元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(12歳)と、
自由で食いしん坊な次男(9歳)と暮らす。
はじめてnoteに投稿した記事が人気となり、
SNSを中心に執筆活動をスタート。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
2026年2月、チョコが家族になる。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on

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伴走者の勇気

排気口のなかから、
ヒヨヒヨとひな鳥の声が聞こえてきた。

五月。

だんだんと朝が早くなり、
小鳥のさえずりも賑やかになってきた。
いや、「賑やか」どころではない。
けたたましいほどの鳴き声が聞こえてくる。

何ごとかとベランダから辺りを見まわしても、
一見して声の主がわからない。
しかし、かなり近い。
しばらくすると、一羽の野鳥が飛んできて、
むかいの空き家の排気口へ滑り込んだ。

その瞬間、
「ヒヨヒヨ」という可愛らしい鳴き声は、
「キャーーーッ」と、
絶叫にも似た大合唱に切り替わった。

どうやら排気口のなかに巣があるらしい。

親鳥はせっせと餌を運んでくる。
何かの赤黒い実を主食としているようだ。
おかげでわが家のベランダにも外壁にも、
なにやら事件現場めいた赤黒い飛沫が飛び散っていた。
洗濯物を干すのにも気を遣う。
正直、迷惑である。
けれど、わたし自身、
騒がしい「むすこふたり」を育てる身。
今まさに育っている命を追い出すほど、
鬼子母神にはなれなかった。
小さな文句は飲み込んで、
その成長を見守ることにした。

「お母さん、一緒に買い物いこう」
「お母さん、一緒にお風呂入ろう」
「お母さん、一緒に寝よう」

息子たちにそう言われるたび、
甘えられて嬉しい気持ちより先に、
ものすごく不安になる。

わたしが小学校高学年にもなったころには、
親と過ごすのがすこし恥ずかしかった。
親が嫌いだったわけではない。
友だちとの世界を広げながら、
世間体というものを覚えはじめたころ。
親と一緒にいるところを見られたら、
自分はまだ半人前だと
自ら認めているようで嫌だった。
やがてナイフのように尖っては
触るものみな傷つけて、
ギザギザハートな青春を送った。
それはごく自然な
「成長の過程」だったと思っている。

だから、
今の息子たちを見ていると不思議なのだ。
こんなにも母親にくっついていて
大丈夫なのだろうか、と。

もっとも、
それは息子たちの問題だけでは
ないのかもしれない。
わたしが不安だからこそ、
息子たちを必要以上に
手元へ引き寄せているのかもしれない。

わたしは昔から、
人との距離の取り方がすこし苦手だった。

友人とも、恋人とも、家族とも。
いつも心のどこかで、
「わたしはこの人にとって価値のある人間なのだろうか」
と、考えてしまう。
だから常に顔色をうかがう。
頼まれてもいない贈りものを買う。
何かをしてあげたくなる。
見返りが欲しいわけではない。
ただ、近くにいない存在に対して、
心の距離が不安になってしまうのだ。

あるとき、友人に言ったことがある。
「わたしを、捨てないで」。
すると友人は笑った。
「捨てるもなにも、私たちは大切な友人でしょう」。
その言葉に救われたことを今でも覚えている。

むかいの排気口のなかで、
姿の見えぬひな鳥は
すくすくと成長しているようだった。
ヒヨヒヨとした声はいつのまにか声変わりし、
グァーグァーと、野太い声が響くようになった。

長男が小学生のころ、
作文の課題が出るたびに、
わたしは編集者気取りで赤ペンを入れていた。

てにをは。表現の重複。文章の流れ。
本人の文章を活かしているつもりだったが、
気づけば原稿用紙は真っ赤になっていた。
長男も、はじめは嫌がった。
何度もケンカにもなった。
それでも、子に恥をかかせたくない、
良い文章を書けるようになってほしい、という
押しつけがましい過干渉をくり返してしまった。

あるときには、
締切に追われる母子の利害が一致し、
わたしがほとんど書いてしまったことすらある。
もう時効として許してほしい。

そんな長男が、
中学生になってはじめて作文課題を持ち帰ってきた。

「母さん、ちょっと見てもらえないかな」

わたしは興味津々だった。
どんな文章を書くようになったのか気になった。
誤字脱字もチェックしたかった。
心底、読んでみたかった。

けれど、断った。

本当は知っていた。
彼がもう十分に書けるようになっていることを。
もちろん未熟な部分はある。
でも、それはもはやわたしが
直すべき段階のものではない。
自分で考え、自分で悩み、
自分で書き上げることに意味がある。

だからわたしは突き放した。
母親としてではなく、
ずっと見守ってきた伴走者として。

息子はすこし戸惑ったような顔をし、
不安げに原稿を見つめていた。

六月。

めずらしく強い台風が、東京を襲った。
学校は休校。
仕事も在宅勤務。
窓を叩く雨音は激しく、
家が揺れているようにさえ感じた。
息子たちは無駄にテンションが高く、
千代子(0歳の犬)は怯えていた。

そんななか、嬉しそうに長男が言った。
区の作文コンクールに選ばれた、と。

わたしは驚いた。
こみ上げる嬉しさと同時に、
すこし心配が頭をよぎった。
提出前に見ておけばよかったのではないか。
変な日本語はなかっただろうか。
誤字はなかっただろうか。

そんな自分を、ふう、と深呼吸で整えた。

そして、心から思った。
あのとき読まなくてよかった、と。
それは彼が自力でつかんだ結果だ。

もし間違いがあったとしても。
もし失敗していたとしても。
それも含めて彼自身の作品だ。

わたしはようやく理解した。
わたしの役目は、
正しい文章を書かせることではなかった。
彼らが自分の足で走れるようになるまで、
隣を走ることだった。

台風が過ぎると、
ベランダの赤黒い汚れはきれいに流されていた。

排気口のまわりも、外壁も、
何事もなかったように元に戻っている。
そして、あれほど騒がしかった
ひな鳥たちの声は聞こえなくなっていた。

いつ飛び立ったのかは見ていない。
気づけば、いなくなっていた。
ほんのすこし前まで、
あれほど親鳥を呼んでいたのに。

息子たちも、きっと同じだろう。

何度もこちらを振り返りながら、
それでもすこしずつ成長を重ねる。
そして、ある日パッと、
跡形もなく飛び立っていく。

母親という伴走者の仕事は、
いつまでも隣を走り続けることではない。

自分の足で走れるようになったとき、
そっとその背中を信じて見送ることなのだ。

ふと軒先を見上げると、
重い雲の切れ間から青空がのぞいていた。

イラスト:まりげ

2026-06-25-THU

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