最近の「Bリーグ」の盛り上がりや、
NBAでの八村塁選手の活躍を見て、
「バスケっておもしろいの?」
と思っている、そこのあなた!
私たちと「にわかファン」になってみませんか?
「バスケのことがもっと知りたい」
というほぼ日乗組員のために、
バスケが大好きな生島淳さんと、
スポーツライターの牧野豊さんのおふたりが、
講座をひらいてくださいました。
ゲームのたのしみ方から注目選手まで、
バスケの魅力をとことん語ってもらいましょう!

この対談の動画は 「ほぼ日の學校」でご覧いただけます。

>生島淳さんプロフィール

生島淳(いくしま・じゅん)

1967年宮城県気仙沼市生まれ。
NBAやMLBなどの海外スポーツから、
国内のラグビー、駅伝、野球まで
幅広いジャンルを追うスポーツジャーナリスト。
著書に『駅伝がマラソンをダメにした』(光文社新書)
『箱根駅伝ナイン・ストーリーズ』(文春文庫)
『箱根駅伝に魅せられて』(角川新書)、
『奇跡のチーム ラグビー日本代表、南アフリカに勝つ』
『ラグビー日本代表ヘッドコーチ
エディー・ジョーンズとの対話 コーチングとは「信じること」』
(ともに文藝春秋)など。
企画・構成をした書籍に
東京ヤクルトスワローズの監督を務めた髙津臣吾さんの
『二軍監督の仕事』『一軍監督の仕事』(ともに光文社新書)
がある。

>牧野豊さんプロフィール

牧野 豊(まきの・ゆたか)

1970年、東京・神田生まれ。
上智大卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。
複数の専門誌に携わった後、
「NBA新世紀」「スイミング・マガジン」
「陸上競技マガジン」など5誌の編集長を歴任。
NFLスーパーボウル、NBAファイナル、
各競技の世界選手権のほか、
2012年ロンドン、21年東京と夏季五輪2大会を現地取材。
22年9月に退社し、
現在はフリーランスのスポーツ専門編集者&ライターとして
Bリーグなどを中心に取材をしている。

写真協力:Bリーグ

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3)90年代のNBAが原体験

──
おふたりがバスケを好きになったのは
何がきっかけだったんですか?
生島
僕はNBAからでした。
メジャーリーグが好きでその情報を得ようと、
1980年代から90年代に
アメリカのスポーツの雑誌と新聞を買ってたんです。
当時、NBAのことも少しは知っていたんですが、
日本のテレビで中継が始まったのを機に
NBAを見始めたんです。
多分、牧野さんも同じ時期だよね?
牧野
ほぼ同じ時期ですね。
生島
NBAはチーム同士のライバル物語がドラマティックで、
そこに惹かれていきました。
90年代前半はマイケル・ジョーダンがいた
シカゴ・ブルズが全世界的に人気でしたが、
僕はニューヨーク・ニックスが好きでした。
無法者っぽい荒くれ者の選手がいて
ヘッドコーチはアルマーニのスーツを着てる
パット・ライリー。
ニックスとブルズのやり合いがすごく面白くて、
すぐに虜になりました。

──
牧野さんはどんなことがきっかけでした?
牧野
スポーツ専門の出版社に入社して、
最初に配属になったのが
バスケットボールの雑誌だったことです。
その前年に1992年のバルセロナオリンピックで、
アメリカ男子代表の
いわゆる「ドリームチーム」と呼ばれるチームが誕生して、
バスケットボールという競技が世界的な認知を受けていた。
見ただけで、衝撃的でしたね。
生島
あれは衝撃だったよね。
牧野
非常に身長が高いボストン・セルティックスの大黒柱である
ラリー・バードと、
ロサンゼルス・レイカーズに何でもできるところから
異名をとったマジック・ジョンソン、
その2人のライバル対決が
80年代から90年代のNBAの人気の礎になっていたんですね。
バルセロナオリンピックでは、
その2人とマイケル・ジョーダンの3人がチームメートになった。
そのチームが金メダルを獲ったんですよね。
生島
あと、90年代はマンガの『SLAM DUNK』と。
ナイキのバスケットシューズ人気もすごかった。
牧野
『SLAM DUNK』の連載はたしか1990年に始まったはず。
当時、バスケットボールをテーマにした作品は
売れないと言われていた中でスタートしたようです。
──
そうなんですか。
生島
そうそう、連載がスタートした当初は
学園ものでもいけるようにしていた。
バスケでいけることがわかり、
途中からバスケを中心にしていったんですよね。
当時を振り返ってみても、
ジョーダンの存在ってすごかったよね。
牧野
ですよね。
2023年に『AIR/エア』という映画がありました。
ベン・アフレックとマット・デイモンが共演していて、
ナイキがマイケル・ジョーダンと契約して、
エアジョーダンという世界的な人気を誇るシューズが生まれる
実話をベースにした物語です。
生島
1984年の時点で、バスケシューズの市場では
ナイキよりコンバースのほうが上だった。
牧野
そうそう。ナイキはバスケ部門をやめようという話が
でているところからスタートして、
エアジョーダンでどんどん大きな会社になっていった。
配信などで見られると思うのでぜひ。
生島
牧野さんは社会人になってすぐ
バスケットボールの専門誌の編集部に
入ったんですよね?
牧野
そうですね。
93年にサッカーのJリーグが誕生したとき、
勤務先の出版社にサッカーの媒体の同僚が
派手なことやっているなかで、
日本のバスケもなかなか人気は出ないけど
面白いんだぞみたいな、
反骨心のようなものはありましたね。
そういうのも相まってバスケという競技に対する愛情が
深まっていきました。

生島
話がちょっと変わるけど、
90年代の日本の高校バスケでは
秋田県の能代工業高校が強かったですね。
牧野
黄金時代でしたね。
オールコートディフェンス
(ディフェンスがコート全面を使って圧力をかける)で、
常に速い展開で相手を圧倒するチーム。
生島
その主役は田臥勇太選手でしたけど、
実は中学時代に福武書店のCMで、
NBA選手のパトリック・ユーイングと共演したんだよね。
その田臥勇太選手がいま45歳で
Bリーグの選手として現役というのもまたすごいよね。

【おすすめの動画3】 マイケル・ジョーダンのプレーオフ

生島
ジョーダンのことは知らない人は
ジョーダンのプレーを見てほしいなぁ。
牧野
ジョーダン、「The Shot」1989年のプレーオフとか。
牧野
クリーブランド・キャバリアーズとの対戦で、
2勝2敗で迎えた第5戦。
この試合に勝ったほうが次に行けるところですね。
ジョーダンのチームであるシカゴ・ブルズがアウェーで、
1点差で負けている。
試合終了の直前に放ったシュートが入って
逆転して試合が終わる。ブザービーターです。
ジョーダンを歴史的に語るときに、
初期のハイライトとして欠かせないです。
一同
おお!
牧野
次は、一気に「1998、ジョーダン、ラストショット」に
行きましょう。
多分、残り40秒ぐらいから見るといい。
生島
1998年NBAファイナル第6戦。
ブルズ対ユタ・ジャズ。
ジョーダンのいるブルズが1点差で負けてます。
牧野
ジョーダンが相手ボールを奪って、残り6秒で
ドリブルしてシュートを決める。
これがジョーダンが2度目の3連覇を決めたときの
決勝シュートです。
生島
ブルズがこれで優勝したんですよね。
牧野
当時のブルズのゼネラルマネージャーが、
ヘッドコーチや主力選手の一部と仲が悪くて、
契約を続けないという話になっていて、
「このチームで過ごすのは最後」と言いながら
戦ったシーズンですね。
『ラストダンス』という言葉を
選手やヘッドコーチも発していました。
そのシーズンの戦いぶりは、
同名のドキュメンタリー番組になっていて
Netflixで見られますよ。

(明日につづきます)

2026-03-17-TUE

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