北小岩 |
「庭のコオロギたちが、
美しき競演を繰り広げております。
しみじみとした調べが
胸に響いてまいります」 |
目を閉じる弟子。だが・・・。
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小林 |
「ええかげんにせんかい!
我が神聖なる庭で乳繰りあおうったって、
そうはさせん!
ゴーロゴロゴロゴロ!!!」 |
虫を沈黙させるべく、
奇声を発しながら草むらに近づくのは先生であった。
氏は自分が極端にもてないため、
コオロギのオスがメスを誘い交尾に至るのが
許せないのである。
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小林 |
「北小岩も騙されてはあかん。
こんなものはまやかしや。
世の中にはもっと本物の声に
耳をすましている風流人がおるわい」 |
北小岩 |
「そうなのでございますか」 |
小林 |
「師の後を
三歩下がってついてくるこっちゃ」 |
先生が目指したのは、
原っぱに数十年間も置きざりにされたままになっている
土管であった。
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小林 |
「あったあった。
あの土管はな、俺が幼稚園に通っとる時に
中に入ってよく遊んだんや。
近所に住んどった一番かわいい女の子と、
仲良くお話してなあ・・・」 |
女の子にやさしくされた、
生涯唯一のシーンを回想し、
涙ぐむ馬鹿先生であった。
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北小岩 |
「この中にコオロギよりも美しい声の虫が
いらっしゃるのですね」 |
土管をのぞきこんだ弟子は。
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北小岩 |
「うお〜〜〜〜〜〜!」 |
阿呆にしか見えない大声をあげた。
そこにはまり込んでいたのは、
虫ではなく一人のおっさんであった。
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小林 |
「なっ、
風流人がおったろ」 |
北小岩 |
「何が何やらわけがわかりません。
不思議な体勢で
男の人が丸まっておりましたが」 |
小林 |
「お前もまだまだ甘いわ。
中の方は確かに
虫のささやきに耳を傾けとった。
なあ、耳好(みみよし)はん」 |
耳好 |
「そうですな」 |
いつの間にかおっさんが、弟子の隣に立っていた。
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北小岩 |
「虫の声は
いっさいいたしませんでしたが」 |
小林 |
「この方の鼓膜を楽しませていたのは、
そんじょそこらの虫やない。
股間に鎮座しとる
『いんきんたむし』の声や!」 |
北小岩 |
「なんと!」 |
小林 |
「耳好はんは、
コウモリではないかと思うほどの
超人的な耳のよさを誇るんや」 |
北小岩 |
「それはうらやましいことでございます。
いんきんたむしは、
どのように鳴くのでございますか」 |
耳好 |
「チンチンジュクジュク
チンチンジュクジュクと
寂しげな声をしぼりだしていますね。
鳴くというより、むせび泣くに近いです」
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小林 |
「いんきんたむしだけではなく、
水虫や真田虫の声を聴くことだって
できるんや」 |
耳好 |
「水虫はカユカッちゃんカユかっちゃんと
聴こえます。
真田虫は時折、
クソックソックッソー!と
叫んでいますね」
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北小岩 |
「どのようにすると、
そんなミラクルな声をとらえることが
できるのでございますか」 |
耳好 |
「風流を愛でる心。
極限まで耳をすます努力。
虫に耳を近づけられる柔軟性。
それが三位一体となった時、
初めて響いてくるものなのですよ」 |
北小岩 |
「なるほど。
コオロギや鈴虫の声で満足していた
自分が恥ずかしくなりました。
わたくしも、
まずはお酢を飲んで体をやわらかくし、
それから精進していきたいと思います」 |
秋の夜長。
虫たちの声は、私たちの心をとらえてはなさない。
とはいえ趣のある音は、
庭や野原、山や畑だけから聴こえてくるのではない。
今一度、己の体の虫に耳を傾けてみるのも、
秋の一興であろう。
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