川上 |
アーヴィングの『ガープの世界』と
同じころに知ったのが、
スティーヴン・キングです。
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糸井 |
スティーヴン・キングは、
どれを読んでもおもしろいですね。
まるで怪談話を口づてに聞いているような
感じがあります。
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川上 |
スティーヴン・キングが
『小説作法』という本を書いているんですけど、
その中に、
僕は先を決めないで書くと、
書いてあったんです。
それを私は、心の支えにしています(笑)。
私だけじゃない、
スティーヴン・キングでさえそうなんだ、と。
キングには、
いっしょに手をつなぎながら行く感じを、
読んでいてすごく思います。
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糸井 |
僕がぶつかってみせるから、
あなたはそこでケガをしないようにね、
という歩き方をしている。
その生々しさがスティーヴン・キングの魅力ですね。
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川上 |
でも、スティーヴン・キングは
運動神経がよくて、
あんまりぶつからずに、
暗闇の中でもちゃんと行けるんです。
ぶつかりっぱなしの私とは違う。
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糸井 |
キングだからぶつからなかったけど、
書かれたお話はガンガンぶつかっていたんだな、
というふうに後で気づくのが
じつは作品が映画化されたときなんです。
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川上 |
あっ、そうですね!
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糸井 |
自分の脚本で芝居をしている役者のようなもので、
役者がキングだから
あの足さばきができたんだよ、というところがある。
そういう描き方ができないで
映画にしちゃったときには、
転んで鼻血出してんじゃんか、
という仕上がりになってしまう。
スティーヴン・キング原作の映画には、
残念ながら、そういうものが多いかもしれない。
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川上 |
いま、思い出したんですけれども、
このあいだ、新聞で
ジョン・アーヴィングのインタビューを読んだら、
アーヴィングは物語を、
全部最初に決めて書く、と書いてありました。
アーヴィングの小説を映画したものって、
けっこういいんですよ。
たまたまということも
あるんでしょうけど、
キングとは、違いますね。
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糸井 |
キングと逆ですね。
おそらく、アーヴィングは、
一語一語試しながら書くんだろうね。
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川上 |
きれいにレゴを積んでいくように。
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糸井 |
白杖をついているんでしょうね。
その魅力が、アーヴィングにはあります。
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川上 |
糸井さんは、スティーヴン・キングと
ピーター・ストラウブの合作の
『タリスマン』をおすすめの本に
挙げていらっしゃいます。
ピーター・ストラウブという方は
私は今回はじめて読みました。
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糸井 |
僕も、この人のことは、
この作品に出会うまで知らなかったです。
キングは「俺だからよけられたんだ」という部分を
ピーター・ストラウブという人とのゲームで
わざと邪魔をした。
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川上 |
これ、どうやって書いたんだろうと思ったら、
リレー小説なんですね。
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糸井 |
そうです。書いたところまでを、
ハイ、イギリスのピーターさん、どうぞ、
と言って渡すんです。
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川上 |
ぜんぜん相談もせずにね。
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糸井 |
このふたりのすごさは、
後で書く人が書きやすいような見取り図を
うっすらと感じさせながら、リレーするところです。
「このことは膨らませるだろう」という親切が
感じられるんですよ。
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川上 |
でも、正直、どこの部分を誰が書いたのか、
どこで切れているのか、わかりません。
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糸井 |
わからないですね(笑)。
この物語は、
リレー小説だからおもしろい
ということじゃなくて、
邪魔されることさえも楽しいことなんだ、
ということを感じます。
小説を書くという、ひじょうに孤独な、
暗闇を行くようなことが共有できる楽しみに、
魅力がこんなにもあるんだ
ということを、これを読んだときに思ったんです。
僕はこの小説から「MOTHER」というゲームを
もっともっとつくりたくなったんです。
何かを渡しちゃったことで見えてくるものは、
とにかくわくわくしますし、
そこには悲しみがいっぱい入るものなんです。
川上さんは、少年文学のような、
『ツバメ号とアマゾン号』も
挙げていらっしゃいますね。
ランサム全集は、子どもたちが図書館で
読み当たるような本ですけど。
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川上 |
そうですね。
でも、いい児童文学は、
大人が読んでもぜったいおもしろいものです。
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糸井 |
いい児童文学は、
子どもだからといって容赦しない。
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川上 |
容赦しないですね。
物語の中でいちばん印象に残っているのが、
お母さんが子どもたちを
無人島のようなところにやっていいか
迷っているところ。
お父さんから電報が返ってきて
その文面が、
「オボレロノロマハ
ノロマデナケレバオボレナイ」
それだけなんです。
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糸井 |
容赦しないですね(笑)。
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