糸井 |
はじめて東京に来たとき、
リーゼントですか? |
零士 |
リーゼントですね。
“クリームソーダ”ってクシ
ふところに入れて(笑)。
あったでしょ? |
糸井 |
“ピンクドラゴン”とか。 |
零士 |
あー、ありましたねぇ!
そういう時代ですよ。 |
糸井 |
じゃあ、そこでは、静岡で通用してたものが、
「通用しないな……」って一回カベにぶち当たるの? |
零士 |
あー、当たりましたね。
素直に認めましたね。
「あーダメだ!」って。
「俺はかんちがいしてたな」って。
ただ、それが財産だ、という感じで、
べつに恥ずかしくない。
俺は気づいたんだから、これはこれでいいんだ、と。
だって、服ないですから、買うカネもないですから。
で、金縁でうすーい茶色のサングラスかけて、
割と顔が小さめなのに、サングラスは妙にでかいんですよ。 |
糸井 |
カマキリみたいに。 |
零士 |
そうです、カマキリみたいで。
当時、僕、体重55キロしかなかったですから、
今65キロくらいありますけど、
当時はひょろひょろで。 |
糸井 |
あの……“武器”っていうとさ、
高校生が普通に考えることだと、
バンドやるか、スポーツやるか、
どっちかじゃないですか。
まあ勉強できるってのは、あんまりモテないよね。
で、零士さん、今の3つ、どれも関係ないじゃない。
そこが不思議だよねー。 |
零士 |
ぜんぜん関係なかったですね。
だから、いいと思ったら、
なんでも食いつくんでしょうね。 |
糸井 |
例の“ガブガブ”ですか? |
零士 |
ガブガブですねぇ。
だから、今思うと、あの時は、ちょっとこう、
顔が赤くまではならないけど、
バカだったなぁ……でも純粋だったなぁ。
本人は大まじめですから。
自信満々で東京に行って……。
今でも覚えてるのは、
渋谷のスクランブル交差点ありますよね、
あそこで、水色の上下のすっごい服着てたんですよ。
まるで、チケット売ってる……何でしたっけ?
「買うよー、あまってない?」って言う人。 |
糸井 |
ダフ屋? |
零士 |
そーそー、ダフ屋みたいな、かっこうしてたんですよ。
それも上下、水色の服ですよ!
白のとんがったクツに。
今思えば、あれでイケてると思ってたのが、
渋谷のスクランブル交差点を歩いてて、
周りをバーッと見渡した瞬間ですよ、
「ちがう……俺はちがう……やっちまった……」。
横にいた友達を見て、
こいつはイケてるんだ、と。 |
糸井 |
フミヤ系だ。 |
零士 |
静岡に帰って、そのままそいつに
「どこで服かった?」って聞いて、
そのまんまその服屋行って、
自分なりにいろいろ訊くんですよ、
「実は、恥をかいた……、
東京に行くのにナウいかっこうはどれだ?」って。
で、その店のお兄さんから教えてもらって、
シングルの三つボタンの茶系のジャケットに、パンツに、
スニーカーと革靴のまざった感じのクツをはいて、
かわいいっぽく、ブローチかなんかつけちゃったりして、
「ノータイで行ったほうがいいよ」なんて言われて。
で、初めてディスコに行ったんですよ。
まずは浜松で。
そして初めて、「俺は標準にもどったんだな」と思った。
で、決めたんですよ、東京行こうって。
「もう大丈夫だ!」。 |
糸井 |
早いね。 |
零士 |
早かったです。
それでサーッと行ったんですよ。 |
糸井 |
東京にアテがあったんですか?
何をやるかという。 |
零士 |
その友達が教えてくれたんですよ。
やっぱホストのメッカは新宿で、
いちばんでかい店は「愛」だと。 |
糸井 |
モテるやつが、その才能をそのまま商売にするなら、
新宿に行って……。 |
零士 |
ええ。
で、いちばんでかい店に入ったほうがいいと。 |
糸井 |
え、じゃすぐ店に入っちゃったわけ!? |
零士 |
すぐ面接行ったんですよ。 |
糸井 |
ほかの商売なんにもしないで、
いきなり「愛」なの? |
零士 |
そうですよ。
ただ、まあ、親父がレストランとか喫茶店やってたんで、
もともと料理好きだったんですよ。
だから外食産業やろうと思ってたんで、
自分でなんか料理したりするのは得意でしたよ。
実際やってましたから。 |
糸井 |
それは手伝ってるって感じで? |
零士 |
親父の店だけど、
自分で一生懸命やってましたね。 |
糸井 |
それはでも、就職したわけじゃないですよね? |
零士 |
就職してましたよ。
自分ちの店からちゃんと給料もらって、
やってました。 |
糸井 |
じゃ、「愛」に入ったのは何歳くらいですか? |
零士 |
19歳ですね。 |
糸井 |
つまり、17歳の高校生で、
机に弁当がじゃんじゃん積み重なってるところから、
約2年で、イメージチェンジして……「愛」。 |
零士 |
「愛」です。 |