第9回 足さばきがみごとな役者、 スティーヴン・キング。

川上 アーヴィングの『ガープの世界』
同じころに知ったのが、
スティーヴン・キングです。
糸井 スティーヴン・キングは、
どれを読んでもおもしろいですね。
まるで怪談話を口づてに聞いているような
感じがあります。
川上 スティーヴン・キングが
『小説作法』という本を書いているんですけど、
その中に、
僕は先を決めないで書くと、
書いてあったんです。
それを私は、心の支えにしています(笑)。
私だけじゃない、
スティーヴン・キングでさえそうなんだ、と。
キングには、
いっしょに手をつなぎながら行く感じを、
読んでいてすごく思います。
糸井 僕がぶつかってみせるから、
あなたはそこでケガをしないようにね、
という歩き方をしている。
その生々しさがスティーヴン・キングの魅力ですね。
川上 でも、スティーヴン・キングは
運動神経がよくて、
あんまりぶつからずに、
暗闇の中でもちゃんと行けるんです。
ぶつかりっぱなしの私とは違う。
糸井 キングだからぶつからなかったけど、
書かれたお話はガンガンぶつかっていたんだな、
というふうに後で気づくのが
じつは作品が映画化されたときなんです。
川上 あっ、そうですね!
糸井 自分の脚本で芝居をしている役者のようなもので、
役者がキングだから
あの足さばきができたんだよ、というところがある。
そういう描き方ができないで
映画にしちゃったときには、
転んで鼻血出してんじゃんか、
という仕上がりになってしまう。
スティーヴン・キング原作の映画には、
残念ながら、そういうものが多いかもしれない。
川上 いま、思い出したんですけれども、
このあいだ、新聞で
ジョン・アーヴィングのインタビューを読んだら、
アーヴィングは物語を、
全部最初に決めて書く、と書いてありました。
アーヴィングの小説を映画したものって、
けっこういいんですよ。
たまたまということも
あるんでしょうけど、
キングとは、違いますね。
糸井 キングと逆ですね。
おそらく、アーヴィングは、
一語一語試しながら書くんだろうね。
川上 きれいにレゴを積んでいくように。
糸井 白杖をついているんでしょうね。
その魅力が、アーヴィングにはあります。
川上 糸井さんは、スティーヴン・キングと
ピーター・ストラウブの合作の
『タリスマン』をおすすめの本に
挙げていらっしゃいます。
ピーター・ストラウブという方は
私は今回はじめて読みました。
糸井 僕も、この人のことは、
この作品に出会うまで知らなかったです。
キングは「俺だからよけられたんだ」という部分を
ピーター・ストラウブという人とのゲームで
わざと邪魔をした。
川上 これ、どうやって書いたんだろうと思ったら、
リレー小説なんですね。
糸井 そうです。書いたところまでを、
ハイ、イギリスのピーターさん、どうぞ、
と言って渡すんです。
川上 ぜんぜん相談もせずにね。
糸井 このふたりのすごさは、
後で書く人が書きやすいような見取り図を
うっすらと感じさせながら、リレーするところです。
「このことは膨らませるだろう」という親切が
感じられるんですよ。
川上 でも、正直、どこの部分を誰が書いたのか、
どこで切れているのか、わかりません。
糸井 わからないですね(笑)。
この物語は、
リレー小説だからおもしろい
ということじゃなくて、
邪魔されることさえも楽しいことなんだ、
ということを感じます。
小説を書くという、ひじょうに孤独な、
暗闇を行くようなことが共有できる楽しみに、
魅力がこんなにもあるんだ
ということを、これを読んだときに思ったんです。
僕はこの小説から「MOTHER」というゲームを
もっともっとつくりたくなったんです。
何かを渡しちゃったことで見えてくるものは、
とにかくわくわくしますし、
そこには悲しみがいっぱい入るものなんです。
川上さんは、少年文学のような、
『ツバメ号とアマゾン号』
挙げていらっしゃいますね。
ランサム全集は、子どもたちが図書館で
読み当たるような本ですけど。
川上 そうですね。
でも、いい児童文学は、
大人が読んでもぜったいおもしろいものです。
糸井 いい児童文学は、
子どもだからといって容赦しない。
川上 容赦しないですね。
物語の中でいちばん印象に残っているのが、
お母さんが子どもたちを
無人島のようなところにやっていいか
迷っているところ。
お父さんから電報が返ってきて
その文面が、
「オボレロノロマハ
 ノロマデナケレバオボレナイ」
それだけなんです。
糸井 容赦しないですね(笑)。

(つづきます)

2006-01-26-THU
写真提供:活字文化推進会議
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