カワイイもの好きな人々。
(ただし、おじさんの部)

吉祥寺、中道通り商店街、午後4時30分。
岩見伸一さん(57)の顔が、
ぱあっと明るくなりました。
僕に紹介してくださる“カワイイもの”が、
自転車に乗ってこちらへ来るのがみえたのです。

「こんにちは」
やってきた北村葉子さんは、
笑顔でそう言いながら自転車をとめると、
荷台にのせた淡いグリーンの大きな箱を
パタンパタンと手際よく開けるのでした。


第16回
焼き菓子はカワイイ。

山下 わあ、これはまた、きちんと並んで‥‥。
岩見 ね、かわいいでしょう?
山下 はい(深くうなずく)。‥‥‥‥あ、あ。
山下 下にも! 2段になってるんですね。
岩見 そう。もう、どれにするか迷うでしょ?

岩見伸一さん(既婚)は
「晩酌や」という居酒屋のご主人さん。
渋い飲み屋のおやじさんでありながら、
この移動ケーキ屋さんの
愛らしい焼き菓子を食べ続けているとか。
ケーキ屋さんの名前は「トレ・プチ」。
フランス語で、
「とってもちっちゃな」という意味です。

さて、気がつけば、
「とってもちっちゃな」お店のまわりは、
女性のお客さんでいっぱいになっていました。

山下 すごい人気ですね。
岩見 みんな葉子さんが来るのを待ってるんです。
山下 お客さんは女性がほとんどのようですが‥‥。
岩見 そうですね、お菓子ですから。
山下 岩見さんは、この中にこうしていつも
男性ひとりで並んでるかんじですか。
岩見 はい、そうです。
山下 すこし、照れくさくは‥‥。
岩見 ああ、最初は照れくさかったですよ。
男が立ってると目立ちますし。
でも、おいしいものを食べたいので‥‥。
山下 なるほど、背に腹はかえられないと‥‥。
ほんとにおいしそうですもんねえ。
(箱をのぞき込む)ええと、これは‥‥。
山下 ベリー系のタルトかあ。きれいだなあ。
で、こっちのは‥‥。
あれ? 手前のケーキ、トマトがのってる。
葉子 それはキッシュなんです。
山下 ‥‥‥‥‥‥‥‥はい(赤面)。
‥‥こ、こんにちは。
葉子 こんにちは。
どれにしましょう?
山下 は、はい。
え、ええと‥‥。い、岩見さーん!
岩見 はいはい、どうしました?
山下 い、一緒に選びましょう。
岩見 僕はもう買いましたよ。
山下 ええ! いつの間に?
じゃ、じゃあ、僕もはやく決めないと‥‥。
葉子 ゆっくりでいいですよ(笑)。
山下 は、はい。ええと‥‥。

オレンジとマンゴーのタルト。
ピスタチオの入ったチョコケーキ。
僕は、そのふたつを買いました。
「あたたかくなってきたので、チョコは
 サラッとした味わいにしてあります」
などと、ていねいに説明しながら葉子さんは
こんなふうにラッピングしてくれたのでした。


ふたつでぴったり500円。
僕と岩見さんは、それぞれお菓子を抱え、
「晩酌や」へと、ウキウキ入っていきます。

山下 なんだか、こういう渋い居酒屋さんで
焼き菓子をいただくのって、不思議です。
岩見 (笑)そうですよね。
あ、せっかくだからお皿にのせましょうか。
山下 そうですね、せっかくですものね、
お手数ですが、お願いします。
岩見 ‥‥‥こんなかんじで(のせる)。
山下 ‥‥‥‥あ、ありがとうございます。
岩見 ‥‥やっぱり、いつも枝豆のせている皿では、
いまひとつですかねえ‥‥。
山下 や、そんな、大丈夫です、おいしそうです。
さっそく、いただきます。
岩見 ‥‥‥‥どうです?
山下 ‥‥‥‥ああ‥‥おーいしーなあ。
岩見 はははは。‥‥あ、そうそう、
そろそろコーヒーがとどきますからね。
うちは酒しかないので近くの喫茶店に
出前をたのんでおいたんです。
山下 何から何まで、ありがとうござ‥‥
‥‥ああ、ほんと、おいしいです。
岩見さんは何を買ったんです?
岩見 僕は、フィナンシェを。
山下 またそれも、おいしそう‥‥。
岩見 あ、食べますか。
山下 いやいや、それは岩見さんの分ですから。
岩見 いえいえ、どうぞ食べてくださいよ。
山下 ‥‥じゃあ、半分こしましょうか。
岩見 あ、いいですね。
よいしょ(半分にする)、さあ。
山下 これはこれは(お皿で受け取る)スミマセン。
‥‥では、いただきます。
岩見 どうぞどうぞ。
あ、コーヒーが来ました。

数時間後には酔った常連さんでいっぱいに
なるであろう店内で僕は、
合計2個半の焼き菓子を食べたのでした。

カウンターの中で仕込みをはじめる岩見さん。
もうすこしだけお話をうかがってみましょう。

山下 もともとケーキはお好きなんですか?
岩見 ええ、酒飲みですが甘いものも好きなんです。
でもケーキは、よそで買わなくなりました。
山下 ああ、そんなに「トレ・プチ」ファンに‥‥。
岩見 はい。‥‥あの、とうとつですが‥‥、
僕は、散歩が好きなんです。
山下 え? ああ、はい、散歩。
岩見 こういう本をポケットに入れて歩くんです。
山下 樹木の図鑑ですね。
岩見 はい、ゆっくり歩きながら、
いろんな木を見てまわります。
山下 いいですね、季節を感じながら。
岩見 ‥‥それと、風も好きなんです。
山下 風、ですか。
岩見 ええ、昔ヨットをやってたこともあって。
山下 樹木と風‥‥。はい、すてきだと思います。
岩見 ありがとうございます。
‥‥で、なんていうんでしょう、
「トレ・プチ」が、そういうかんじなんです。
山下 ん? 樹木と風なかんじですか。
岩見 季節を感じる焼き菓子を、
自転車ではこんできてくれる‥‥。
山下 ああ‥‥。
岩見 やってきた自転車の箱の中に、こう、
ヨーロッパのおばあちゃんがつくったような
着飾ったところのないケーキが並んでて‥‥。
そういう様子がすべて、かわいいんです。
山下 様子がかわいい。
岩見 はい。でも、かわいいだけではなくて、
きちんと、おいしい。
山下 ‥‥‥‥お話をうかがっていたら、
なんだかもうひとつ食べたくなりました。
岩見 まだいるんじゃないかな、行ってみます?
山下 行きましょう!
僕はあのベリーのタルトをどうしても‥‥。

と僕たちふたりは、
半地下にある「晩酌や」の戸口を出ると、
タタッと階段を駆け上がり
往来の「トレ・プチ」へと向かうのでした。

山下 ‥‥‥‥‥‥あ。
葉子 さっきはどうも。(パタンパタン)
岩見 場所、変えるんですか?
葉子 ええ、向こうの通りに行ってみます。
山下 あ、あの‥‥。
葉子 ‥‥はい?
山下 さっきは気づかなかったのですが、
この箱、はっぱの絵が描いてあるんですね。
葉子 あ、これですか‥‥。
岩見 ‥‥山下さん。葉子さんは、
葉っぱの子と書いて、葉子さんなんです。
山下 え? ああ、そうかあ。
葉子 (笑)では、また‥‥。

だいぶ西に傾いた陽光の中、
路地の向こうへ消えていく自転車を
僕たち男ふたりは、
しばし目を細めて見つめていました。

4月の晴れた水曜日、
のどかな夕方のお話です。



おだやかに、かわいかった。

「晩酌や」さんは、こんな入口のお店。
今度は僕も夜に行ってみます(下戸ですが)。

「晩酌や」
武蔵野市吉祥寺本町2-24-7
吉祥寺グリーンハイツ103
TEL0422-21-6713

北村葉子さんの「トレ・プチ」は、
週に4〜5回、不定期で吉祥寺の
中道通りや大正通りにやってきます。
時間帯は夕方4〜6時頃。
出会えますように‥‥。



この連載のきっかけにもなった僕の本
「ファイヤーキング マグ図鑑」
 河出書房新社 1890円(税込)


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山下哲さんへの激励や感想などは、
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2004-04-28-WED

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