小林秀雄、あはれといふこと。

その四・・・「夢十夜」

夏目漱石の短編に夢十夜がある。
そこには十の荒涼たる夢が描かれている。
漱石の孤独はあまりに深い。
漱石と生きる時代は違うが、これは私の夢十夜である。

小学生の頃、こんな夢を見た。
目を覚ますと、全裸の女が横たわっている。
肌は吸い込まれるように白い。
くびれた腰の先から、形のよい細い足が伸びる。
なだらかな軌跡を描く弾力のある乳房。
齢は二十ほどか。
美しい女は手招きする。
私はご馳走を味わうように、女の全身を眺め回す。
目は花芯へと釘付けになる。
むっ。あるべきはずのものがない。
いや、ないのではない。
そこが遠眼鏡(望遠鏡)になっているのだ。
「ここをのぞきなさい」。
天女に導かれるように、遠眼鏡を覗きこむ。
さてはこの中に。
だがそこに女のやわらかな蕾はなく、
広がっているのは初春の山だった。
私は遠眼鏡を強く握りしめると、
山の中にあるはずの女陰を探した。
遠景の山が、少しづつズームしていく。

1 遠めがねの図

もう少しだ。木の輪郭が見えた。湿地帯はこの奥か。
さらに風景がズームしていく。
あっ、ウグイスだ。目が会った。
するとウグイスはアホを見下すような
目つきになった。
「アホーホケキョ」。
一声鳴くとウグイスは飛び立った。
山にはいつまでも
「アホーホケキョ」がこだましていた。

「先生、散歩に連れていってください」

弟子の北小岩くんがやってきた。

たまには風に吹かれてみるのもいい。
私たちはあてどなくバスに乗る。
行き先を決めずにバスに乗るのは、都会の上質な旅である。

北小岩くんが深刻な顔をしている。

「どうしたんや、北小岩」

「先生、私はバスに乗るのが
大好きです。
バスがけなげに
働いているのを見ると、
ホロリときます。
だけどなぜバスは
こんなにけなげに働くのですか」

2 ボスの図

先生「成長したな、北小岩。
   ここだけの話やが、バスの親玉には
   『ボス』というヤツがおるねん」

弟子「強そうな方ですね」

先生「こいつがえらいワルなんや。
   その上、とてつもなくでかい」

弟子「どのくらい大きいんですか」

先生「普通のバスがこれくらいやと、
   『ボス』はこれくらいやな」

弟子「うげっ!」

先生「でかすぎて道を走ることができん。
   だからバスにごっつう働かせて、
   上前をはねとんや」

弟子「知りませんでした、先生」

先生「勉強せいや」

二人を乗せたバスは交差点を右折し、夢の島へと直進した。

1998-06-26- FRI

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