小林秀雄のあはれといふこと

しみじみとした趣に満ちた言葉の国日本。
そんな国のいとおもしろき言の葉を一つ一つ採取し、
深く味わい尽くしていく。
それがこの項の主な趣向である。


其の百参拾七・・・分身



「先生はいらせられますか‥‥」
脇戸の向こうから、あわれ蚊のように細い声がした。

小林 「どうした。
 瞼が腫れとるやないか。
 まあ上がれや」
頬に涙の筋が残る後輩を気遣い、
無理やり笑窪をつくりながら招き入れた。
後輩 「実は精子と喧嘩いたしまして」
意表をつく展開に、先生の眉間に深い皺が刻まれた。
小林 「ちょっとまて。
 一杯やりながら、謹聴しようやないか」
二人が腰を下ろすと、
弟子の北小岩くんが
ビールとよっちゃんイカを運んできた。
後輩 「2ヶ月ちょっと前のことなのですが、
 夜中に局部の先から
 上擦った声がしまして。
 そっとのぞいてみると、
 目視することはできないのですが、
 精子が顔を出しているようでした」
小林 「ほう」
後輩 「仲間を代表して、
 抗議に来たらしいのです。
 彼は言いました。
 『あなたには、
  僕たちへの愛情がかけらもない。
  ほんの少しでいいから、
  僕たちのことを慈しんでください。
  そうすれば、思い残すことなく
  短い生涯をまっとうできるのです』
 と。
 私は憤怒しました。
 『精子のくせに、
  何生意気言ってやがる。
  お前なんか見たくもねぇ。
  汚ねえからとっとと失せな!』
 と。
 そして精子目がけて
 拳を振り下ろしました。
 彼はすばやく睾丸の中へ隠れたので、
 自分の急所を
 殴りつけたに留まりましたが」
北小岩 「その後、何か起こりましたか?」
後輩 「速射大王の名を
 欲しいままにしていた私ですが、
 その日から
 皮が剥けるまでがんばっても、
 噴射しなくなってしまいました。
 彼らはどんな刺激を受けようが
 飛び出さないように、
 必死に逆方向に
 泳いでいるようなのです。
 格闘の日々が続きました。
 昨夜、私は決意しました。
 このまま如意棒が擦りむけ
 出血に至ろうとも、
 彼らが音を上げるまで
 上下動させ続けようと。
 8時間耐久マスターの始まりです。
 何時間も鬼の形相でしごきました。
 そしてついに私は
 勝利をおさめたのです。
 しかし、憎しみを込め
 顕微鏡で彼らを確かめると‥‥」
瞬間、まなこから大粒の雫が飛び散った。
北小岩 「精子さんたちは、
 どうされたのですか?」
後輩 「彼らはお互いの首に巻きつき、
 命を絶っていたのです。
 憫然たる風体で。
 私はおののき、
 自分の過ちを悔やみました。
 尊厳を切り裂かれ続けた彼らが、
 どれほど傷つき苦しんでいたか。
 考えるまでもなく、精子は自分の分身。
 これほど大切な存在はないはずです。
 それなのに私は‥‥」
小林 「そうやな。
 本来、かけがえのない宝物や。
 だが、男どもは
 使い捨て以下の扱いをしとる。
 時に汚物待遇や。
 自分だけ気持ちよくなって、
 出すだけ出してな」
後輩 「25年間、一度もやさしくしたことは
 ありませんでした。
 将来子供が生まれた時、
 私は心から愛することでしょう。
 しかし、その愛すべき子供になる
 可能性のあった他の精子たちを、
 どうして愛せなかったのか。
 いえ、愛せないだけではなく、
 なぜこれほどまでに
 陰惨な振る舞いを続けられたのか。
 私は、私は‥‥」
その先の言葉は、涙に流されてしまった。
先生はゆっくり後輩の肩に手を置いた。
小林 「お前だけやない。
 俺だって、正直いって
 精子に愛情を持ったことはなかった。
 出し捨て御免の毎日や」
北小岩 「わたくしもです。
 つい勢いあまって、
 日に2度3度ということもございました。
 それなのに、感謝の言葉ひとつなく‥‥」

三人は円陣を組み、嗚咽を漏らした。
チン先過ぎれば精子忘れる。
改心したように見える三人であるが、
この諺のように、
いずれまた
己の欲望に溺れる飢鬼に戻ってしまうのだろう。

男は分身を軽んじすぎている。
精子とは、聖なる子でもあるのだ。
もし、分身たちが肉眼で認識できる大きさであれば、
彼らの運命もかわっていたであろう。
今までと同様に、
全世界の男児が軽侮して彼らに接し続けるとしたら、
いつか恐るべきしっぺ返しがくる。
そんな気がしてならない。

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2005-11-20-SUN

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