糸井 |
祖父江さん、いまいくつですか。
40歳、超えましたか? |
祖父江 |
42歳くらいですね。 |
糸井 |
ああ、そのくらいだと、
「美意識は、だめ」って言えますよね。
青春、終わってますよね。 |
祖父江 |
終わってますね。 |
糸井 |
こどもが、できたりすると、
変わったりするし。
前は、俺も、なんであんなに、
こだわっていたのかな?と思う。
・・・祖父江さん、昔の
仮想のライバルとか、いたんですか? |
祖父江 |
仮想のライバルは、けっこう
そのたびごとに変わりますけど、
いましたね。 |
糸井 |
それは、同じ世界で?本の装丁? |
祖父江 |
装丁ですね。 |
糸井 |
誰を意識していましたか。
今だから言うと。 |
祖父江 |
当時は、奥村靫正さんとか、井上嗣也さん。 |
糸井 |
ああ、なるほど。
使ってる小道具は近い気がするよね。
奥村靫正、井上嗣也のラインはわかる。 |
祖父江 |
やっぱり、すごいなと思って。 |
糸井 |
嗣也なんかも、
すごく荒っぽくデザインをするくせに、
最後に、これでなきゃだめだとか
どこに持っていくかというのが、
実にうまいです。
どうできるかが、見えてるんだよね。
彼も、祖父江さんとおんなじだけど、
印刷屋出身ですよね?
デザイン屋として、中央競馬出身じゃなくて
公営競馬出身ですよ。 |
祖父江 |
それでなんだ。 |
糸井 |
「やるな」と言われたことを
やった人ですよ。 |
祖父江 |
刷りがやっぱり、違うもんなあ。
刷りが、いいんですよねえ。 |
糸井 |
うん。 |
祖父江 |
インクといい、盛り方といい、
分解法といい、ね・・・。 |
糸井 |
そこは、ものすごくうるさいですよね。 |
祖父江 |
ねえ。
嗣也さんは、やっぱり衝撃だったですね。 |
糸井 |
いまは、ライバルというよりも、
受け手として、いいじゃない、って思えますよね。 |
祖父江 |
いまはやっぱり、
原点に戻って、湯村輝彦さんとか。 |
糸井 |
ああ・・・。
湯村さんのことを想像すると、
やっぱり、距離あるよね。 |
祖父江 |
湯村さんはやっぱりすごいよなあ、
と思いますよ。 |
糸井 |
俺もそれは、一年に10回くらい
湯村さんのことを思いますね。
これは、みんな、ぼくと
湯村さんとが一緒に仕事をしていた
時代というのを、忘れているんですよ。
だけど、時々、じぶんを補正するみたいな、
頭の中が、
「あれ、あたまよくなっちゃってるぞ、じぶん」
みたいな、そういう時に、湯村さんの仕事とか
湯村さんがぽつんと言っていたこととかで、
すごい戻りますよね。
デザインを知るには、
湯村さんがいちばんですよね。
いまぼくらが言ったようなことを、
最初からぜんぶしてますもん。
乱暴な色づかいいだとか。 |
祖父江 |
こんな色は、まずしない、というか、
しちゃいけないようなので・・・
でも、いいんですよ。 |
糸井 |
でもあの人、押し入れに
資料をいっぱい持っていますよね。
あの乱暴さを補うための、
これはいいかな、みたいなところが、
ものすごいですよ。
一緒に会った時に、ぼくは
筆ペンを使いはじめたんですよ。
そしたら
「それ、いいな」って、
次の仕事から筆ペンで書くようになっちゃって、
で、「いいのよね、これが」って。
壊しちゃう、とかじゃなくて、
忘れちゃうのね、前のことを。
で、ああいうのやりたい、というと、
絶対に戻らないですね。
あの思い切りは、今でも思うと、
あんな人はいない。
横尾さんと一緒にやっていたんですよ。
「流行通信」を。 |
祖父江 |
ああ、流行通信。 |
糸井 |
横尾さんがアートディレクターで、
湯村さんがデザイナーで、
どっちともつかずのデザインを、
けっこうやってますね。
あれはおかしかったね。 |
祖父江 |
手書きで、殴り書きの字で。 |
糸井 |
(笑)嫌でしょ? 今思うと。
雑誌のアートディレクションって、
そんなにおもしろいのか、と
しみじみ思ったですね。
やっぱり横尾さんは別格なところがあるし、
ああいうところの存在に早くなれる人と、
一生なれない人との世界があって。
祖父江さんはいま、どっちかと言うと、
そっち方面ですよね?
(つづく)
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