小林 |
「それはな、裏日本史研究家、
裏筋舐太郎(うらすじなめたろう)氏の著書や。
裏筋はんは通説となっている
様々な日本の歴史について
独自の視点で考察し、
異議を唱えてきた。
ちょうどええ。
これから裏筋はんの家に
筒状のこんにゃくを届けにいくところや。
いっしょにいってみよか」 |
先生と北小岩くんは
チェーンの外れかけたおんぼろ自転車をきしませながら、
張形1丁目にある裏筋家を訪ねた。
呼び鈴を押すと裏筋氏が、
はまぐり形をしたアイスキャンディーを
舐めあげながら姿を見せた。 |
小林 |
「裏筋はん、
その後裏筋の調子はいかがですか?」 |
裏筋 |
「毎日オイルを塗っているので、
かなりすべりがよくなっています」 |
小林 |
「それはよかった。
ところで俺の弟子が
裏の日本史に興味を持ったようなんや。
まずは裏筋はんの一番の功績といわれる
日本の開国について教えてやってくれへんか」 |
裏筋 |
「ほほう。それでは講釈いたしましょう。
1853年、アメリカの
東インド艦隊指令長官であったペリーは、
四艘の黒船を率いて浦賀にやって来ました。
そこまでは厳然たる事実です。
しかし、ペリーが来航した目的が
誤って喧伝されてしまいました」 |
北小岩 |
「と申しますと?」 |
裏筋 |
「私の長年の研究によれば、
ペリーは日本に開国を迫るために来たのではなく、
ちんちんの大きさを自慢しに来たのです」 |
|
北小岩 |
「なんと!」 |
裏筋 |
「彼はアメリカきってのイチモツキングでした。
ですが日本にはウタマロと呼ばれる巨根者が
ごろごろしていると噂で聞き、
ならば俺がそいつらとイチモツ勝負を行ない
完膚なきまでにたたきのめし、
自慢してやろうと思ったのですね」 |
北小岩 |
「そうだったのですか!
存じませんでした。
ところで、なぜわざわざ黒船で来たのですか?」 |
小林 |
「そりゃ、こういうわけや。
白人のちんちんはとても白いやろ。
そやから黒い船を背景に巨根を開チンし、
白と黒とのコントラストで
さらに猛々しく巨大に見せようと
計算したんやな」 |
北小岩 |
「さすがに日本より数段手練に優る国の方ですね。
膨張色を巧みに用い、
己の価値を高める戦術に出ようとは!
でも、それと開国はどう結びつくのですか?」 |
裏筋 |
「ペリーさんのナニは
とてつもなく巨大だったのですが、
白人の常としてそれほど硬度がなかったのです。
彼は砲台の上にイチモツを置いて休みました。
すると浦賀の人々は白い大砲と勘違いし、
日本に向けて発射しようとしているという情報を
幕府に伝えました。
江戸中は蜂の巣をつついたような大騒ぎに・・・」 |
北小岩 |
「それからどうなりましたか?」 |
裏筋 |
「ペリーはみんなが騒いでいるのでうれしくなって、
『マイコック!マイコック!』と
ちんちんを空に向けながら甲板を走り回りました。
幕府の要人たちは英語がわかりません。
もちろん、スラングを知る者など皆無です。
それで『マイコック』を
『カイコク』のことだと誤って解釈しました。
つまり大砲で脅しながら
開国を迫っていると思い込み、
あまりの恐ろしさに
つい開国してしまったというわけです」 |
北小岩 |
「なるほど!」 |
小林 |
「さらにそれより500年以上前にも、
ちんちんを自慢しに来た外国人はおったんやで」 |
裏筋 |
「そうですね。
1274年の蒙古襲来です。
元と高麗の連合軍が900余艘の船を連ねて
博多湾沿岸に上陸しました。
そこでイチモツを開チンしたのですが、
思ったほどは大きくありませんでした。
御家人たちは
俺たちにも十分戦える大きさであると判断しました。
とはいえ日本人よりは立派でしたので、
大宰府の水城までは後退を余儀なくされましたが、
日本のおちんちんの神様も
これならばと思い
神風を吹かせて追い返すことに成功したのです」 |
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北小岩 |
「ふう、危ないところでした。
もしも蒙古の方々のモノがさらに巨大だったら、
日本の歴史も変わってしまったのですね」 |
小林 |
「そやろ。
だからこれからは
日本も海岸線にちんちんのでかいヤツを並べて、
外国にナメられないようにしなければならんやろな」 |
裏筋 |
「どうせ舐められるのでしたら、
金髪の美しい女性に舐められたいところですね」 |