山下 |
すごい数ですね。(上の写真はごく一部)
ええと、こういうの何ていうんでしたっけ。 |
尾関 |
トールペイント。 |
山下 |
あ、はいはい。 |
尾関 |
簡単に言や、日用品に絵を描くこったな。 |
山下 |
よく主婦の人たちが趣味にしてますよね。 |
尾関 |
‥‥俺の場合はさ、仕事だから。 |
山下 |
あ、そうなんですか。
それは、おしぼり屋さんを辞めてから? |
“吉祥寺のおしぼり屋さん”のことは、
もう何年も前から知っていました。
街にイイ感じのお店ができると
必ずやってくる、有名なおしぼり屋さん。
フラリと現われては、
内装や商品の配置について、べらんめえ口調で
的確なアドバイスを残して帰る、粋なおじさん。
そんなおじさんの姿を、
ここ数年、街で見かけなくなっていました。
噂によると、おしぼり屋さんを引退したとか。
いまは自宅でカワイイ物をつくっているとか‥‥。
僕はおじさんの連絡先を人づてに調べ、
無礼を承知で電話をかけたのです。
伝説のおしぼり屋さんはいま、
どんなカワイイ物をつくっているのか、
それがどうしても知りたくて。 |
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尾関 |
そ、おしぼり屋をたたんでからだな。 |
山下 |
トールペイント‥‥これはまた
こまかくて、たいへんそうなお仕事ですねえ。 |
尾関 |
好きでやってるからね、平気よ。 |
山下 |
お店に卸したりしてるんですか。 |
尾関 |
うん。あとは知り合いに頼まれたり。
クリスマスは忙しかったなあ。 |
山下 |
そういえばクリスマスものが多いですね。 |

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山下 |
あ、僕はこれがいいかも、カワイイ。 |
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山下 |
下の子犬! カワイイなあ。 |
尾関 |
男のくせに「カワイイ、カワイイ」って、
おかしなことを言うねえ。 |
山下 |
だってカワイイじゃないですか、
尾関さんが描いたってことも含めて。 |
尾関 |
とても俺が描いたとは思えねえってか。 |
山下 |
はい(笑)。 |
尾関 |
みんなそう言うんだよなあ‥‥。 |
山下 |
‥‥この6畳間、尾関さんの工房なんですね。 |
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尾関 |
ああ、俺が占領してるわな。 |
山下 |
ん? これ、描きかけですか。 |
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尾関 |
おう、あんたが来るまでやってたんだよ。 |
山下 |
そうですか‥‥‥‥あの、尾関さん、
お願いがあるんですけど。 |
尾関 |
あ? なんだい。 |
山下 |
僕に、1個、描かせてもらえませんか。 |
尾関 |
‥‥‥‥は? |
山下 |
描いてみたいんです。 |
尾関 |
‥‥‥‥ぐはははははは!�
いきなりやって来て、描かせろってか! |
山下 |
あ! す、すみません、あの‥‥。 |
尾関 |
いいよ! 描いていきなよ。
あー、おもしれえなあ‥‥。 |
山下 |
あ、ありがとうございます。 |
尾関 |
こいつが一番簡単だから、これにしな。 |
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山下 |
これですね、はい。 |
尾関 |
じゃあ、ここへ座っちゃえ。 |
山下 |
はい。‥‥いいですか、やって。 |
尾関 |
おう、自由にやってごらんよ。 |
道具を借りて、僕は描きはじめました。
尾関さんは、絵を教えてはくれません。
教えてくれるのは、道具の使い方だけ。
絵に関しては、
自由がいちばんとお考えなのです。
「型にはまるな」と何度も言われました。 |
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山下 |
ドアを丸くしてみたんですけど‥‥。 |
尾関 |
いいんじゃねえの。 |
山下 |
よし、じゃ次は緑色を使います。
絵の具を出してと‥‥。 |
尾関 |
おい、出しすぎ、ちょびっとでいいんだよ。 |
山下 |
ご、ごめんなさい。 |
尾関 |
それからな、使った筆はこうやって
転がしておかないで必ず水につける。
毛が固まっちまうだろ。 |
山下 |
はい、すみません。 |
僕が描いている間、尾関さんは
いろんなお話をしてくださいました。
生まれはボルネオであること。
小学校からずっと吉祥寺にいること。
昔の吉祥寺にはいい店がたくさんあったこと。
吉祥寺が好きだから、
新しい店には必ず顔を出していたこと。
ボクシング観戦が大好きで、若いボクサーを
おしぼり屋さんで何人も雇っていたこと。
奥様とふたりで暮らしていること。
鎌倉に嫁いだ娘さんが、ひとりいること。
数年前にからだをこわしてしまったこと。
でもいまは元気で、
毎日がたのしくてしょうがないこと‥‥。 |
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山下 |
ああ、しまったー。 |
尾関 |
なに、どうしたの。 |
山下 |
家の前の草ですよ、
これを、ドアの前にも描いてしまいました。 |
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尾関 |
そんなのべつにいいじゃん。 |
山下 |
でも、これじゃ、ドアが開きません。 |
尾関 |
それはよ、ずっと手前にはえてる草なんだよ。
わかる? だからそのドアは開くの。 |
山下 |
あー、なるほど、遠近法。
おじさん、頭やわらかいですねえ。 |
いつの間にか「おじさん」と呼んでいます。
やがて、作品は完成。
右が僕ので、左がおじさんの。
やっぱり違います。ドアの前に草ないし。 |
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山下 |
これは、たーのしいですねー。 |
尾関 |
あはははは、
しあわせな男だなあ、おめーも。
それ、ふたつとも持ってきなよ。 |
山下 |
はい。ええと、道具を片づけないと。
絵の具は、どこにしまいましょう? |
尾関 |
いいよ俺がやるから。 |
山下 |
いや、でも自分で片づけないと‥‥。 |
尾関 |
いいって言ってんだろうが!!
色によって、しまう場所が決まってんだよ! |
山下 |
は、はい‥‥。 |
尾関 |
‥‥あんたさ、甘いもん食える。 |
山下 |
え? 大丈夫ですけど。 |
尾関 |
じゃ、あべかわ食いなよ、ほら。 |
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山下 |
僕が描いてる間に? |
尾関 |
とっくにお昼過ぎちゃったよ‥‥。
ほら、ちまちま写真なんか撮ってねえで、
食いなよ、冷めちまうだろ。 |
山下 |
あ、はい、いただきます。 |
尾関 |
韓国も食え、うめえぞ、韓国。 |
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山下 |
は、はい。(キムチのことなんだ) |
あべかわ餅4個と韓国を食べて、
お腹はいっぱい。
僕は「次の仕事があるので」と、
おいとまを告げたのでした。 |
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尾関 |
なんだよ忙しぶりやがって‥‥また来なよ。 |
山下 |
はい。
あ、そうだ、トールペイントの
お金を払わないと。おいくらですか? |
尾関 |
しょっぱいこと言うんじゃねえよ。 |
山下 |
でも、お仕事のものだから‥‥。 |
尾関 |
うるせえな、いいんだよ! |
山下 |
そ、そうですか‥‥ではお言葉に甘えて。 |
尾関 |
あと、これもやるよ。ウサギさん。
俺が描いたの。 |
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山下 |
ええ! こ、これは‥‥‥えええー! |
尾関 |
トールペイントの絵の具でよ、
キャンバスに描いてみたんだよ。
額も俺の手作り。 |
山下 |
そんなたいへんなものを‥‥。 |
尾関 |
いいから、やるって。
あと、なんかねえかなあ‥‥。
あ、バナナ持っていきなよ、バナナ。 |
山下 |
もう、ほんと、たくさんですから。 |
尾関 |
ん? 待てよ‥‥ひいふうみい‥11本か。
あんたんとこ、3人家族だよな。 |
山下 |
はい。 |
尾関 |
じゃあ(2本ちぎる)9本持ってけ。
ひとり3本ずつだ。
ケンカしねえで食えよ、仲よくな。 |
山下 |
お、おじさん‥‥‥‥‥‥‥‥。
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