今、演劇やコントで話題の「8人組」、知っていますか。
2020年に旗揚げすると、2022年から3年連続で
『ABCお笑いグランプリ』の決勝に進出し、
演劇とコント、年2回開催される
単独公演のチケットは即完売。
それが、「ダウ90000」です。なんだかすごそうですよね。
でもおもしろいのは、ここから。
じつはダウ90000、メンバー8人のうち7人が、
「役者志望」なんです。
7人を誘ったグループの発起人であり、
全てのネタを書き続けている蓮見翔さんだけが、
ひとり、本気の「お笑い志望」。
夢が違う7人と1人は、4年前、なぜ一緒に走り始めたのか。
そして、「8人組」のひとりとして
自分の人生がとてつもないスピードで加速していくなか、
漫才師を目指した青年と、役者を志した若者たちは、
今、いったい何を思っているのか。
チームのあり方としても、
それぞれの人生の選択としても、とっても不思議で。
この不思議な台風の真ん中に立つ
「蓮見翔」という人の眼差しを、知ってみたいと思いました。
あまりに正直な、全8回。聞き手は、ほぼ日のサノです。

>蓮見 翔さん プロフィール

蓮見 翔(はすみ・しょう)

1997年生まれ。
日本大学芸術学部卒業。
8人組ユニット・ダウ90000主宰。
脚本家、演出家、
ラジオパーソナリティとしても活躍する。
2022年から2024年にかけ、
3年連続でABCお笑いグランプリの決勝に進出。

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(6)「これがないと死んじゃう」って、本気で思ってるのが「芸人」。

サノ
今の「コントの生まれ方」を聞いていて、
やっぱり「芸人」ってすごいなって思うんです。
あの、めちゃくちゃ烏滸がましいですけど、
僕みたいな一般の人間でも、
日常生活の中で、誰かを笑わせようとかするじゃないですか。
するんですよ。恥ずかしながら。
蓮見
いやいや、うん、しますよね。

サノ
ちょっと調子にのって、
お笑いまがいのことをやってみようとするんですけど、
やっぱり「人を笑わせる」って、
めちゃくちゃ難しいんですよね。
で、失敗するたびに、
やっぱり芸人さんってどこかステータスが
僕ら普通の人とは違う尖り方をしてるよなって思って。
蓮見さんから見て、
「芸人」って、何が特殊な人たちなんだと思いますか。
蓮見
うーん。ちょっと答えになってるかわかんないですけど‥‥
あの、僕は一切そんなこと思わないけど、
人によっては、お笑い芸人って、
「存在しなくても生きてはいける職業」じゃないですか。
サノ
それはつまり、「衣・食・住」みたいなものと比べて。
蓮見
そうそうそう。
でもそんななかで、
「これがないと死んじゃう」って
本気で思ってるのが「芸人」ですね。俺も思ってるし。
そこの美学を共有している人たちだから、
そりゃ仲よくなれるよなとも思うし。
「人を笑わせよう」って、
思わない人はきっと全く思わないと思うんですよね。
それはむしろ普通で、
毎日それを考えてる人のほうが異常だと思うんですよ。

サノ
そうかもしれない‥‥(笑)!
蓮見
そういうヘンな人たちが、
「芸人」という職業があることによって、
「お笑い」ってものでお金を稼ぐシステムを
誰かがつくってくれたから集まれてるだけで、
本来は
「町とか村で人々が幸せに暮らすために必要な2、3人」
だったものがたまたま職業になったっていう、
すごくありがたいかたちな気はしますけどね。
だからかはわかんないですけど、
やっぱりとびきり「やさしい」ですよ、みんな。
仲間に対するやさしさが、とんでもない。
僕らがこういう感じで演劇とコント両方やってたりしたら
嫌われていったりするのかな、とか思ってたんですけど、
みんなスッと受け入れてくれるし、すごくやさしい。
サノ
はーー、なるほど。面白い。
その「とびきりのやさしさ」もきっと、
「お笑い」というものを、食糧とか、道路とかみたいに、
「自分の人生に必要なインフラ」として捉えているっていう、
そこを共有できる者同士だからこそなんでしょうね。
蓮見
あ、それですね。「インフラ」。
お笑いを「インフラ」だと思ってるんでしょうね、
芸人さんって、全員。
俺も、バラエティーなかったらもう、生きていけないので。
やる側じゃなくて、「観る側」としてね。

サノ
それって、なんというか、
変にカッコよかったり、重みのある話ではないんですかね。
例えば、「お笑いに人生を救われたから」とか、そういう。
蓮見
いや、あると思いますよ。
みんな、なにかしらでお笑いに救われているとは思う。
でもみんな、そんなこと口に出したくないと思いますし。
お笑いって、重く見るもんじゃないから。
やっぱり、「小バカにされていたい」ですしね。
僕も、「演劇もコントも両方やってんじゃないよ、バカ」
って思われていたいし。
「すごいものをつくってる」って思われちゃったら、
ちょっと意味が変わってきちゃうので。
それはあんまり、僕は嫌ですね。
ここは人によって違うと思いますけど。
サノ
「小バカにされていたい」って、もう、
芸人さんの魂を濃縮したような言葉だなって思いました。
思えないと思います、多くの人が。
「小バカにされていたい」って。
蓮見
まあねえ。
でも、そういうものなんでね、お笑いなんて。
「お笑いなんて」って言われてないと、
やっぱり成立しなくなっちゃう気がするから。
サノ
本当はそれぞれそこに、真剣な気持ちとか、
重みのあるバックボーンとかがある人もいるんだろうけど、
そういうものは全部、見えないように
ろ過して、ろ過して。
蓮見
うん、いらないですね。
今は賞レースとかあるから、
「芸人を応援する」っていう文化もできてしまったし、
努力して舞台に上がってきてるっていうのが
もうバレてるからしょうがないんですけど、
ほんとは、いらないと思いますけどね。
「バカにされ続ける」っていうのも、すごく美学だと思うし。
これを「美学」って言っちゃってる時点で
僕もよくない方のお手伝いをしてしまってるんですけど、
「もっとファンタジーでいいのにな」とも思いますね、
芸人なんて。
サノ
もう、「小バカな姿」しか頭に浮かばないような。
蓮見
‥‥にしてはカッコよすぎたんでしょうけどね、
歴代のお笑い芸人たちが(笑)。

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サノ
じゃあ、蓮見さんもどっちかというと、
「小バカにされていたい」ですか、これからも。
蓮見
僕らはむしろここまで、その逆張りというか、
「僕たちがやりたいものをやっています」
という見せ方を極力してきたので、
わりとそこから遠いとこで
やってしまってはいるんですけど。
でも、仮にコント中にヤジが飛ぶようになっても、
お客さんが埋まるならいいかなとは思ってます。 
もちろん、書き手としては、
そうならないプライドはありますけどね。
でも、演者としては、
「小バカにされる」ようになってもいいかなと思ってます。

(つづきます)

2024-10-27-SUN

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