2011年3月11日、東日本大震災がおきました。
10年が経った今日、私たちは、
あの日を思い出したり、
区切りを感じたりするのかもしれません。

日本に住む私たちはそれぞれ、
ここに至る道のりを一歩ずつ進んできました。
今日がほんとうは特別な日ではない、
ということもわかっています。
しかし、どんなに関わりが少なかったとしても、
あの震災に暮らしを左右されなかった人は
いないんじゃないだろうかとも思います。

ほぼ日が親しくしている方々に、
この10年をテーマに、ご寄稿いただきました。

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小池花恵さん

子どもの写真、飼っている猫、犬の写真。
心が動いた本。
食べた瞬間少し無言になって、
誰かに教えたくなった食べ物。
旅先で見た朝のオレンジ色の光。

iPhoneの写真をスクロールすると、
好きなものしか写っていないと思うんです。

2018年の5月からマネージャーをさせていただいている
写真家の幡野広志さんから教えてもらったこと。

最近はカメラを持つようになって、
めっきりiPhoneで撮影する機会が減ったけれど。
改めてiPhoneの中を見てみると。
好きなものとその時心の動いたものが、
たくさん写っている。

2005年の6月16日から始まっているiPhoneのアルバム。

2005年5月11日に、ほぼ日に入社してから約1ヶ月後。
社員旅行で訪れたバリの写真が、
iPhoneの中にある最初の1枚。

スライドショーでゆっくりと流れてきた、
自分のうつる写真。
ヤンキーばりの眉毛の薄さにびっくりして
思わずスクショ。
あ。念のためお伝えしておきますが、
旅先の「バリ」とヤンキーばりの「ばり」は
かかってないです。

バリのホテルで同室だった山﨑華恵ちゃんが、
一緒に写っています。
同い年、同じ名前。
(華恵と花恵で漢字は違うのだけれど、
身近で同じ名前の人と会ったのは、
生まれて初めてでした)
縁て不思議なものだなぁと、iPhoneを見ていても思う。

名前の同じ二人はこの10年後、2015年にほぼ日を卒業。
それぞれの別の道を歩んでいますが
2011年気仙沼のほぼ日を立ち上げる際、
一緒に東北に通ったのが山﨑華恵ちゃんでした。

自己紹介が遅れました。小池花恵と申します。
現在はand recipeという
小さな会社をやっていますが、
2015年10月31日まで、
ほぼ日の乗組員として東京糸井重里事務所に
お世話になっておりました。

あと数日でやってくる2021年の3月11日。

「この10年」というテーマで、
自由に文章を書いてくれませんかと
ほぼ日の菅野さんからご連絡をいただいてから数日間。
何を書こうか考えながら、
iPhoneの中の写真を眺めていました。
検索キーワードを「気仙沼」にすると。
携帯の中には、718枚の写真があるようです。

東北のことを書こうとすると。
あれもこれも書かないわけにはいかなくなって、
長く長くなってしまう。
iPhoneの中の写真と、その時の様子を短く辿ることで
この10年を振り返ろう。

iPhoneのロールの中には、
わたしの好きな東北がたくさん詰まっているはず。
短く辿るといいながら、
長くなりそうな予感しかしませんが、
しばしお付き合いくださいませ。

2011年3月11日14時46分。
皆さんはどこで、何をされていたでしょうか。

わたしはというと。
練馬にあるスタジオで取材のため、
編集の奥野くん・デザイナーの外山ちゃんと
駐車場を出発をした時が、ちょうど14時46分でした。
駐車料金を払って、道路にでた瞬間、
ハンドルから伝わる車全体の感覚がおかしくなった。
道路がグニャグニャ湾曲してる?
それとも、タイヤがパンクしたかな。
ちょっと変だなと思いながらも、
取材に遅れるわけにいかない。
少し窓を開けて車輪の音を確かめながら、
美容室の多い表参道の裏通りを走りました。

「パリン。きゃー。」
美容室からカット途中のお客さんが、
クロスをつけたまま飛び出してくる。
「何か、あったのかな。」外の様子を気にしながらも、
そのままキラー通りへ出て、
新宿方面に車を走らせました。

十二社通りを抜け、青梅街道に差しかかる手前で、
ハンドルからまた、
さっきと同じグニャグニャした感覚が戻ってくる。
あわてて車を歩道に寄せて停車。
ラジオをつけると、東北で大きな地震がありましたと
繰り返し放送が流れる。
美容室の何かが割れた「パリン」という音。
走行中の車がグニャグニャしていた感覚は、
タイヤのパンクではなく。
東京も揺れていた。

電話は通じなかったけれど、
かろうじてメールは送れたので、
取材先にキャンセルのお願いをし、
このまま子どもを保育園に
迎えにいきますと会社に連絡。
奥野くんを三軒茶屋まで送る道すがらの246沿いは、
歩いて帰宅をする人の数がどんどんと増えていく。

ほぼ日として、どんなお手伝いができるのか。
どんな手伝い方をしていくべきなのか。
どれだけ寝るまを惜しんで情報を集め、
糸井さんが考え続けていらしたのか。
「今日のダーリン」の原稿が到着する、
毎日の時間で判断ができました。

3月11日以降、原稿が到着するのはいつも明け方で、
到着の時間はどんどん朝に近づいていきました。

今では考えられないけれど、
当時ご縁のある東北の方といえば
ほぼ日手帳でお付き合いのあった
仙台のロフトさんのみ。
そこにお邪魔したのが、
東日本大震災が起きた後、
糸井さんが東北に行かれた
最初の機会だったと記憶しています。

その後、Twitterで知り合った
山元町にお住まいの山田春香さんを
糸井さんが尋ねて行かれたのが、2011年の5月7日。

同じ頃、糸井さんがニュースでご覧になった
陸前高田の八木澤商店さんと連絡が取れないか、
あちこちつてを辿っていた時。
仙台市庁にお勤めの佐藤さんという方から届いた
1通のメールが
宮城県庁に勤める山田康人さんが立ち上げた
セキュリテ被災地応援ファンド」のことを
知らせてくれました。

東日本大震災で被災した会社を応援したい
個人の気持ちをファンド化して、
事業者が再建のための資金を調達できる仕組み。
山田さんが有志の仲間とアイデアを考え、
2011年の4月25日に立ち上げたプロジェクトでした。
応援する事業者さんの中に、
八木澤商店さんの名前もありました。

ご紹介をいただけないものかと、
山田さんにメールをお送りすると
びっくりするスピードでお返事がやってきました。

陸前高田の八木澤商店さんだけでなく、
気仙沼の斉吉商店さんアンカーコーヒーさん、
石渡商店さんなど。

ほぼ日が、そしてわたし個人としても。
東北のたくさんの方々との
ご縁の入り口を作ってくださったのが、
山田康人さんでした。

山元町にほぼ日チームがお邪魔する際、
何を持っていったらいいのか、
どんなものだとご迷惑にならないか、喜ばれそうか。
アドバイスをしてくださったのも、
山田康人さんこと山ちゃんでした。

メールで何度となくやりとりをしていた山ちゃんと、
奥さまのむっちゃんとわたしが初めてお会いしたのは
iPhoneの写真によると5月14日。
そうだ、松島にこけしを買いに行く前に
仙台でお会いしたのが最初だった。

「お手伝いが必要な場所はたくさんある。
全ての場所を手伝うことは難しい。
まず、どこか1箇所場所を決めて、
御用聞きをすることから始めたい」

まず1箇所。
糸井さんの言葉がずっと頭の中にありました。

実際に自分の目で見てみないと、
どこか1箇所を考えることは難しい。
仕事としてではなく、
まず行ってみることからはじめよう。

山ちゃんのご案内しますよ、という言葉に甘えて、
気仙沼にお邪魔することになりました。
東日本大震災の起きた3ヶ月後の6月11日。
今一緒に会社をやっている
料理家の山田英季と編集者の友人2人、
カメラマンの友人の計5人で
朝5時に東京を出発。
仙台で山ちゃんと合流し、気仙沼に向かいました。

テレビの画面の向こう側にあった気仙沼。
積み上げられた船の景色と
焼けた油の匂いを鮮明に覚えています。

でもiPhoneの中には、
被災した建物の写真は2枚しかありませんでした。

その代わり、その日嬉しかった時間が
携帯の中には残っていました。

びっくりするほど
歓迎をしていただいてしまった
斉吉さんでのお食事。

冷蔵庫の中に奇跡的に残っていたという貴重なさんまの丸干しと、郷土料理のあざら。あったかいご飯。
冷蔵庫の中に奇跡的に残っていたという貴重なさんまの丸干しと、郷土料理のあざら。あったかいご飯。

さんまを焼いてくださる貞子さんの笑顔。 さんまを焼いてくださる貞子さんの笑顔。

この日友達になったアンカーコーヒーのやっちと斉藤茶舗の道有くん。(道有くんは、現在は東北ツリーハウス観光協会の代表) この日友達になったアンカーコーヒーのやっちと斉藤茶舗の道有くん。(道有くんは、現在は東北ツリーハウス観光協会の代表)

他にもたくさんの方々にお会いして、
あの日お邪魔した全ての場所で明るく迎えていただいた
気仙沼の皆さんの写真がありました。

2011年の自分がほぼ日にいなかったら。
あの日、気仙沼に行かなかったら。
日々が不安で、自分が何をしたらいいのか
わからなくなっていたかもしれない。
写真を見ると改めてあの時の気持ちを思い出します。

1ヶ月後の7月糸井さんと気仙沼にご一緒し、
「まず1箇所」の場所が、気仙沼に決まりました。

そこからの約10年。駆け足で、参ります。

2011年10月29日、気仙沼のほぼ日完成。御用聞きが始まる。
2011年10月29日、気仙沼のほぼ日完成。御用聞きが始まる。

2011年10月29日、小野寺家で「気仙沼のほぼ日」完成のお祝いをしてくださいました。 2011年10月29日、小野寺家で「気仙沼のほぼ日」完成のお祝いをしてくださいました。

2011年12月2日。初めての気仙沼のご案内は、いつもオノデラコーポレーションの紀子さんに。この日は矢野顕子さんが気仙沼に。 2011年12月2日。初めての気仙沼のご案内は、いつもオノデラコーポレーションの紀子さんに。この日は矢野顕子さんが気仙沼に。

2012年1月17日。第一回さんま寄席の準備中。極寒の日。上着を着ていくのを忘れたまま、一足先に東京に戻ってしまった西田くんに気づいた瞬間の山﨑華恵ちゃん。 2012年1月17日。第一回さんま寄席の準備中。極寒の日。上着を着ていくのを忘れたまま、一足先に東京に戻ってしまった西田くんに気づいた瞬間の山﨑華恵ちゃん。

2012年1月21日。唐桑でやっさんと一代さんの牡蠣船に乗せていただきました。後ろ姿は和枝さん。カメラマンの池ちゃんと。 2012年1月21日。唐桑でやっさんと一代さんの牡蠣船に乗せていただきました。後ろ姿は和枝さん。カメラマンの池ちゃんと。

2012年2月4日。斉吉さんにお願いした第一回さんま寄席用のお弁当。大漁旗のかけ紙は和枝さんのアイディア(さすが!)。おいしいおいしいお弁当でした。 2012年2月4日。斉吉さんにお願いした第一回さんま寄席用のお弁当。大漁旗のかけ紙は和枝さんのアイディア(さすが!)。おいしいおいしいお弁当でした。

2012年3月25日。第一回さんま寄席開催 なんと写真が残っていたのはこの1枚だけでした。ホヤぼーや(ズ)。
2012年3月25日。第一回さんま寄席開催 なんと写真が残っていたのはこの1枚だけでした。ホヤぼーや(ズ)。

2012年11月18日。ミナペルホネンの皆川明さんが気仙沼のほぼ日で開いてくださったワークショップ。糸井さんの作品。 2012年11月18日。ミナペルホネンの皆川明さんが気仙沼のほぼ日で開いてくださったワークショップ。糸井さんの作品。

2013年7月1日。東北ツリーハウス観光協会をスタート。ツリーハウスに適した木を探しに行く。木登りもする。 2013年7月1日。東北ツリーハウス観光協会をスタート。ツリーハウスに適した木を探しに行く。木登りもする。

2013年9月28日、第二回さんま寄席開催。この時も写真がこれだけ。どれだけバタバタしていたのだろうか。 2013年9月28日、第二回さんま寄席開催。この時も写真がこれだけ。どれだけバタバタしていたのだろうか。

2013年11月21日。ツリーハウス第一号、もうすぐ完成! 2013年11月21日。ツリーハウス第一号、もうすぐ完成!

2013年12月4日。ツリーハウス0号からの眺めと1号のゴミの片付け終了時の爽快感。 2013年12月4日。ツリーハウス0号からの眺めと1号のゴミの片付け終了時の爽快感。

2014年3月11日。この日は雪でした。山下さん、何を隠しているんだろう。 2014年3月11日。この日は雪でした。山下さん、何を隠しているんだろう。

2014年6月7日、マジカル気仙沼ツアー。参加してくださった皆さんは全員お一人様でお申し込み。皆さん、とっても仲良くなって帰京されました。 2014年6月7日、マジカル気仙沼ツアー。参加してくださった皆さんは全員お一人様でお申し込み。皆さん、とっても仲良くなって帰京されました。

2014年7月7日。糸井さん、みうらじゅんさんとツリーハウス。そしてつなかん。 2014年7月7日。糸井さん、みうらじゅんさんとツリーハウス。そしてつなかん

2015年5月30日、第三回さんま寄席。写真の枚数が増えている。3回目にして少し余裕が。
2015年5月30日、第三回さんま寄席。写真の枚数が増えている。3回目にして少し余裕が。

2015年5月31日、港でマルシェ。カレーの恩返しポップコーンを販売しました。疲れがピーク、この写真を撮ったあとバンの扉で足を思い切り挟む。 2015年5月31日、港でマルシェ。カレーの恩返しポップコーンを販売しました。疲れがピーク、この写真を撮ったあとバンの扉で足を思い切り挟む。

2015年7月5日、つなかんツリーハウス。つなかんの上の蔵を改装したバー。 2015年7月5日、つなかんツリーハウス。つなかんの上の蔵を改装したバー。

2015年8月7日。1ヶ月でここまで完成!つなかんツリーハウス。 2015年8月7日。1ヶ月でここまで完成!つなかんツリーハウス。

2016年9月6日、ほぼ日を卒業してから約1年後。久しぶりの気仙沼。斉吉さん「食べ方のお手紙」撮影。和枝さんに「〇〇さん〜」と名前を呼ばれると、にぎりたてのお寿司が食べられる「呼ばれ鮨」の最中。 2016年9月6日、ほぼ日を卒業してから約1年後。久しぶりの気仙沼。斉吉さん「食べ方のお手紙」撮影。和枝さんに「〇〇さん〜」と名前を呼ばれると、にぎりたてのお寿司が食べられる「呼ばれ鮨」の最中。

2018年11月5日。さゆみちゃん、道有くん夫妻と鼎でごはん。気仙沼にこの二人がいてくれることが、いつも嬉しいのです。 2018年11月5日。さゆみちゃん、道有くん夫妻と鼎でごはん。気仙沼にこの二人がいてくれることが、いつも嬉しいのです。

2019年5月19日 陸前高田発酵パークCAMOCYについて相談中。八木澤商店の河野さんと斉吉商店の和枝さん。鼎にて。 2019年5月19日 陸前高田発酵パークCAMOCYについて相談中。八木澤商店の河野さんと斉吉商店の和枝さん。鼎にて。

2019年8月7日、鶴亀食堂初訪問。天気もよく、最高に気持ちのいい日。ごはんもうんまかった。。(「ん」を入れたい旨さ) 2019年8月7日、鶴亀食堂初訪問。天気もよく、最高に気持ちのいい日。ごはんもうんまかった。。(「ん」を入れたい旨さ)

2020年8月28日、ツリーハウスの事務所がつなかんの横に移転しました。道有くんのセンスが光る心地の良い場所。 2020年8月28日、ツリーハウスの事務所がつなかんの横に移転しました。道有くんのセンスが光る心地の良い場所。

そして約束なしで、会いたい人に会える町。まるきで紀子さんとばったり。 そして約束なしで、会いたい人に会える町。まるきで紀子さんとばったり。

2020年12月10日、陸前高田発酵パークCAMOCYの中にand recipeの小さなイベントスペース「2坪」オープン。これからも、東北に通い続けます。 2020年12月10日、陸前高田発酵パークCAMOCYの中にand recipeの小さなイベントスペース「2坪」オープン。これからも、東北に通い続けます。

だんだんとお邪魔する回数は減ってしまったけれど。
東北で撮影するiPhoneの写真の中には、
いつも誰かの笑顔がありました。
その時のわたしは確実に楽しく嬉しい時間を、
東北で過ごしていて。
思わずシャッターを押している。
人はもちろん、他にもたくさん。
まるきのラーメン、マンボのパフェ。
朝早い時間の内湾の水面。米崎のりんごエール。
陽が落ちたあとに少し遠くから眺める
CAMOCYの灯り。

2011年の6月に初めてお邪魔してからずっと。
目に見えるものも、見えないものも。
何かをいただてばかりだけれど。

震災から10年経って、
自分たちの場所が東北にできました。
いつか恩返しができるように。
その気持ちを忘れないために。
数日後の東北でも、
またiPhoneで写真を撮ろうと思います。

そして最後にもうひとつ、
この10年をふりかえってここでお伝えしたいこと。
ほぼ日って、本当にいいチームなんです。
ほぼ日でなければできないことばかりでした。

ここまでおつきあいいただいた皆様、
ありがとうございました。

小池花恵

 

<小池花恵さんのプロフィール>

株式会社and recipe代表。
料理家の山田英季さんとともに、レシピ開発、
ケータリング、飲食店プロデュース、
旅と食をテーマとしたコンテンツ制作、
通信販売事業などを行う。
元ほぼ日乗組員。
ほぼ日では糸井重里のネジメントも担当していたが、
幡野広志さんをはじめとする
クリエイターのマネージメント業も継続している。
近著に『冷蔵庫にあるもんで REIZOKO NI ALMONDE 』
(幻冬舎刊)がある。

Twitter:@RecipeAnd

(おしまいです。)

2021-03-11-THU

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