小林秀雄、あはれといふこと。

その弐拾・・・青春暴走族

中学時代を横浜で過ごした。
陸上部に所属し、長距離を走った。
顧問は大学を出て間もない関先生。
陸上部出身の熱い男で、いつでも先頭に立って走っていた。
その頃、3年生の先輩が3000mで神奈川県記録を出した。
関先生と一緒なら、どこまでも走っていける。
誰もがそう信じていた。

長距離陣は体操をした後、40分ほど町を流す。
そこからは日によって違うのだが、
400mを10本走ったり、2000mを3本走ったり、
10000mのタイムトライアルを行ったり
というメインディッシュをこなす。

その日もいつものように、
ウォームアップのために学校を出た。
先頭はもちろん関先生。
坂を下り坂を上り坂を下りまた上った。
三ツ沢へ行くようだ。
ここには神奈川国体で使われた大きな競技場があり、
横浜市の駅伝大会やロードレースの会場にもなっていた。
サッカー競技場は横浜マリノスや横浜フリューゲルスが
本拠地にしていたこともあるので、
ご存知の方も多いと思う。

今日は駅伝コースを走り込むのだな、と思った。
だが、先生は競技場には目もくれず、
そのまま道路を真っ直ぐに走っていった。
第三京浜入り口の標識が見える。

「まさか、このまま走っていかないよね」

「う~ん、クルマしか走っちゃいけないはずだよ」

友だちと小さな声でささやきあった。
先生は私たちのほうを振り向くと、
気合を入れるように大きな声で言った。

「いくぞ!」

「はい!」

先生が行くと言えば私たちも行く。
ピッチを上げた先生の後を追う。
第三京浜は東京と横浜を結ぶ自動車専用道路である。
100キロを軽くオーバーしたクルマが、
私たちの走る路肩の横を疾風のように走り去っていく。
料金所は世田谷に着くまでない。
私の中で熱いものがたぎった。
今日の練習は第三京浜を東京まで突っ走ることだったのだ。
グングン速度を上げる先生においていかれないように、
必死についていく。
どれくらい走っただろうか。
かなり息があがってきたその時だ。

「こら、そこの君たち。何をしているんだ!」

1 走る男たち

突然パトカーが凄いスピードで現れ、
スピーカーでがなりたてた。
だが、先生はさらにピッチをあげた。
あきれてパトカーが幅寄せしてきた。

「聞こえないのか! 君たちは自動車じゃないんだ!
早く出ていきなさい」

やっと先生は止まった。
先生は警官に謝るでもなく、
向きをかえて再び走り出した。

「やあ、ダメだったか~」

照れくさそうに、ニコニコしながら頭をかいた。

先生、あなたはいかした人だ!
先生の「いくぞ!」の声が聞こえたら、
今でも私は一緒に走ります。
東名高速だろうが、アウトバーンだろうが・・・。

「先生、動けません!」

ひさしぶりに町を走ろうと思って外に出ると、
弟子の北小岩くんが交差点で固まっている。

北小岩「交差点には『止まれ』と
    書いてありますが無責任です。
    ずっと止まっていたら、
    歩き出すきっかけを逸してしまいました」

2 止まる男たち

先生「北小岩! 
   わなにはまったらあかんで。
   確かに交差点には『止まれ』とだけ
   書いてあって、『歩け』に
   変わることはない。
   正直者の中には、その場に止まったまま
   一生を終えるヤツもいるそうや」

北小岩「どうすればいいんですか」

先生「歩けばいいんや」

北小岩「なるほど。先生、ありがとうございました」

先生「うむ」

関先生には、中学を卒業してから一度も会っていない。
だが、もしもどこかでばったり会ったら
たずねてみたい気もする。
あの時、パトカーに止められなかったら、
第三京浜を東京まで走るつもりだったのかを。

1998-11-11-WED

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