
元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。
石野奈央(いしの・なお)
1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(8歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をはじめる。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)
その日、100kgの肉体は宙を舞い、
わたしの心は重力を取り戻した。
10月17日、わたしは両国国技館にいた。
手には「WWE Super Show Japan」のチケット。
これが、人生初の生プロレス観戦だった。
息子たちには何度も言っているが、
わたしは元プロレスラーではない。
元プロボクサーだ。
両国には世界戦のセコンドとして来たことがあるし、
聖地・後楽園ホールのリングに、
選手として上がったこともある。
「プロレスも近い世界なんでしょ?」
そう、言われがちだ。
ぜんぜん違う。
プロレスを本格的に好きになったのは、
ここ数年のこと。
バラエティ番組で取り上げられたり、
YouTubeで昔の試合を観たりして、
気づけばどんどんハマっていた。
「初代タイガーマスク対ダイナマイト・キッド」を
新鮮に楽しんでいた。
スポーツとして見ると、
プロレスはあまりにも「陰湿」だ。
ボクシングでは、相手を憎んで試合することなどないし、
試合後は基本ノーサイド。
プロレスは、ごちゃごちゃした人間関係に始まり、
私情をもちこんで試合を組み、
レフェリーの目を盗んで反則し、
決着後に乱闘を始めることもある。
恨みはロッカールームまで続く。
その生々しい「湿度」に、人間らしさがあって面白い。
ずっとプロレスを会場で観てみたかった。
けれど、なんとなく敷居が高かった。
ボクシングと会場の雰囲気がまるで違うし、
コアなファンの熱には
「一見さんお断り」の雰囲気を感じた。
にわかファンがその線を「またぐなよ」。
そんな境界線がある気がしていた。
人生は、タイミングだ。
「忙しいという字は、心を亡くすと書く」。
最近のわたしは、まさにそれだった。
ゲームも楽しめず、筋トレも集中できず、
気分転換のレモンサワーでさえ、
ひと口めに愚痴が出る。
深い悩みがあるわけじゃない。
ただ、何も解決しないまま日が暮れる。
好きだったものにも心が動かない。
楽しいも悲しいも輪郭が薄れ、
心の真ん中には、乾いた「あきらめ」があった。
そんなときだ。
偶然インスタグラムで、数十秒の動画を見た。
ジョン・シナのヒールターンの瞬間だった。
WWEはアメリカを拠点とする世界最大級のプロレス団体。
ジョン・シナは、
「史上最も偉大」と称されるスーパースターだ。
とはいえ、これまでほとんど観たことがなかった。
ただ、リングサイドの大人たちが、
頭を抱え、泣き、怒鳴り、立ち上がり、
感情を爆発させている。
その光景に、久々に心が動いた。
「なんだこれ」。
気づけばABEMAを契約し、WWEを追いかけ始めた。
WWEは、初心者にやさしい。
舞台裏までカメラが入り、物語の流れが見えやすい。
選手たちのキャラや関係性もわかりやすい。
血まみれの試合もほとんどないから、
目にもやさしい。
冷ややかだった息子たちも、すぐ巻き込まれた。
「ぼく、ランディオートン!」
「おれさまは、ローマンレインズ!」
家でゲームばかりだった二人が、
プロレスごっこをするようになった。
家がドカドカと揺れると、彼らより
障子とふすまのほうが心配だ。
でも、そんな変化が、ちょっと嬉しかった。
日本では火曜日と土曜日、夜2時間の生中継。
そして月に一度のペイパービュー大会。
生活時間がWWEに満たされていった。
日本公演が発表されるやいなや、
仕事のスケジュールもお財布事情もそっちのけで、
リングサイド席の抽選に申し込んだ。
結果は大当たり。
へそくりは、リバプールの風になった。
チケットを眺めながら、
シナのヒールターン後のストーリーを思い返す。
毎週、ブーイングを浴び、
悪態をつき、子どもまで泣かせる「ヒール」役。
長年「いい人」だった反動なのか、
まるで鬱憤晴らしで暴れているように見えた。
ボクサー的な善悪観で見れば「やりすぎ」だった。
けれど、長男は言った。
「シナは悪人じゃない。ぼくはシナを応援する」。
彼の何を知っていて、長男はそんなことを言うのか。
わたしには理解できなかった。
しかし、NetflixのWWEドキュメンタリー
『壮大なるドラマの裏側』を観て、
ようやく腑に落ちた。
長男は、間違っていなかった。
シナは「物語」のために、
自分に与えられた役割を受け入れていた。
プロレスは「受け身の美学」だ。
受ける人がいて、技は成立する。
負ける人がいて、勝者が輝く。
嫌われ役がいてこそ、ヒーローが成立する。
その覚悟と苦悩を、
長男はどこかで感じ取ったのかもしれない。
そしてその覚悟は、わたしが信じてきた「強さ」とは
すこし違うものだった。
わたしにとって「強さ」とは、
勝利と正しさと英雄性だった。
でも人生は、勝てない日のほうが多い。
正しくいたって報われない。
理不尽に頭を下げ続けるうちに、
悔しさも悲しさも、立ち上がる気力さえも、
感じなくなっていた。
プロレスラーたちは違う。
勝つためでも、正しくあるためでもない。
「物語を生きるために」負け、裏切られ、
それでも立ち上がる。
立ち位置を受け入れ、役割をまっとうする「強さ」。
ときに観衆に嫌われながらも、自分の火を絶やさない。
今のわたしにとって、プロレスが丸ごと
「人生論」となって、胸につきささった。
WWEを追ううちに、
日本のプロレスがまた恋しくなった。
ある人は言った。
「プロレスは大河ドラマだ」と。
これほど的確な表現はないと思う。
「キレちゃないよ」とマネしていたひと言でさえ、
追えば背後にどれだけの歴史と
ドラマがあったのかと思い知らされる。
滑舌の悪さで聞きとれなかった言葉も、
胸に届くようになる。
通勤電車で2005年大晦日の小川直也の入場を観て、
ひとり涙に濡れたりする。
どうして三沢光晴が亡くなる前に、
ディファ有明にノアを観に行かなかったのかと後悔する。
わたしは、ディファ有明で
セミファイナルを務めたこともあったのに。
あの会場も、今はもうない。
とにかく会いに行かねば。
生で観に行かねば。
手の中のチケットは、いつの間にかじっとり湿っていた。
両国の夜。
派手な照明、爆音の入場曲、揺れる観客席。
観衆にまざって大声で声援をおくり、
両手を振ってウェーブ。ただただ、楽しかった。
メインイベントで照明が落ち、
単色のライトがリングを浮かび上がらせたとき、
一瞬の静寂が会場を包んだ。
ああ、これだ。
仕事でも家庭でもない。
誰かの期待でも役割でもない。
わたし自身が好きなものに、心を焦がされる感覚。
人目も気にせず、なにかに夢中になること。
心の温度が、戻ってきた気がした。
あれから2ヵ月。
このエッセイを書いているわたしは、今、
後楽園ホールの帰り道にいる。
両国のあと、すでに2回、プロレスを観に来た。
今夜は、永田裕志の白目式腕固めに沸き、
ジャガー横田のローリングかかと落としに、
喝を入れられた気分になった。
わたしはもう「好き」を見失わない。
転んでも、負けても、立ち上がる。
この「物語」を、もう一度、
紡いでいくのだ。
イラスト:まりげ
2025-12-25-THU