北小岩 |
「先生、見事ですね」 |
小林 |
「そうやろ」 |
北小岩 |
「こんなに見事なゴザは、
わたくし今まで見たことがございません」 |
小林 |
「あほ。花見に来てゴザを誉めとるやつがおるか。
心の目をぱっくりと開けて、
桜の妖艶とぎりぎりの勝負をしたらんかい!」 |
小林先生と弟子の北小岩くんは、
上野に桜見物に来ている。
これ以上開けない股のように満開である。 |
小林 |
「お前、さっきから何飲んどるんや?」 |
北小岩 |
「牛乳でございます。
わたくしお花見の時には、
酔って桜を鑑賞できなくならぬよう
お酒をつつしみ、
升で牛乳を飲むことにしております」 |
小林 |
「なかなかの心がけやないか。
鑑賞できない状態というのは、
いうなれば不鑑賞や。
不鑑賞は不感症に通じる。
桜を奥の奥まで愛でるには、
感じやすい状態を保つことが重要やからな。
ところで北小岩、
梶井はんの件については、どうやった?」 |
北小岩 |
「はい。めくるめく真実が発覚いたしました」 |
梶井はんの件というのは、
梶井基次郎の小説「桜の樹の下には」のことである。
氏はその短編で、桜の樹の下には屍体が埋まっていて、
それゆえ桜は
神秘なまでの美しさを誇れるのだと著している。 |
北小岩 |
「埋まっているのは、屍体だけではありません。
例えば同じ場所にあるのに、
一本だけ早く開花する桜があります。
その樹の下には、
湯たんぽが埋まっているそうです」 |
小林 |
「ほほう。なかなか風流な話やないか。
そういえば早漏のSさんが
『早咲き桜は早漏なんだよ。
でも、早漏だって
女の人を喜ばせることができるんだ』
と自分に言い聞かせるように語っていたが、
それは大間違いというこっちゃな。
他にはどうや?」 |
北小岩 |
「悲劇的な桜もあります。
花を咲かせているのに、
やたらと立小便をひっかけられる樹がありますね。
そこには男の小便器がたくさん埋まっているのです」 |
|
小林 |
「うむ。確かに尿意を催した時、
まるでおいでおいでをされているかのように、
ついふらふらと特定の樹に
すい寄せられてしまうことがある。
それが小便器の仕業だったとは。
それにしてもとてつもない災難やな。
もし俺が桜だったら、
せめて女性用の便器を埋めておいてほしいものや」 |
北小岩 |
「先生、その考えは甘いです。
女性用の便器は、男性用の大便器と同じです。
そんなものを埋められたら、
腹をこわした男たちに
野糞をたれられるのが関の山です」 |
小林 |
「いつの間にか成長したな、北小岩。
となると、小便器と大便器を
同時に埋められないよう
神さまに祈るより方法なしやな」 |
北小岩 |
「そうなんです。
だから桜の樹は、
自分の所に便器を埋められないようにと
ナーバスになり、ストレスで
あんなに肌があれてしまったのです」 |
小林 |
「桜にも人知れぬ悩みがあるんやな」 |
北小岩 |
「意外なものもありました。
婚約を破棄された人の
エンゲージリングが埋まっている樹は、
そこでつい男の人が
プロポーズをしてしまいますが、
うまくいかずに婚約期間中に別れてしまいます」 |
小林 |
「桜には魔力があると思っていたが、
やはり侮れんな」 |
北小岩 |
「しかし、婚約破棄などまだいいほうです。
ほんとに恐ろしいのは・・・」 |
小林 |
「恐ろしいのは?」 |
北小岩 |
「折れたフランクフルトが埋められた桜が
あることです!」 |
小林 |
「なんと!そんなモノを埋められたら
一巻の終わりや。
もしそれに気づかずに近づいてしまったら、
大切なムスコがぽっきんや。
ここにある桜は大丈夫なんか!」 |
北小岩 |
「はい。私もそれを懸念し、
先日この樹の下を掘り起こして見ましたが、
折れたフランクフルトは出てきませんでした」 |
小林 |
「それにしては、この樹だけ
急に花びらが散り始めているで。
もう一度、ようく確かめてみい!」 |
北小岩 |
「はい。
よいしょ。こらしょ。
よいしょ。こらしょ。あっ!!」 |
小林 |
「フランクフルトか?」 |
北小岩 |
「いえっ!形は似ておりますが違います。
これは電気コケシです!」 |
小林 |
「何っ!」 |
北小岩 |
「しかも、スイッチがオンになっております!」 |
小林 |
「それは変やで。
さっきまでは動いとらんかったのに、
誰が地中の電気コケシのスイッチを入れたんや?」 |
北小岩 |
「あっ!もぐらが逃げていきます」 |
小林 |
「そうか!モグラは地上が苦手やから、
桜の美しさを堪能できん。
だから腹いせに電気コケシのスイッチを入れ、
その振動で花びらを散らして
俺たちを寂しい気持ちにさせよう
たくらんだんやな。
北小岩、すぐにその電気コケシを
引っ張りだすんや!」 |
北小岩 |
「はいっ!」 |
この騒ぎを聞きつけ警官が全力疾走してきた。
公衆の面前で大の男が二人、
動いた電気コケシを片手にわめいているのだから、
職務質問だけではすまされないだろう。
小林先生と北小岩くん、危機一髪である。
桜の樹の下に埋まっているのは屍体だけではない。
そこには人格を根底から否定されるような
危険な濡れ衣までもが埋まっているのである。 |