ことしいちばんの寒さが告げられた1月某日。 寒風吹きすさぶ武蔵野の住宅地、午前11時。 電話で教えられた住所をたよりに僕は、 とある公団アパートを訪ねていました。
少し鋭い眼をした尾関剛さん(76)は、 まどろっこしい挨拶は抜きとばかりに、 僕(41)を、奥の6畳間へと連れていきます。 そこに、ずらりと並んでいるのは‥‥。
第6回 トールペイントはカワイイ
“吉祥寺のおしぼり屋さん”のことは、 もう何年も前から知っていました。 街にイイ感じのお店ができると 必ずやってくる、有名なおしぼり屋さん。 フラリと現われては、 内装や商品の配置について、べらんめえ口調で 的確なアドバイスを残して帰る、粋なおじさん。 そんなおじさんの姿を、 ここ数年、街で見かけなくなっていました。 噂によると、おしぼり屋さんを引退したとか。 いまは自宅でカワイイ物をつくっているとか‥‥。 僕はおじさんの連絡先を人づてに調べ、 無礼を承知で電話をかけたのです。 伝説のおしぼり屋さんはいま、 どんなカワイイ物をつくっているのか、 それがどうしても知りたくて。
道具を借りて、僕は描きはじめました。 尾関さんは、絵を教えてはくれません。 教えてくれるのは、道具の使い方だけ。 絵に関しては、 自由がいちばんとお考えなのです。 「型にはまるな」と何度も言われました。
僕が描いている間、尾関さんは いろんなお話をしてくださいました。 生まれはボルネオであること。 小学校からずっと吉祥寺にいること。 昔の吉祥寺にはいい店がたくさんあったこと。 吉祥寺が好きだから、 新しい店には必ず顔を出していたこと。 ボクシング観戦が大好きで、若いボクサーを おしぼり屋さんで何人も雇っていたこと。 奥様とふたりで暮らしていること。 鎌倉に嫁いだ娘さんが、ひとりいること。 数年前にからだをこわしてしまったこと。 でもいまは元気で、 毎日がたのしくてしょうがないこと‥‥。
いつの間にか「おじさん」と呼んでいます。 やがて、作品は完成。 右が僕ので、左がおじさんの。 やっぱり違います。ドアの前に草ないし。
あべかわ餅4個と韓国を食べて、 お腹はいっぱい。 僕は「次の仕事があるので」と、 おいとまを告げたのでした。
とても寒い日だったけれど、 かわいさで、こころが、あたたかくなりました。 おじさん、絶対また、遊びに行きますね。
お値段のこととか、 あんまり聞いてこなかったのですが、 僕が描いた家のやつの裏に磁石がついて、 卸し値250円だそうです。
最後に、ひとつ。 76歳はおじいさんではなく、 ぜんぜん余裕で、おじさんでした。
2004-01-14-WED