糸井 |
僕が挙げた、
パトリック・ジュースキントの『香水』は、
川上さんの本の書き方と、
もしかしたら真逆のものなんじゃないかと思います。
つまり、構想をものすごく綿密に立てて書かれた
本のような気がするんです。
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川上 |
不思議なことをわっと真ん中に据えて、
それからどういうふうに話を展開するか、
という感じですね。
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糸井 |
非常に教養のある人の
小説なんだろうなということを
ちょっと見せびらかしている風なところも、
わざとですが、あります。
さらに嫌味なのが、
作者がドイツ人で舞台がフランスなんです。
そうとうなインテリゲンチャが
書いている小説だと思うんですけれども、
引き込まれましたね。
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川上 |
私は『香水』をはじめて読んだのが
10年以上前なんです。
まだ小説を書きはじめる前でした。
すごくおもしろいなと思って読んで、
しばらく周りの人に「おもしろい、おもしろい」と
すすめたにもかかわらず、
今回改めて読んでわかったのですが、
内容を全く忘れていたんです。
ただ、おもしろいということだけは
覚えていました。
今回読んだらまたすごくおもしろくて、
本というのは、そういうこともあって、
いいですね(笑)。
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糸井 |
すごいね(笑)、そういうことがあるんですね。
『香水』は嗅覚のお話なんですけど、
僕は、この小説を読んだことを
とても印象深く覚えています。
例えばひとつの世界像を描くときに、
小説を書く人だったら、
言葉というもので
世界を組み立てているわけです。
それは視覚でもなければ聴覚でもない。
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川上 |
そうですね。
しかも、言葉で組み立てるというのは、
建築物をつくるみたいに、柱をつくって、
壁をつくってというわけじゃないんです。
壁の一部分だけが急にパッとあって、
そこだけを書くことによって
周りを想像させるというようなことをします。
壁をつくるのか窓をつくるのか、
柱だけをつくるのかも、
その人に任されています。
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糸井 |
そうですね。つい僕らは、
見たものしか信じないようなところがあるけど、
世界が組み立てられる方法というのは、
無限なんじゃないかと思うんです。
例えば素粒子とか、
原子を研究している人が想像できる世界を思うと、
新しい世界の組み立て方は、
部材をちょっと変えたら
いくらでもできるんだという気がする。
そういう分野でも、
真剣に世界像を組み立てた物語を読むと、
ぜんぜん違う脳みそが動き出すと思うんです。
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川上 |
そうなんです。
私は理科系出身なのに、
理科がちょっと苦手で、
特に物理が苦手なんです。
それはどうしてかというと、
文章の問題があるんじゃないかなと思うんです。
例えば、超ひも理論ですが、
そう聞けば「超ひも理論か、そうか」と
思うんですけれども、
その全貌がわからないんです。
全貌がわかっている人なんて
きっと誰もいないけど、
全貌を教えてくれなくていいから、
壁の一部を見せるようにして、
それについて書いてくれる人がいないかなって
ものすごく思うんです。
超ひも理論について理解している人は、
例えば、世界に十何人しかいないとか
いうことがあったとします。
この『香水』だってそうで、
この嗅覚の世界のことは、
この作者しかわかっていない。
それをどうにか人に伝えるために言葉を使って、
つくってしまった。
そういうことをいろいろな分野でできたら、
人間の知識や考えることが
ものすごく広がるんじゃないかなと思います。
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糸井 |
仮に、無口だけど
踊りの上手な人がいたとする。
あるいは、しゃべると空っぽなんだけど
どうしておまえはそんなに歌い込めるんだ?
というような、歌のうまいやつとかがいます。
そういう表現について、
うまく理解ができないのだとしたら、
僕らはとても頭でっかちな、
勉強をさせられてきている証拠なんです。
そういうことについて、
ある意味皮肉なことですが、
「言語」で構成された、本というもので
僕らは気づかされていくんです。
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川上 |
つまり、絶対正しいということはめざしてなくて、
でも、何かそういうものの一部でも切り取って、
そして伝えたいんだよということです。
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糸井 |
そうなんです。
超ひも理論というのが、
もしも人間の形をしていたとしたら、
そいつのことを全部わかるわけにはいかないけど、
抱いてみていい、ということ。
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川上 |
そう。触ってみていい。
ざらざらだったよ、というような、
そういうことを伝えていく。
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糸井 |
息がくさかったとか、何でもいいんですよ。
そういうヤツだよ、と言えば、
超ひも理論が、
みんなの中に踊りにいけるんじゃないでしょうか。
そういう流れでいうと、
中沢新一さんのやっている仕事というのは、
そこにあてはまるんです。
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川上 |
最近のものが特にそうですね。
昔のは私は例によって
読んでもわからなくて(笑)。
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糸井 |
そういう書き方なんですね。
中央大学で学生を相手にした講義のシリーズが、
『カイエ・ソバージュ』で、
それが5冊出ています。
僕がおすすめ本として挙げた『対称性人類学』は
そのうちの5冊目、完結の本です。
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川上 |
今回、糸井さんの挙げてくださった本は、
特にわかりやすい形で、
これから私たちが
どうしていったらいいかということを
ものすごく考えているものばかりです。
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糸井 |
自分がそんなことばかり考えているんでしょうね。
きっと、川上さんが
とまったり進んだりして
小説を書いているときの時間と、
僕があるチームを率いて、
前に進もうとしていることとが、
表現としては、おなじことなんです。
僕は、経営は表現だと思いはじめたんです。
僕はきっと小説を書くということに
向いてなかったんです。
得意とか不得意とかではなくて、
つらすぎたんです。
僕は書くのがつらかった。
いまもそれはどんどん進行していって、
文章を書くこと自体、
全部つらくなっています(笑)。
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川上 |
文章を書くことって、
ちょっと前に戻ってそのときのことを確認する、
という特徴があります。
それを面倒くさいと感じることは私もあります。
いいことだけ確認できないから、
嫌なことも全部含めて、
それから当事者だった自分だけじゃなくて、
周りにいた人になり切って、
いじわるな目でそのことを見たりとか、
全部をしないとたぶん文章は書けないので、
その嫌さがあるのかもしれない。
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糸井 |
川上さんの、冒頭の文の朗読を聞いていて、
僕はどうしてそんなに
丁寧に文章を書くんだろうって、
あきれてしまいました。
だって、あのときには、
今日、こういうお話をしますという、
記号をしゃべったっていいわけです。
「さて、今日は運動会ですが」
という話と同じですから。
それをしっかりと手触りのある文章として
書こうとする心意気を感じましたよ。
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川上 |
心意気って、ものすごくいい言葉ですね。
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糸井 |
うん。心意気のあるもの。
やっぱり誰かが、
一生懸命何か書いたものって、すごいです。
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川上 |
やっぱり「本はおもしろい」に尽きちゃうかな。
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糸井 |
うん。おもしろかったです。
ありがとうございました。
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川上 |
どうもありがとうございました。
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