がなくても大丈夫です!(笑)
山下 ああ、そうですか?(笑)
 
タモリ 1930年代ぐらいの話ですよね。
山下 ちょうど、大不況から脱したぐらいで、
みんなちょっと裕福になって、
ビッグバンドを雇ったりすることができた時代。
糸井 景気がよくなって、みんな飲んだり食べたり。
タモリ 踊ったり。
山下 とにかく未来は明るいぞと。
タモリ ビッグバンド隆盛、
ダンスホール全盛の時代ですね。
山下 ヤンキースタジアムをいっぱいにして、
一日中、ダンスコンテストをやってたとか。
糸井 娯楽的な音楽が要請された時代だったんですね。
タモリ その後、第二次大戦に向かうにつれて
だんだん、ビッグバンドというものは
衰退していってしまうわけですけどね。
糸井 今日はビッグバンドの編成じゃないですけど‥‥
どうするんですか?
山下 それは、編曲の松本治さんのウデによって
「そういう音」がするはずです。
糸井 この人数で?
山下 します。
タモリ スイングの時代になると、
「オレァ、アフリカから連れてこられてヨオ、
 ほんと苦労したんだよなァ、
 もう毎日毎日、農作業ばっかりでサァ‥‥」みたいな、
そういう辛そうな感じは、薄まってきてますね。
糸井 ぱぁーっと明るい音楽になる。
山下 ベニー・グッドマンという白人のスターが登場して、
ジャズという音楽が
真にアメリカ国民全体のものになっていくんです。
糸井 国民音楽に。
山下 黒人がやっていた「素晴らしい音楽」から、
白人スターが登場することによって
アメリカ全土に流行していく。
そして、このことによって一致団結できたから
アメリカは第二次世界大戦に参戦したんだってのが、
菊地成孔というやつの説でね。
糸井 ああ‥‥「せーいのーっ!」ってなれたんですね。
タモリ そうなんです。
糸井 その話を聞くと、逆にさっきの、
なにかとブルースという原点に戻りたがる人の気持ちも
なんだか、わかりますね。
山下 そう、いわゆる「あの、苦しかった時代」ですから。
タモリ だから、このあたりの、
グレン・ミラーなんかのビッグバンドを認めたがらない
ジャズファンもいるんですよ。
山下 ああ‥‥いる、いる!
タモリ ブルースの伝統を受け継いでない、とか
音楽に「苦しみ」が感じられない、とかいってね。
糸井 今日の仕事はつらかったー、は
どこへいっちゃったんだと。
タモリ ま、私もキライですけどね。
糸井 え。
タモリ キライです、ええ。キライ。
 
<つづきます>

今日のジャズ語

スイング・ジャズ
世界大恐慌の嵐を振り払うかのように、
はずむようなリズム、明るいサウンド‥‥と、
甘く軽快な音楽として発展したのが
スイング・ジャズ。
ディキシーランド・ジャズよりも大編成で、
楽器も多様だった。
1930年代に一大ブームを巻き起こしたが、
その後、アメリカが大戦に突入していくにつれ、
大所帯のビッグバンドは徐々に経営難に。
こうして、
一時代を築いたスイング時代も、幕を閉じていく。
ベニー・グッドマン
シカゴ生まれのクラリネット奏者。
カーネギー・ホールで
初のジャズ・コンサートをおこない、
「スイングの王様」と称された。
2008-03-13-THU