北小岩 |
「今通りかかった幼稚園で、
卒園式をやっておりました。
あの愛らしいひよこさんたちが、
先生にお別れだっこされているのを
眺めているだけでわたくしはもう」 |
小林 |
「お前そういえば、
さっきの曲がり角でも
目を赤くしとったやろ」 |
北小岩 |
「顔が地面につきそうなぐらい
腰の曲がったおじいさんとおばあさんが、
手をつなぎながら微笑んでおりました。
わたくしもそろそろ年でありましょうか。
心揺さぶられる場面に遭遇すると、
すぐに涙腺が騒ぎ出し制御できません」 |
小林 |
「北小岩の場合、
まだそれほど年ではないわな。
ほんとに年をとった時の涙腺のゆるみは、
そんなもんやないで。
後学のため、
俺の知り合いの老人のところに
茶飲み話に行こか」 |
町はずれにある木の上に、
小さな小屋をつくって住んでいる涙腺じいさん。
じいさんの家にたどり着くには、
かなり高度な木登り技術が必要だ。 |
北小岩 |
「ふう。
さすがに膝が笑いました。
地上10メートルのおうちは侮れません。
おじいさまも生活するのが
大変ではありませんか」 |
涙腺
じいさん |
「登るのはそう難儀ではありまへん。
でも近頃、
涙腺がゆるくなってゆるくなって
たまらんす」 |
北小岩 |
「そのことです。
わたくしも何かといえば
すぐに目頭が熱くなり、
あたたかいものが
あふれてきてしまうのです」
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涙腺
じいさん |
「わしも若い頃には、
喜びや悲しみ、別れや死に対して
涙していたもんにゃ。
でも69歳を過ぎてからは、
かなり範囲がおっぴろがってしまった。
その頃から、虫の交尾を見ても
瞳を濡らすようなあんばいじゃて」 |
北小岩 |
「おじいさまのやさしさを感じます」 |
涙腺
じいさん |
「ところがそれが進行していき、
今では道に落ちている糞にも、
涙してしまうようになったんにゃ」 |
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北小岩 |
「なんと!」 |
涙腺
じいさん |
「多くの人から
嫌われる存在であるにもかかわらず、
懸命にこの世に生を受けてきた。
湯気が出ている産まれたて
ほかほかのものなど見たら。
それがもし踏まれていたら、
もう号泣にゃ」 |
小林 |
「う〜む。
わび、さびの世界かもしれんな」 |
涙腺
じいさん |
「おならも目に沁みますて。
あの妙ちきりんな音とともに、
複雑な臭気が漂ってくる。
そして何の痕跡も残さずに、
儚く消え去ってゆく。
涙なしにはいられんじゃ」 |
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北小岩 |
「哲学的なものすら感じますね。」 |
涙腺じいさんは、電信柱に染み付いた小便、
図書館で借りた本にはさまっていた陰毛、
やぶれて食物繊維のようになったパンツなどにも
涙するという。 |
小林 |
「北小岩の涙腺など、
まだまだ若造も
いいところっちゅうことやな」
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