糸井 |
僕は小学校までは勉強する子どもで、
後はバカなことして生きてきました。
本を読まないで暮らすんじゃないかという、
すれすれのところに自分がいました。
ところが、本を読む友達と
知り合ったのがきっかけで
本を読むようになって、
最初に夢中になったのが実は、
北杜夫さんなんです。
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川上 |
私もそうでした。
それはおいくつぐらいのとき?
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糸井 |
中学1年生です。
『どくとるマンボウ昆虫記』でした。
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川上 |
私は『どくとるマンボウ航海記』が最初。
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糸井 |
僕は、2冊目が『航海記』でした。
いま読んでみると、ものすごく
文章が難しいんです。
こんな文人画のようなものを、
中学生が寝床の中で
眠れなくなるほどまじめに読んでいたということに、
いま、感心してしまいます。
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川上 |
感心しますが、でも、読めちゃうんです。
意味がわからなくても読めちゃうんです。
文章には、つまり、本には、
そのよさがあります。
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糸井 |
そして、はじめてちゃんと
読書感想文を書いたのが
北杜夫さんの『楡家の人びと』でした。
その当時、僕は本を買うときには
父親から「ツケにしていい」と言われていたんです。
『眠狂四郎無頼控』とか、
そんな本ばかりを読んでいたんですが、
その中に、父親へのアリバイのように
ドストエフスキーを混ぜ込んで買ったんです。
読んでみたら、おもしろかった。
高校2年生でした。
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川上 |
最初に何を?
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糸井 |
『白痴』だったんです。
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川上 |
主人公がかわいいから、
『罪と罰』より『白痴』のほうが
読みやすいかもしれないですね。
私は高校生で『罪と罰』を読んで、
さっぱりわかりませんでした。
何でおばあさん殺してこんないばっているの
この人は、と思って。
『罪と罰』からはじめたのが
いけなかったんですかね。
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糸井 |
『白痴』は、どうして高校生が
おもしろかったんだろうと、
いまさら思いますが。
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川上 |
やっぱりそれは、主人公のかわいさだと思います。
ドストエフスキーをまだ読んでいらっしゃらない方は
『白痴』がいいと思いますよ(笑)。
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糸井 |
そうかもしれないね。
かわいいし、ふられたり、ふられなかったりの、
恋愛がいっぱい出てくるから。
ナスターシャ・フィリポブナでしたっけ、
そんな名前の女の人が
振り回すんですよ、男どもを。
女が男を振り回すというお話は、
少なくとも日本のテレビの恋愛ドラマでは
あんまりないですね。
単なるわがままな女みたいな
サイズになっちゃうんですけど、これは‥‥、
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川上 |
「魔性」というやつですね。
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糸井 |
はい、「魔性」ですね。
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川上 |
ほんものの魔性をうまく描ければ、
それはものすごくおもしろい
ドラマになると思います。
魔性って、波のように流行が来ませんか?
私の母の世代が魔性世代で、
私の思うに、そこには
『風と共に去りぬ』が影響している。
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糸井 |
たしかに、『風と共に去りぬ』は、魔性だ!
僕は、少なくとも男の子は、
早い時期に魔性の存在を
知っておくべきだと思います。
男よりも、人間として強い女がいるんだ
ということを、少なくとも知っていないと、
まずは女の人に悪い。
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川上 |
でも、いまの、ほんとに若い世代は、
最初から知っていますよ、きっと。
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糸井 |
それはどうだろう?
僕が知る限りでは、男どもは、
どうも都合よく、自分のサイズで
女性を解釈しているような気がして
ならないんですよ。
「平等」まではいくんですけどね。
「平等」って、
ものを考えなくてもいい概念ですから。
平均点の考え方と同じ。
あなたと私は対等とか平等、というのは、
頭を使ってない人の考えなんです。
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川上 |
言われてみれば、そうですね。
そこで判断を停止しちゃえるから。
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糸井 |
そうじゃなくて、
女性は「嵐」ですよ!
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川上 |
「理不尽」ですね。
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糸井 |
その理不尽に
勝ったり負けたりする相撲をとることが
自分を強くしていくし、
相手を尊重することなんです。
平等の思想と同じなのがモラルです。
例えば女性に年を訊くのは失礼でしょう、
という話があります。
でも、年相応のすばらしさとか、美しさとか、
それを知りたいと思って訊くという、
ほんとうの気持ちがあって、
それでも失礼ですという約束ごとが存在するなら、
それは女性にとっても失礼だし、
人間全体をなめたことだと思う。
女性の嵐を
もっと知ったほうがいいんだ。
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川上 |
嵐か。
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糸井 |
川上さんの描く女性たちも、
大雨は降らさないけど、
風は強いとか、あるでしょう。
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川上 |
しぶとい雨は降らせますよ。
やまない、というような。
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糸井 |
何日も停滞しているので大水でした、とかね。
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