2011年3月11日、東日本大震災がおきました。
10年が経った今日、私たちは、
あの日を思い出したり、
区切りを感じたりするのかもしれません。
日本に住む私たちはそれぞれ、
ここに至る道のりを一歩ずつ進んできました。
今日がほんとうは特別な日ではない、
ということもわかっています。
しかし、どんなに関わりが少なかったとしても、
あの震災に暮らしを左右されなかった人は
いないんじゃないだろうかとも思います。
ほぼ日が親しくしている方々に、
この10年をテーマに、ご寄稿いただきました。
ヤマブン姉妹
この10年の間で私たちの中で
明らかに大きくなっている想いがあります。
それは、地元である相馬市、福島県。
そして実家のお店。
それらがとても愛おしい、という想いです。
この想いは、一気に、というよりは、
だんだん強くなっていっている気がします。
福島県相馬市に150年以上続く味噌醤油屋があります。
「相馬ヤマブン山形屋商店」といい、
ここが私たちの家です。
味噌、醤油、麹や甘酒の製造販売を行う、
小さなお店です。
店舗営業の他に、曽祖父の時代から地域の学校給食にも
当店の味噌醤油が使われていたり、
旅館や飲食店に卸していたり、
地元のスーパーなどにも置いていたり。
今でも地元に根付く商店です。
私たちがヤマブン姉妹と名乗っている理由は、
この家業の屋号からです。
ここで生まれ育った私たちは、
大学進学と同時に上京しました。
ですので、東日本大震災は東京で経験しました。
だからなのでしょうか。
あの震災をきっかけに、
地元への想いが溢れてきたのです。
それまで、キラキラした(ように見える)都会に憧れる
学生だったので、その想いが見えなかったのか、
はたまた見ないようにしていたのか。
都会ならロフトでほぼ日の商品を直で選べたり、
仕事帰りに大好きな観劇に行けたり。
気軽にカフェに寄れるし、有名なお菓子だって
いつでも買える!と思っていました。
こう振り返ると、きっと見えなかったのだと思います。
震災後、当店の濃口醤油が、全国醤油品評会で
農林水産大臣賞という大きな賞をいただきました。
震災の翌年に他界した祖父から引き継いだ技術と
さらに研究を重ねた父が、
「風評被害で苦しんでいた福島県の醤油が
安心安全なものなのだと広めたい」
という強い思いで出品したのです。
こんな小さなお店のお醤油が最高賞をとるなんて、
とても驚きましたが、それと同時に、
誇りに思う自分たちがいました。
全国でも認められるものを作っているお店なのだと
初めて実感しました。
そうして、不思議な状況になりました。
風評被害などで売り上げは落ち込んでしまう、
けれども「賞を取ったお醤油が欲しい」と
求めてくださるお客さまは増える。
また、復興関係のお仕事が増えました。
(現在進行形なので感謝しかありません)
売り上げは落ち込んだものの新たな対応に追われて
忙しくて大変という、状況に。
ご注文頂くことはもちろん嬉しいのですが、
家族の忙しさを東京から見ていた私たちは、
心配な気持ちが増していきました。
誇る思いと心配な思い。私たちも帰って手伝いたい…
震災から5年経ち、姉妹で帰ることを決めました。
あともうひとつ。
東京にいる間に、福島県という大きい単位で
福島に対する想いが強くなった出来事があります。
上京してみて感じたことなのですが、友達や先輩など、
「福島はどこにあるの?」という方が多かったのです。
それが一気に、東日本大震災により全国に、
原発事故により世界に知られることになりました。
私たちが暮らしていた時期の東京では、
福島県に対してどちらかと言うとマイナスの、
私たちにとっては心配になるニュースや悲しいニュース
ばかりが放送されていました。
報道される量は減っていき、正直苦しかったです。
でもそんなとき、ずっと福島県に寄り添ってくれている
ミニ番組がありました。
NHKの「綾瀬はるかのふくしまに恋して」という番組。
震災時から今も福島県の明るさしか放送していません。
それが励みになり、安心を与えてくれました。
帰る決断をした私たちの背中を押してくれた、
今でも大好きな番組です。
大地震と大津波が生まれ故郷を襲う、
原発事故という前代未聞の事故が起きる、
それから10年経つというところでまた大地震が来る。
「経験しなくてもいいのではないか?」とさえ
思ってしまう出来事は、想像以上に苦しく、
日々の些細な楽しいと感じること、例えば
毎週のテレビドラマさえも見たくなくなるほどでした。
けれど反対に「嬉しいこと」
「自然と感謝が湧き出てくること」が、
自分たちの想像の範囲を超えてこんなにも起こると、
それは、大小は関係がなくて、全てトキメキで溢れ、
愛おしいものなのだと、私たちに教えてくれたのです。
相馬に帰ってきて、
私たちがお店を手伝い始めたことを、
たくさんの常連のお客さまがとても喜んでくださいます。
特に双子なこともあり、
小さい頃の私たちを覚えていてくださる方が多く、
嬉しそうに「こんなに小さかったのに!」と
話す笑顔は、本当にこちらまで嬉しくなります。
身内でなくても私たちの成長を喜んでくれる
方々がいることに、驚きと嬉しさ、
そして感謝の気持ちでいっぱいになります。
そして、そんなとき、ほぼ日さんのイベント
「相馬で気仙沼さんま寄席」が相馬で開催されました。
震災以降、相馬に来て復興について取り組んでいる
復興MIRAIさんが後押しをしてくださり、
大好きなほぼ日さんと一緒に仕事ができました。
そのときに、全国から相馬にいらっしゃる皆さまに、
住んでいる者の目線だからこそできる相馬の発信を
(ガイドには載っていない飲食店や休める場所、
買い物ができる場所の会場や駅からの距離など)
したいなと思い、Twitterを始めました。
発信することを探す、という行為によって、
ここのトンカツが美味しい、
ここの猫ちゃんに癒される、
松川浦に素敵なお散歩スポットがあるなど、
近所にトキメキが溢れていることに気がつけました。
震災で変わった場所はたくさんありますが、
昔から知っている場所を改めて愛おしく想う気持ちが
一層強くなりました。
今、日々そういうものを見つけることが楽しいです。
先月の大地震、相馬市は震度6強でした。
東日本大震災よりも大きい揺れだったと、
家族は話しています。
当店は建物、商品等以前より被害を受けました。
たくさんの損傷をカメラに収めているとき、ふと、
山形屋がなくなってしまうのでは…
そんな思いが頭をよぎりました。
10年前、被害直後の状況を間近では
見ていなかったので被害を目の当たりにし、
一気に不安が襲ってきたのです。それは嫌だ!
やっぱり山形屋は私たちにとって
大切な愛おしい存在なのだと、
改めて強く気付かされる出来事でした。
当店の被害が大きかったことを、
テレビや新聞、SNSで知った方々が
直接「声」を届けてくださいました。
来店してくださったり、お電話をくださったり。
メッセージをくださったり。
いつも買いに来てくださるお客さま、
いつも電話注文してくださるお客さま。
お世話になっている取引先の方々。
お互い顔も知らない方々。
直の声の温かさがどれだけ励みになることなのか、
身に染みました。応援いただき感謝しかありません。
10年という節目を迎え、
さらに余震と言われる大地震が10年目に起こり、
その中で半分は東京、もう半分は地元で
日々過ごして思ったことを書かせていただきました。
いつも支えてくださる皆さま、
本当にありがとうございます。
そして、ほぼ日さまとのご縁に心から感謝しています。
今まで通り、地元に根付く山形屋であって欲しいし、
ずっと食べてくださっているお客さまに変わらぬ味と
山形屋らしさを届けたい。
そして、始めたばかりのネット販売なども含め、
新たに山形屋の味を知ってくださる方々も
増えたらいいなと願って、
私たちの語りを終わりにしたいと思います。
長い文章を最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。
海も山も街も人々も、
少しシャイだけれどもとても温かい場所、
トキメキが溢れる場所、相馬市。
たまに思い出していただけたら嬉しいです。
ヤマブン姉妹
<ヤマブン姉妹のプロフィール>
冒頭の写真の
右が姉・渡辺ゆきのさん、左が妹・渡辺絢華さん。
福島県相馬市生まれ。
5代続く老舗の味噌醤油屋「相馬ヤマブン山形屋商店」で育ち、
大学進学と同時に上京。
ヤマブン本醸造特選醤油は農林水産大臣賞を受賞。
2016年、発酵マイスターの資格を取得し、Uターン。
現在はオンラインショップもスタートしています。
ヤマブン姉妹のTwitter:@yamabunsisters
ほぼ日のこれまで登場したコンテンツ:
「相馬で気仙沼さんま寄席をテキスト中継!」など。
(つづきます)
2021-03-11-THU