小林秀雄のあはれといふこと

しみじみとした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。


其の八拾九・・・糸電話


「ただいま〜。んっ、どないした?」
小林先生が夕間暮れの散歩から戻ると、
居間からむせび泣きがこぼれてきた。
ふすまを開けると、
弟子の北小岩くんと童顔の学生が正座で向かい合っていた。
学生は学ラン姿で頭に正ちゃん帽を載せ、
目から大粒のものがあふれている。  

北小岩 「先生、お帰りなさい。
 この学生はわたくしのいとこです。
 彼は今、深い悲しみに包まれております。
 先生もどうかご一緒に、
 彼の話に耳を傾けてください!」
小林 「君が手にしているのは糸電話やな。
 受話器が破れているようや。
 それが悲しみのとば口なんやろ。
 泣くのはそれくらいにして、
 話してみんかい」
学生 「ボクは幼稚園時代に
 2軒隣りに住んでいる
 御又満子(おまたまんこ)ちゃんに
 初恋しました。
 彼女はとてもモテましたが、
 隣家の落賃湖次郎(おちんこじろう)
 というヤツと争い
 勝利をおさめたのです。
 その後彼女は女子小に、
 ボクは男子小に進み
 交流は途絶えてしまいました。
 ところが数週間前、
 女子大生となった
 満子ちゃんと道で再会し、
 ほのかな交際が始まりました」
小林 「えらくロマンチックやないか」
北小岩 「二人とも二十歳ですが、
 性体験がありませんでした。
 極端に奥手なので
 交際は糸電話から始めたそうです」
学生 「毎日、会話でデートを楽しみました。
 満子ちゃんは
 糸電話の糸を赤く塗ってくれました。
 ボクは
 やっぱりこの人が
 運命の人なのだと感激し、
 卒業したら結婚しようと心に誓いました」
小林 「それにしても
 口も吸いあわず乳繰りあいもせず、
 糸電話だけでよく我慢できたな。
 ほんまにピュアなんやな」
北小岩 「そうとも言い切れないようです。
 いとこは時々紙コップに
 おちんちんをあてがい、
 彼女の声をそこで受けて
 振動を楽しんでいたようですから」
 

小林 「えらく遠まわしな間接フェラやな」

学生は頬を赤らめうつむいた。

小林 「まあええ。
 それがどないして、
 赤い糸がこんがらがっちまったんかい?」
学生 「ある日突然、
 糸電話の受信状態が
 おかしくなってしまったのです。
 満子ちゃんの声が
 だんだんと聞き取れなくなりました」
小林 「受話器が壊れたんか?」
学生 「いえ、違います。
 ボクたちを結ぶ赤い糸は、
 一部が落賃湖家の敷地を
 通過していました。
 そのため糸の真ん中で
 落賃湖が引き込み線を
 引いてしまったのです。
 ボクたちの会話は盗聴されました。
 そしてある日電話は不通になったのです」
小林 「ヤツが君たちの赤い糸を切ったんやな」
学生 「糸は以前より
 弛めになっていたものの、
 切れてはいないようでした。
 ボクは自分が満子ちゃんに
 何か傷つくことを言ってしまい、
 へそを曲げて応答しなくなったのだと思い
 受話器に向かって必死にあやまりました。
 そして、何度も何度も愛している!
 と叫びました。
 しかし、返事はありませんでした。
 ボクは勇気を奮って
 糸を辿っていきました。
 すると糸の先端が
 犬のフンにつながれていたのです」
小林 「なんと!
 君は糞に向かって愛していると
 甘い言葉を投げかけていたんかい。
 それは屈辱よりも数段上の辱めや。
 もはや『屈辱』ではなく、
 『糞辱』(くそじょく)や!!!」
 

学生 「ボクの糸を切って
 フンとドッキングさせたのは落賃湖です。
 ヤツは満子ちゃん側の糸と
  ヤツの糸を結び、
 満子ちゃんと
 会話するようになってしまったのです。
 二人はねんごろになり、
 関係を結んだようでした。
 ボクはショックで寝込みました。
 しかし、昨晩ボクの部屋の窓に
 糸電話の受話器が置かれていたのです。
 満子ちゃんが
 ボクのもとへ戻ってくれたのだと思い、
 勇んで耳を当てました。
 転瞬、ボクは凍りつきました。
 それは二人の当て付けでした。
 糸電話から流れてきたのは、
 落賃湖と交わり恍惚となった
 満子ちゃんのよがり声だったのです」
小林 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

数多のなさけない思いを蒙りながら生き抜いてきた
小林先生でさえ、
その地獄絵図に対しフォローすることはできなかった。
ただ学生の肩を抱き、何度もうなずくのみであった。
先生の瞳が決壊し、熱いものが噴出した。
先生、学生、北小岩くんは円陣を組み、
いつまでも落涙し続けた。
座布団にはいつしか涙の湖ができていた。

2003-05-06-TUE

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