小林秀雄のあはれといふこと

しみじみとした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。


其の百弐・・・色


「うう、ううう」

庭の手水鉢の中に、いく粒もの涙を落としている男がいる。
放屁しながら通りかかった小林先生が声をかけた。

小林 「どないしたんや、北小岩。
 ええ男が小鳥のようになくんやない。
 まあ、話したいというのなら、
 その理由を聞かんでもないが」
北小岩 「実は叔父が描いた線画に、
 着色を頼まれたのです。
 誠心誠意臨んだのですが納得いただけず、
 お前には失望したと言われてしまいました」
小林 「へんやなあ。
 思うにお前は日本有数の塗り絵の名手や。
 それほどの技で満足できないのなら、
 叔父さんの目が節穴なんとちゃうか?
 いったいどんな色を指定されたんや」
北小岩 「世紀末的な迫力を出すために、
 空をドドメ色にするようにと言われたのです」
小林 「ドドメ色か・・・。
 それはまだ人生経験の浅いお前には、
 表現しきれんやろな。
 どれ、見せてみい」
北小岩くんは叔父が激怒したあげくに
くしゃくしゃに丸めてしまった絵を差し出した。
小林 「ははあ。
 叔父さんはこれを見てこう言うたんやろ。
 俺が味わったドドメは、
 もっと地獄のような色をしていたと」
北小岩 「その通りです。
 なぜお分かりになったのですか」
小林 「お前よりはさまざまなモノを
 見てきとるからな。
 ドドメ色に関しては
 様々な角度からの考察が必要やで」
先生は年代の違う三人の男を呼び、
取材することにした。
一人目は色のプロフェッショナルである印刷会社の若者。
二人目が若い頃遊び人としてならした
80歳のおじいさん。
最後の一人は幼稚園の年少組に通う男の子である。
まずは印刷会社の若者に訊ねた。
印刷若者 「ドドメ色ですか。
 残念ながら色見本にはないですね。
 でも僕の印象でいいますと、
 もう少し明るい色なんじゃないですか?」
小林 「君は今まで
 なかなかええ人生を歩んでいるようやが、
 まだまだ甘いな。
 まあ、遊び人のおじいさんなら
 君の何百倍もの体験をされているだろうから、
 地獄絵巻のようなドドメ色をご存知なはずや」
おじいさん 「いんや、わしの思い出の中のドドメは、
 もっともっとピンク色じゃな。
 北小岩さんのこの色は何ですか。
 わしの美しい記憶の中では、
 そこはうす〜く透き通るような
 愛らしい桃色で・・・」
小林 「らちがあかんな。
 このじいさんは本来なら
 とんでもないドドメの目撃者なはずやが、
 余命を楽しく生きるため、
 脳がドドメ色を濾過して
 美しい色として刷り込んどるんや。
 ほな、まだ経験のない幼児はどうやろ。
 ぼく、この空のような色を見たことあるかいな?」
幼児 「あっ、この色、
 おかあさんと一緒に行ったお風呂屋さんで
 いっぱい見たことあるよ。
 でも、ぼくこの色お化けみたいで怖いんだ。
 わ〜、怖いよ〜〜〜」
幼児は北小岩くんの描いたドドメ色を見て
泣き出してしまった。
小林 「そんなことで泣いとったらあかんで。
 これからの人生、山ありドドメありや。
 なあ北小岩、ドドメ色といえば
 やはり男にとっては
 どうしても秘所の色ということになるやろ。
 それぞれの体験によって違うわけやから、
 これ以上追求してもしゃあないわな。
 十人十ドドメ色や。
 言いかえれば、ドドメ色というのは
 幸せの黒い鳥なのかもしれんなあ。
 男たちは幸せを得るために、それを探し求める。
 だが、やっと捕まえたと思ったら、
 それはただの黒ずんだ鳥となってしまう。
 男は永遠に幸せの鳥を追いかけ続けるんやが、
 今度こそはと思ってのぞいてみても
 それはやはり恐ろしげな黒ずんだ鳥でしかない」

北小岩くんは大きくうなずいた。
だが、先生の言うことなどうなずくに値しない。
もともと熟した桑の実からその名がついたと言われる
ドドメ色であるが、
いつから陰部の色の例えになってしまったのだろうか。
きっといつの時代にも
小林先生のようなしょうもない男がいて、
「ドドメってあの色にそっくりだよね」と
ニヤニヤしながら広めてしまったに違いない。
桑の実にとっては、これほど迷惑な話はないであろう。


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2003-11-23-SUN

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