第7回 女という嵐を 知っておくべきなんだ。

糸井 僕は小学校までは勉強する子どもで、
後はバカなことして生きてきました。
本を読まないで暮らすんじゃないかという、
すれすれのところに自分がいました。
ところが、本を読む友達と
知り合ったのがきっかけで
本を読むようになって、
最初に夢中になったのが実は、
北杜夫さんなんです。
川上 私もそうでした。
それはおいくつぐらいのとき?
糸井 中学1年生です。
『どくとるマンボウ昆虫記』でした。
川上 私は『どくとるマンボウ航海記』が最初。
糸井 僕は、2冊目が『航海記』でした。
いま読んでみると、ものすごく
文章が難しいんです。
こんな文人画のようなものを、
中学生が寝床の中で
眠れなくなるほどまじめに読んでいたということに、
いま、感心してしまいます。
川上 感心しますが、でも、読めちゃうんです。
意味がわからなくても読めちゃうんです。
文章には、つまり、本には、
そのよさがあります。
糸井 そして、はじめてちゃんと
読書感想文を書いたのが
北杜夫さんの『楡家の人びと』でした。

その当時、僕は本を買うときには
父親から「ツケにしていい」と言われていたんです。
『眠狂四郎無頼控』とか、
そんな本ばかりを読んでいたんですが、
その中に、父親へのアリバイのように
ドストエフスキーを混ぜ込んで買ったんです。
読んでみたら、おもしろかった。
高校2年生でした。
川上 最初に何を?
糸井 『白痴』だったんです。
川上 主人公がかわいいから、
『罪と罰』より『白痴』のほうが
読みやすいかもしれないですね。
私は高校生で『罪と罰』を読んで、
さっぱりわかりませんでした。
何でおばあさん殺してこんないばっているの
この人は、と思って。
『罪と罰』からはじめたのが
いけなかったんですかね。
糸井 『白痴』は、どうして高校生が
おもしろかったんだろうと、
いまさら思いますが。
川上 やっぱりそれは、主人公のかわいさだと思います。
ドストエフスキーをまだ読んでいらっしゃらない方は
『白痴』がいいと思いますよ(笑)。
糸井 そうかもしれないね。
かわいいし、ふられたり、ふられなかったりの、
恋愛がいっぱい出てくるから。
ナスターシャ・フィリポブナでしたっけ、
そんな名前の女の人が
振り回すんですよ、男どもを。
女が男を振り回すというお話は、
少なくとも日本のテレビの恋愛ドラマでは
あんまりないですね。
単なるわがままな女みたいな
サイズになっちゃうんですけど、これは‥‥、
川上 「魔性」というやつですね。
糸井 はい、「魔性」ですね。
川上 ほんものの魔性をうまく描ければ、
それはものすごくおもしろい
ドラマになると思います。
魔性って、波のように流行が来ませんか?
私の母の世代が魔性世代で、
私の思うに、そこには
『風と共に去りぬ』が影響している。
糸井 たしかに、『風と共に去りぬ』は、魔性だ!
僕は、少なくとも男の子は、
早い時期に魔性の存在を
知っておくべきだと思います。
男よりも、人間として強い女がいるんだ
ということを、少なくとも知っていないと、
まずは女の人に悪い。
川上 でも、いまの、ほんとに若い世代は、
最初から知っていますよ、きっと。
糸井 それはどうだろう?
僕が知る限りでは、男どもは、
どうも都合よく、自分のサイズで
女性を解釈しているような気がして
ならないんですよ。
「平等」まではいくんですけどね。
「平等」って、
ものを考えなくてもいい概念ですから。
平均点の考え方と同じ。
あなたと私は対等とか平等、というのは、
頭を使ってない人の考えなんです。
川上 言われてみれば、そうですね。
そこで判断を停止しちゃえるから。
糸井 そうじゃなくて、
女性は「嵐」ですよ!
川上 「理不尽」ですね。
糸井 その理不尽に
勝ったり負けたりする相撲をとることが
自分を強くしていくし、
相手を尊重することなんです。

平等の思想と同じなのがモラルです。
例えば女性に年を訊くのは失礼でしょう、
という話があります。
でも、年相応のすばらしさとか、美しさとか、
それを知りたいと思って訊くという、
ほんとうの気持ちがあって、
それでも失礼ですという約束ごとが存在するなら、
それは女性にとっても失礼だし、
人間全体をなめたことだと思う。
女性の嵐を
もっと知ったほうがいいんだ。
川上 嵐か。
糸井 川上さんの描く女性たちも、
大雨は降らさないけど、
風は強いとか、あるでしょう。
川上 しぶとい雨は降らせますよ。
やまない、というような。
糸井 何日も停滞しているので大水でした、とかね。

(つづきます)

2006-01-24-TUE
写真提供:活字文化推進会議
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