
こんにちは、ほぼ日の稲崎です。
いま開催中のキニなる特別展を
先輩の奥野さんとめぐる企画、第二弾。
今回もふつうのお客さんとして
予備知識を入れずに向かったのですが、
謎の画家・髙島野十郎ですから、
とらえどころがなく、手がかりも少なく、
ふたりでなんだかモヤモヤするばかり‥‥。
そこで、松濤美術館で学芸員をされている
大平奈緒子さんに付き添っていただき、
つづけざまに「もう一周」することにしたんです。
すると、作品への理解が深まり、
野十郎の狂気や執念がどんどん見えてきて、
すっかり惹き込まれてしまいました。
いやぁ、おもしろかったです。
そのときのようすを、全3回でおとどけします!
#01
謎の画家、髙島野十郎。
- 稲崎
- 急にすみません。
ぼくたちの2周目に付き合っていただき、
ありがとうございます。
- 大平
- いえいえ(笑)。
- 稲崎
- ちょうど1周目を終えたところなので、
ふたりともいま聞きたいことだらけなんです。
- 大平
- それはそれは。
- 奥野
- 髙島野十郎さんのことを、
事前に調べすぎないようにして来たんですけど、
絵を拝見したら、
もともとのイメージが変わりました。
- 大平
- あ、変わりましたか?
- 奥野
- 森村泰昌さんも紛争している、
甲斐庄楠音(かいのしょうただおと)みたいな
「デロリ系」なのかなと思ってたんです。 - そしたら、いろんなテイストの絵を描いていて、
どういう作家なのか、
作品を見たら、逆にわからなくなったというか。
- 大平
- あぁー、そうですよね(笑)。
会場を案内してくださった松濤美術館の大平奈緒子さん
- 奥野
- 印象派みたいなパリっぽい絵もあれば、
それこそデロリっぽい不気味な絵もある。
色彩豊かな静物画があったかと思うと、
オランダ時代のゴッホに影響を与えた
バルビゾン派みたいに
茶色く、くすんだ風景画もある。 - この人はこういう絵を描くんだなという
とらえどころがなくて、
よりいっそう謎が深まった感じがします。
- 大平
- 私自身も、髙島野十郎には
「謎の人」の印象がずっとあります。
野十郎は仏教的な考えを作品に反映していた方で、
一筆一筆をおろそかにしない作家だと思っています。 - 生前には、
「花一つを、砂一粒を人間と同物に見る事、神と見る事」
という言葉を残していたくらいで、
筆に魂を込めて描くような方だったようです。
髙島野十郎《からすうり》(昭和10年) 福岡県立美術館
- 稲崎
- 写実を得意にした方だと思うのですが、
静物にしても花にしても、
絵にすごく緊張感がありますよね。
- 大平
- 精密を超えて、ちょっと異様な感じもしますよね。
花瓶に入った作品は、
すべての花を均等に細かく描いていたりしますし。
- 奥野
- 生花つまり本当の花を描いているんでしょうけど、
みずみずしさというより、
つくりものが迫ってくるみたいな異様さがあって。
髙島野十郎《ダーリヤ》(昭和37年頃)個人蔵 ※前期のみの展示作品
- 大平
- 福岡県立美術館がずっと長い間、
髙島野十郎を研究されているのですが、
その方たちによると、
感受性の豊かな子供たちの中には、
野十郎の作品を観ると怖がっちゃう子もいるそうです。
- 稲崎
- ああ、ちょっとわかります。
ものすごく細部まで描いているからか、
観てるとなぜか息が詰まりそうになるんです。
- 大平
- 端っこの小さなシミひとつまで
おろそかにしていないんだと思います。
作品の前にいると、思わず正座しそうになります。
髙島野十郎《桃とすもも》(昭和36年)個人蔵
- 奥野
- でも、おもしろいなあと思うのは、
そういう作品ばかりじゃないってところですよね。 - 風景を描いた作品に異様さとか圧は感じませんし。
- 稲崎
- そこがまた不思議なところというか、
つかみどころのなさですよね。
- 大平
- その差がおもしろいですよね。
作品によってかなりちがいがある作家だと思います。
- 奥野
- 時期で変わったりとかしてるんですか?
- 大平
- 時期で変化していったというより、
ただ描きたいものを描いていたように感じます。
基本的に画壇とも距離をとっていた方なので、
何派とかもなかったそうです。
ときどき自分の個展で作品を発表して、
そこで稼いだお金で暮らしていたそうです。
髙島野十郎《有明の月》(昭和36年以降)福岡県立美術館
- 稲崎
- 絵は売れてたんでしょうか、当時は。
- 大平
- 売れていたそうです。
東京帝国大学(現・東京大学)の
農学部水産学科を首席で卒業されていて、
当時の友人たちが買っていたそうです。 - ふだんはかなり質素な生活を送っていたので、
きっと画材以外に大きなお金を使うことも、
ほとんどなかったのではないかと。
- 稲崎
- この自画像を観るかぎり、
すごくストイックな感じはしますよね。
- 奥野
- 一瞬、岸田劉生が描いた
ZAZEN BOYSかと思いました。
- 稲崎
- 向井秀徳さんじゃないです(笑)。
髙島野十郎《絡子をかけたる自画像》(大正9年) 福岡県立美術館
- 奥野
- 作品のキャプションに
「デューラーの影響がある」と書かれてます。
- 大平
- かなり憧れがあったと思います。
- 奥野
- だから岸田劉生を感じたのかなあ。
デューラーを経由した岸田劉生。
向こうにあった絵は
ゴッホを経由した萬鐵五郎みたいだったし。
印象派っぽいみたいな海辺の絵もあったし。 - この時期の日本画家って、
多かれ少なかれそうなのかもしれませんが、
パリの影響をかなり受けてますよね。
- 大平
- それは確実にあると思います。
実際に海外に住んでいた時期もあって、
40歳になってからニューヨークやグラスゴー、
ベルギー、オランダ、
そしていちばん長かったパリなど、
トータルで3年間ぐらい海外に滞在しています。
その2枚の風景画もその頃に描いたものです。
左:髙島野十郎《イーストリバーとウィリアムズブリッジ》(昭和5年)福岡県立美術館 / 右:髙島野十郎《ノートルダムとモンターニュ通Ⅱ》(昭和7年頃)福岡県立美術館
- 奥野
- 研究熱心で、かつ、器用な人だったのかなあ。
いろんなスタイルで描いてるから。
- 大平
- 技術はすごかったんだと思います。
- 稲崎
- なのに、生前はほとんど無名だった‥‥。
- 大平
- じつは、そうなんです。
髙島野十郎の名前が広く知られたのは、
亡くなってから5年後のことでした。
昭和55年に福岡で開かれた展覧会に、
野十郎の《すいれんの池》という作品が出品され、
そこではじめて話題になったそうです。
- 奥野
- それが、こちらの作品?
- 大平
- はい。
髙島野十郎《すいれんの池》(昭和24年)福岡県立美術館
- 大平
- その展覧会のあと、
福岡県立美術館で学芸員をされている西本匡伸さんが、
野十郎の研究をはじめられます。
長年にわたり、ご遺族であったり、
当時交流のあった方に取材を重ね、
謎に包まれた本人のことが少しずつわかってきたんです。
- 稲崎
- この《すいれんの池》は、
当時はどこにあったものなんですか。
- 大平
- 福岡県久留米市の、
ある会社のクラブハウスに飾られていました。
当時の社長だった方は
髙島家の縁者でもあったのですが、
その方からの依頼で描いたそうです。 - この池、じつは新宿御苑の池とも言われています。
- 稲崎
- あ、新宿御苑なんですね。
ということは、もしかしたら御苑のどこかに。
- 大平
- はい。
おそらくいまでも似たような風景があると思います。
- 奥野
- 全体に煤けた印象ですけど、
最初からこういう雰囲気の絵だったんでしょうか。
- 大平
- 絵の具の劣化ではないと思います。
野十郎自身、もともと理系ということもあり、
独学で「強い」絵の具の研究もしていたようです。
- 稲崎
- 「強い」というのは?
- 大平
- 耐久性のことですね。
風雨にさらされても平気なように、
キャンバスと絵の具の密着具合とか、
そういう研究を個人的にしていたそうです。 - アトリエを訪ねた人の話では、
家の外に絵の具を塗った麻布を
何枚も張っていたそうで、
絵の具の「変色変質」を試していたらしいです。
- 稲崎
- それってつまり、
作品を遺すための作業ですよね。
後世に受け継いでもらうためというか。
- 大平
- そうなんだと思います。
野十郎自身も
「自分の絵は1000年は大丈夫」と
豪語していたという話も残っています。
椿貞雄《自画像》(大正4年)千葉県立美術館
- 奥野
- これもご本人ですか? なんかちょっと‥‥。
- 大平
- いえ、これは椿貞雄さんの作品です。
- 奥野
- ああ、椿貞雄さん。野十郎さんじゃないのか。
- 大平
- 今回の展覧会では、
野十郎が影響を受けたであろう人たちの作品も
いっしょに展示しています。
草土社の岸田劉生や椿貞雄など、
野十郎と同じ時代に活躍した作家たちです。
- 奥野
- どうりで「This is」感がないなあと思った。
というか、
むしろ別の誰かに似ているような‥‥。
- 稲崎
- 誰ですか?
- 奥野
- うーーーー‥‥わかった。パンチ佐藤さんだ。
- 稲崎
- やめてください(笑)。
- 奥野
- ただ、髪型がパンチパーマじゃないから、
現役引退後のパンチさんなのかな。
- 稲崎
- 大平さんが困ってます。
- 大平
- あ、いえ‥‥すみません(笑)。
この方は「椿貞雄さん」、なんです。
岸田劉生にも近い、
大正から昭和にかけての洋画家ですね。
(つづきます)
2026-08-26-WED