本の装丁のことなんかを
祖父江さんに訊く。

(雑誌『編集会議』の連載対談まるごと版)

第8回 乱暴な色づかいだとか。


 
糸井 祖父江さん、いまいくつですか。
40歳、超えましたか?
祖父江 42歳くらいですね。
糸井 ああ、そのくらいだと、
「美意識は、だめ」って言えますよね。
青春、終わってますよね。
祖父江 終わってますね。
糸井 こどもが、できたりすると、
変わったりするし。
前は、俺も、なんであんなに、
こだわっていたのかな?と思う。

・・・祖父江さん、昔の
仮想のライバルとか、いたんですか?
祖父江 仮想のライバルは、けっこう
そのたびごとに変わりますけど、
いましたね。
糸井 それは、同じ世界で?本の装丁?
祖父江 装丁ですね。
糸井 誰を意識していましたか。
今だから言うと。
祖父江 当時は、奥村靫正さんとか、井上嗣也さん。
糸井 ああ、なるほど。
使ってる小道具は近い気がするよね。
奥村靫正、井上嗣也のラインはわかる。
祖父江 やっぱり、すごいなと思って。
糸井 嗣也なんかも、
すごく荒っぽくデザインをするくせに、
最後に、これでなきゃだめだとか
どこに持っていくかというのが、
実にうまいです。

どうできるかが、見えてるんだよね。

彼も、祖父江さんとおんなじだけど、
印刷屋出身ですよね?
デザイン屋として、中央競馬出身じゃなくて
公営競馬出身ですよ。
祖父江 それでなんだ。
糸井 「やるな」と言われたことを
やった人ですよ。
祖父江 刷りがやっぱり、違うもんなあ。
刷りが、いいんですよねえ。
糸井 うん。
祖父江 インクといい、盛り方といい、
分解法といい、ね・・・。
糸井 そこは、ものすごくうるさいですよね。
祖父江 ねえ。
嗣也さんは、やっぱり衝撃だったですね。
糸井 いまは、ライバルというよりも、
受け手として、いいじゃない、って思えますよね。
祖父江 いまはやっぱり、
原点に戻って、湯村輝彦さんとか。
糸井 ああ・・・。
湯村さんのことを想像すると、
やっぱり、距離あるよね。
祖父江 湯村さんはやっぱりすごいよなあ、
と思いますよ。
糸井 俺もそれは、一年に10回くらい
湯村さんのことを思いますね。
これは、みんな、ぼくと
湯村さんとが一緒に仕事をしていた
時代というのを、忘れているんですよ。
だけど、時々、じぶんを補正するみたいな、
頭の中が、
「あれ、あたまよくなっちゃってるぞ、じぶん」
みたいな、そういう時に、湯村さんの仕事とか
湯村さんがぽつんと言っていたこととかで、
すごい戻りますよね。

デザインを知るには、
湯村さんがいちばんですよね。
いまぼくらが言ったようなことを、
最初からぜんぶしてますもん。
乱暴な色づかいいだとか。
祖父江 こんな色は、まずしない、というか、
しちゃいけないようなので・・・
でも、いいんですよ。
糸井 でもあの人、押し入れに
資料をいっぱい持っていますよね。
あの乱暴さを補うための、
これはいいかな、みたいなところが、
ものすごいですよ。

一緒に会った時に、ぼくは
筆ペンを使いはじめたんですよ。
そしたら
「それ、いいな」って、
次の仕事から筆ペンで書くようになっちゃって、
で、「いいのよね、これが」って。

壊しちゃう、とかじゃなくて、
忘れちゃうのね、前のことを。
で、ああいうのやりたい、というと、
絶対に戻らないですね。
あの思い切りは、今でも思うと、
あんな人はいない。

横尾さんと一緒にやっていたんですよ。
「流行通信」を。
祖父江 ああ、流行通信。
糸井 横尾さんがアートディレクターで、
湯村さんがデザイナーで、
どっちともつかずのデザインを、
けっこうやってますね。

あれはおかしかったね。
祖父江 手書きで、殴り書きの字で。
糸井 (笑)嫌でしょ? 今思うと。
雑誌のアートディレクションって、
そんなにおもしろいのか、と
しみじみ思ったですね。

やっぱり横尾さんは別格なところがあるし、
ああいうところの存在に早くなれる人と、
一生なれない人との世界があって。

祖父江さんはいま、どっちかと言うと、
そっち方面ですよね?

(つづく)

2001-03-26-MON

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