糸井 ドラフト時代って
どういうふうに仕事を進めてたんですか?
植原 当時、宮田さんは‥‥
抑えつけてくるんですよ、僕らを(笑)。

そのぶん、押し返そうとするエネルギーは
培われたとは思うんですけど。
糸井 抑えつけるって、どういうふうに?
植原 たとえば‥‥そうですね。

そんな企画は、やりたくないとか、
ダメだとか。
糸井 植原さんが
「こういうのやりたいです」って提案しても
「それじゃダメだ」って言うの?
植原 はい、そんな感じのことも多々あって。
糸井 それ‥‥僕もそうだよ。よくわかるわ。
渡邉 そうなんですか?
植原 何かをやりたいと提案しても
「それをやることに、何の意味があるんだ?」
って、言われたりするんです。

で、どうにか説明はするんだけど、
かなりハードル高くて、
最後はケチョンケチョンになっちゃって。
糸井 なるほどね(笑)。
植原 結局、うやむやになって、
ぜんぜん、こっちの話聞いてもらえなかった、
みたいな感じで終わっちゃう。
糸井 たぶんね、宮田さんだって
なるべくやらせたいんだと思うよ、ほんとは。

だから
「もっと、いいもの持って来い」というかさ。

キギとして独立したいまだったら、
すこしわかるんじゃない、宮田さんの気持ち。
植原 うん‥‥そうですね。
渡邊 たしかにいろいろ提案してみたけど、
果たしてあれをやっていたら
いま、どうだったかなというのは、あります。
糸井 ゆくゆく飽きちゃうんじゃないか、とか
続かないんじゃないか、とか
そういうところまで考えて「GO」するのが
社長の役目だからね。

あと、よく言うことなんだけど、
すぐお店をつくりたがりますよね、若い人は。
渡邊 あ、わたしたちも、ちょっと思ってた(笑)。
糸井 じかにお客さんと接することができるし、
ひとつひとつ、
とっても勉強になることなんだけど
「回していく」には
アルバイトの子をひとり、探すだけでも
大変なんですよね。
渡邊 そうなんです、いま思えば。
糸井 でも、キギさんのプロダクトへの関わりが
「紙のカレンダー」からはじまったことは、
なるほどなあと思いました。

紙って「二次元」に近いですから。
渡邊 はい。

「そうか、これもプロダクトなんだ。
 これならできるかもしれない」
って、思いました。

そこからは、手探りでというか‥‥。
糸井 自分たちの内側から「やりたい!」って
生まれるものを、
自分たちで探さなきゃならないでしょう。
植原 ええ。
糸井 広告の仕事をやっていると
そういう練習って、なかなかできないんです。
基本的に「頼まれ仕事」だから。
植原 まさに、おっしゃるとおりです。

だから、それが「プロダクト」であっても
ポンと置いただけで、
アイディアとして成立するモノ。

そういうデザインを探すトレーニングには
けっこうなったかなと思ってます。
糸井 うん、うん。
植原 いわゆる「クライアントの意向」という
価値基準のないところで
商品を「モノ」として成立させることって
すごく大変なことだなあってわかりました。
糸井 クライアントの代わりに、
ある意味で
それ以上に厳しい「お客さん」がいるしね。
植原 そう、そうですよね。
渡邊 わたしの場合は
「D-BROS」に関わるうえで、
「プロダクトをやってきた人にはかなわない」
という気持ちがたくさんあったので
逆に、
わたしたちの得意なデザインを活かせる
プロダクトを探したというか‥‥。

だんだん、そうなっていった感じです。
植原 置いてあるだけで、
「こっちに
 しゃべりかけてくるようなものじゃないと
 ダメだよね」とは、よく話してました。
糸井 うちの社員にはよく話すことなんだけど
「広告」というのは
「商品の中に練り込まれている」のが
いちばん、いい状態なんですよ。

つまり、さっき植原さんが言ったとおり、
「ある商品が置いてあるだけで
 それが何だかわかる」というようなね。
植原 なるほど、ええ。
糸井 わざわざ「広告」なんかつくらなくても
「商品自体が広告になっている」もの。

そんな商品をつくれたら、最高ですよね。
渡邉 そうですね。
糸井 ある時期の「アップル製品」なんかは、
ある程度、そういう位置にいたと思うんです。
植原 はい。
糸井 だから、自分とこの社員デザイナーに
そんな練習をさせようと思った宮田さんって
社長として、
ちょっと先の時代を歩んでいたと思うなあ。
植原 そうなんでしょうね。
糸井 だって、誰かに頼まれて仕事するのと、
「で、キミさ、
 けっきょく何やりたいの?」って訊かれて
自分のやりたい仕事をするのって
きっと、ものすごい「ちがい」があるから。
<つづきます>
2013-06-21-FRI