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読者のみなさんから届いたお便り #95

 
わたしの父方、母方どちらの祖父母も
太平洋戦争を経験しています。
しかし、誰からも直接戦争の話は聞いていません。
父方の祖母は東京の下町で暮らし、
東京大空襲のその日もそこにいました。
当時おそらく20代半ば。
生前、わたしの父に
「風上へ逃げろ」と言われて生きのびたとだけは、
話していたようです。
母方の祖父は軍の偉い人の運転手だった、とだけ。
何を見て、何を聞いてきたのか、
誰にも話さなかったそう。
誰にも話せなかったのが正しいのかと。
母方は当時それなりに裕福だったようで、
母は終戦後の昭和21年生まれですが、
疎開先だった秋田で生まれ、東京へ戻りました。
わたしは『火垂るの墓』を観るたび、
最後の方で晴太さんの居た横穴の近くに
「このあたりは変わらないわねー」と現れる一家を、
なんとも複雑な思いで見てしまいます。
この感情はなんなのか、言葉にするのが難しいです。
アメリカへ移住した日本人の話で
『アリージャンス~忠誠~』というミュージカルが
あります。
日本に原爆が落とされたという場面のすぐあと、
victoryと書かれたセットの前で歌い踊る場面を
どういう顔で観たらいいんだろう‥‥
と思ったときの感情に似ていますが、
やはり言葉にはできません。
(匿名希望)

2025-11-13-THU

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  • ヴェトナム戦争/太平洋戦争にまつわる
    読者のみなさんからのお便りを募集いたします。

     

    ご自身の戦争体験はもちろん、
    おじいちゃんやおばあちゃんなどご家族や
    ご友人・知人の方、
    地域のご老人などから聞いた戦争のエピソード、
    感銘を受けた戦争映画や小説についてなど、
    テーマや話題は何でもけっこうです。
    いただいたお便りにはかならず目を通し、
    その中から、
    「50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶」
    の特集のなかで、
    少しずつ紹介させていただこうと思います。

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    特集 50/80 ヴェトナム戦争と太平洋戦争の記憶