本の装丁のことなんかを
祖父江さんに訊く。

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第6回 考えてる時間も、問題ですもんね。


 
糸井 自分の事務所のスタッフには
どうやったらやりやすいかなあ、とか
考えて与えちゃうじゃない?
ここをこうやればもっとやるのにな、って。
ここは覚えていないから教えておこう、とか。
祖父江 そうですね。
こうこうこういうことで
こうなるんだよ、とか、
けっこう丁寧に教えちゃうんですよ。
糸井 教えちゃうよね?
しかもそれに、すごく時間を
とっちゃったりしますよね(笑)。
祖父江 『学』として学んでおいたほうが
いいであろう、と思っちゃうんですね。
糸井 きっと相手は聞いていないんですね。
んなことは。
祖父江 そうですね。
言わずにすますのか・・・。
糸井 むつかしいけど、
ちょっと挑戦したいね。
祖父江 でも、かなりむつかしそうですね、
やるとしたら。
糸井 アメリカの野球のコーチが
そうらしいです。
聞きに来ない限りは教えないって。
祖父江 へー。
糸井 で、聞きにいったら
「こうだよ」って言うんです。
日本人は教えすぎかも。
祖父江 そういうのが、大事なのかも。
糸井 農業は、教えるんだよね。
ああしてこうして、
そうやっちゃだめとか。

おんなじことのくりかえしじゃないですか。
だから、どこまでが成功、どこまでが失敗、の
線がきれいに出るじゃないですか。

このくらいの高さくらいになったら
植え替えて、とか。
「いいアイデアがあるんですよ」
とか言って、作物をほっとくわけには
いかないじゃないですか。
祖父江 考えてる時間も、問題ですもんね。
糸井 でも狩猟的に考えると、
やっぱりばくちだから、
「・・・の、はずだ」で行ったら
いませんでした、っていうの、
ありますよね?
祖父江 うん。
糸井 あと、狩猟は、手伝う誰かが失敗したら、
自分があぶない、というのも、ありますよね。
農耕じゃなくて、
狩猟方面にに持っていったほうが、いいね。
祖父江 ええ。
糸井 だから、祖父江さん、
工作舎にいて、よかったんだね。
いけないことは何もない、っていうことが
よくわかるね。
祖父江 工作舎にいた人って、みんな、
自分が工作舎にいたこと言わないけど。
それもまた不思議なんですね(笑)。
糸井 そんだけ、濃いものがあったんでしょうね。
祖父江 なんかねえ。あるんでしょうね。
糸井 本じたいが濃いもん。
祖父江 工作舎のデザイナーは、
7級の字(※とても小さい活字)とか、
使っていましたからねえ。
糸井 (笑)あった、あった。
いま、7級って、誰が読むんだよ、
って感じですよね。
あれはやっぱ、ああすると読むんですか?
祖父江 あれは、
7級にすると、入りこむんですよ。
そうすると、まわりが見えなくなるから、
いい効果なんです。
糸井 宗教書にはぴったりなんだ。

いま、デジタル的なデザインしてる人って、
7級的なことを、やりたがりますよね?
祖父江 やりたがりますね。
あれはね・・・
ちょっと、問題ですね。
糸井 周囲に、目を動かせない効果があるんだ。
祖父江 そうですね、印刷の場合は。
やっぱり、これで20級とか24級で打たれたら、
のめりこんでは見ないですよね。

やっぱり、自分の場所と本との関係性を
味わいながら、読んでいますよね。

ひどい時には、7級じゃなくて
5級くらいのキャプションもありましたよ?
糸井 (笑)
祖父江 どこまで読めるんだろう、っていう。
糸井 (笑)あったかも。
ほんとにアリがいる、みたいなの、
あったよねえ?
祖父江 ええ。
糸井 俺は、工作舎の流行っていた年代より
ちょっと上なので、あんまり、
行かなかったんですよね。

でも、時々、文学書か何かで、
これは読みたいなあと思っているようなのが、
ポンポン出るじゃない。
それが魅力的でしたよね。
ああいうプロデュースはよかったですよ。
はずれと当たりがものすごく激しいの。
祖父江 そうですね。
いい本は、ありましたね。

(つづく)

2001-03-22-THU

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