こんにちは、ほぼ日の奥野です。
昭和の東京喜劇で大爆笑を取り続けた俳優・
三木のり平さんを知る旅に出ます。
数多くの喜劇役者や舞台人に影響を与えた
「三木のり平さん」については、
世代的に「桃屋のCM」しか知りません。
もちろん、それだって大名作なのですが、
のり平さんが役者人生を賭けた
「生の舞台」については、
現在から遡って見ることは、むずかしい。
そこで、生前ののり平さんを知る人や、
のり平さんをリスペクトしている人たちに、
「のり平さんって、
いったい、どんな人だったんですか?」
と聞いてまわることにしたのです。
のり平さんの孫・田沼遊歩さんも一緒です。
第3弾は、晩年ののり平さんが通った
四谷・荒木町にあるスナックちょんぼの
マスター、難波忠元さん篇。
のんびりじっくり、お付き合いください。

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第1回

最晩年の親友?

遊歩
高田文夫先生のおっしゃる
「歌謡スナックちょんぼのマスター」が、
ぼくは、
晩年ののり平の「親友」だったのかなと、
ずっと思っていたんです。
難波
いやいや、親友だなんて言えませんけど。
でも、とてもよくしてもらいました。
──
よくいらしたんですか、お店には。
のり平さん。
難波
ええ。
昔は夜中3時ごろまでやってたんですが、
12時すぎに来て、飲んで、
店を閉めたあと、
また一緒にどっかへ飲みに行く感じです。
──
あ、ここが終わってから、
のり平さんとマスターがふたりで‥‥?
親友じゃないですか!
難波
いやいや、そんなことないんですが、
最終的には、朝、先生の家まで送ってね。
行くと、桃屋の缶詰とかくれるんだけど。
ホワイトホースセラーという店があって、
最初は、
そこのマスターが連れてきてくれました。
遊歩
四谷にあるお店ですよね。
難波
はい。そのころ先生は
五木ひろしさんの舞台演出をやっていて、
「おまえ、これ覚えろ」って、
五木さんの歌を教えてくれたりしました。
遊歩
マスターに歌わせようとして?
難波
そうなんです。五木さんの『汽笛』とか
『酒尽尽』という歌を
よその店でも「おまえ、歌え!」って。
サブちゃんの『おやじの背中』は、
ちょっとぼくには、歌いきれなかったな。
──
のり平さんは、当然お上手なんですよね。
難波
いやあ、上手なんてもんじゃないですよ。
とてもじゃないけど、
ぼくには北島三郎の歌は歌えなかった。
先生はね、
どこでもちゃーんと立って歌うんですよ。

──
のり平さんとマスターは、
どれくらい年齢が離れているんですか。
難波
知り合ったのは、ぼくが40代半ばのころ。
今年で79になるんですけど。
遊歩
のり平が生きてたら、今年102歳だから。
──
じゃあ、23歳差。
どんなふうにお酒を飲んでいたんですか。
難波
ゆっくり、ゆっくり。
遊歩
何を飲んでました?
難波
焼酎です。
遊歩
水割りで、吉四六?
難波
そう。
ここへ来るのは、だいたい深夜でしたし、
家で飲んでてもつまんねえや、
外で飲むか‥‥って
そういう相手だったんじゃないですかね。
遊歩
週に3、4回とか?
難波
もっと来てた。
──
ほとんど毎日じゃないですか!(笑)
難波
ほんとうれしいよ。
遊歩
まあ、お酒は飲んでたんでしょうね。
べろんべろんになるまで。
最後は、肝硬炎みたいな感じでした。
難波
先生、お通しを食べないんですよ。
お酒を飲むときは少し食べたほうがいいから、
必ず出すんですけど、
もうね、本当にガンコに食べなかったんです。
──
お酒ばっかり。
難波
でも、いちどだけ食べてくれたことがあった。
そのとき
「これはうまいなぁ、なんだこれは?」って。
「菜の花のからし和えです」と言ったら、
「これは、うまい」って言ってくれたんです。
怒られながら、
こっちもガンコにお通しを出し続けていたら、
一度だけ食べてくれたんですよ。
──
それで「うまい」って。いい話だなあ。
難波
おなかが空いてたのかなあ、たまたま。
──
のり平さんは、
三度三度のお食事はどうされれてたんですか。
遊歩
チャーハンやカレーをつくって食べてました。
自分で。
料理はけっこう凝る人だったんです。
でも、ケチなんで、
つくったのをずっと冷蔵庫に入れとくんです。
1週間とか、2週間とか。
──
えええ(笑)。
遊歩
これは、寺田農さんから聞いたんですけど、
舞台に出ているとき、
劇場で食べた出前のチャーハンの残り、
ほんのちょっとなのに、
ラップに包んで家まで持って帰ってきて、
冷蔵庫に入れておくんです。
それを取り出してあっためて食べてるのを、
見たことあるって言ってました。
──
たしか、エッセイにも書いてましたね。
森繁久彌さんの楽屋には
一門の役者が勢ぞろい、
大きな食卓にステーキや刺身が山のように。
かたやのり平さんの楽屋では、
冷えたチャーハンをお茶漬けにしたものを、
のり平さんが、ちゃぶ台で
ちっちゃく丸くなって食べていた‥‥って。
遊歩
帝国劇場とか明治座で、
自分の座長公演をやってる人が、ですよ。
座長が3日前のチャーハンを、
冷蔵庫から取り出して食べているんです。
──
のり平さんの世代だと、
本当におなかの減った経験があるというか、
戦争中のひもじさを
具体的に知っているからなんでしょうかね。
難波
もったいないっていう気持ちがね。
遊歩
談志師匠も、舐めてた飴を一回出して、
お弟子さんにあずけて、
またあとで受け取って舐めてました。
密着的なドキュメンタリーで見たんですが。
──
のり平さんって気難しいところもあったと
たびたび耳にしますけど、
マスターには、気を許していたんですかね。
難波
どうなんでしょうね。
でも、本当にかわいがってはもらいました。
年配のお客さんがくると顔を知ってるから
「おっ、三木のり平だ」って。
それをね、先生、うるさがるんですよ。
でも、若い人が来ると顔を知らないんです。
そうすると逆に
「おい、俺は三木のり平だぞ!」って。
──
わはは、わざわざ(笑)。
難波
あれはおもしろかったなあ。
遊歩
たぶん、ここにいるときの三木のり平が、
いちばん人間らしい
三木のり平だったような気がします。
マスターのお話をうかがっていると。

(つづきます)

撮影:福冨ちはる

2026-05-18-MON

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  • 何はなくとも三木のり平

    俳優‥‥といってしまうだけでは到底、
    その多才ぶりを表現できない
    故・小林のり一さんが、
    実の父であり、
    戦後東京喜劇の大スターでもあった
    「三木のり平」について、
    膨大な資料や証言を
    縦横無尽に駆使してつくりあげた、
    三木のり平さん本の決定版にして
    金字塔ともいうべき作品。
    作家・映画評論家の戸田学さんによる
    丁寧な編集の手さばきによって、
    実父に関する博覧強記と深い思いとが、
    みごとに編まれています。
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