元気な男の子ふたりを育てる
シングルマザーのなおぽんさん。
ふだんは都内ではたらく会社員ですが、
はじめてnoteに書いた文章が話題になり、
SNSでもじわじわとファンを増やしています。
このたび月1回ほどのペースで、
子どものことや日々の生活のことなど、
なおぽんさんがいま書きたいことを、
ちいさな読みものにして
ほぼ日に届けてくれることになりました。
東京で暮らす親子3人の物語。
どうぞ、あたたかく見守ってください。

>石野奈央(なおぽん)さんのプロフィール

石野奈央(いしの・なお)

1980年東京生まれ。
都内ではたらく会社員。
かっこつけでやさしい長男(13歳)と、
自由で食いしん坊な次男(9歳)と暮らす。
noteに投稿した初めての記事が人気になり、
SNSを中心に執筆活動をスタート。
好きなものは、お酒とフォートナイト。
元アスリートという肩書を持つ。
2026年2月、犬の千代子が家族になる。

note:なおぽん(https://note.com/nao_p_on)
Twitter:@nao_p_on(https://twitter.com/nao_p_on)

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岩井くんとカウンター

「日曜は仕込みがあるので休みます」と、
岩井くんは言った。

岩井くん(仮名)は、長男が所属する
地域の野球クラブのチームメイトだ。

長男は、中学校の野球部と、
地域のクラブチームの両方に所属している。
土日に試合が重なることや、
指導方針が違うこともあるから、
二重所属を認めないチームも多いが、
幸い、今のところ制限はない。

中学校の野球部は、現状10名しかいない。
毎回スタメンに選ばれることに、
長男はほくほくしている。

応援に行くと、
ライトしか守ったことのない長男が、
背番号10をつけてセカンドにいたので驚いた。
監督に、やったことのあるポジションを聞かれ、
「セカンド」と答えたらしい。
「だってシートノックでやったことあるんだもん」。
それは全員がやったことがあるのでは。
一方で、クラブチームの活動では、
井の中の蛙ぶりを思い知らされている。

中学校に進んでも野球をやりたい、
と言い出したのは長男だった。

甲子園やプロ野球への夢を熱く語る長男のために、
親としても、あちらこちらの
硬式野球チームの情報を集めていた。
本気なら、毎週末の遠出も仕方ない。
そう思っていた矢先、
長男は友人に誘われて参加した
軟式野球チームの体験会で、
あっさり入部を決めてしまった。

夢は大きいのに、中学でも軟式?
という疑問はあった。
けれど、本人の選択である。
軟式という選択肢が
決して甘いというわけではない。
それに、正直なところ、
わたしには少し安堵する気持ちもあった。
長男は、身体が大きいほうではない。
運動経験も決して豊富ではなく、
持病の行方にも心配がある。
夢を語る息子の気持ちは応援したい。
けれど、その夢に向かって
無茶な頑張りをしてほしくない、
という思いもあった。

このところ、長男自身も、
自分の思い描く姿と、
現実の自分との距離を
感じはじめているように見える。
もっと身体が大きかったら。
もっと運動能力に恵まれていたら。
そんなことを、本人よりも先に
わたしが考えてしまうこともあった。

以前に所属していた学童野球チームの仲間たちは、
ほとんどが硬式野球に進んだ。
体格に恵まれ、少なくとも高校くらいまでは
活躍が期待される子どもたちが、
早々と硬式に切り替えていったように見えた。
もちろん、それぞれの家庭の事情も、
本人の意思もあるのだろう。

岩井くんは、中学1年生にして、
すでに170cmを超える身長で、
横幅もしっかりしていた。
野球人らしく、お尻まわりが
ガッチリとできあがっている。
すこしぽっちゃりとベルトにのる腹は、
子どものそれではなく、
草野球に勤しむ大人の腹に近かった。
声も太く、大きい。
岩井くんが三塁コーチャーに入ると、
グラウンドのどこまでも彼の声が聞こえた。
大きな手振り身振りも見応えがある。
ぶんぶんと岩井くんが腕を回せば、
追い風が巻き上がるかのごとく、
選手がホームに走る勢いも増すかのように見えたし、
アウトを悔しがって頭を抱え込む動作には、
誰もが共感し微笑ましくなる。
そんな「岩井劇場」も試合の見どころのひとつと
感じるほどだった。

しっかりした眉、目鼻立ちで、
完成した大人の顔だが、
くりりとした瞳の輝きには、
まだ13歳らしさも残る。
とにかく、岩井くんがグラウンドにいれば、
存在感と安心感がすごい。
誰かのお父さんが混ざり込んで
野球をやっているようだった。

なぜ、岩井くんは硬式野球に行かなかったのだろう。
すこしだけ疑問には思ったものの、
子どもの選択に、べつに大きな理由など
ないのかもしれない。
岩井くんは、こんなに見応えのある選手なのに、
親御さんを見かけることはほとんどなかった。
それだって、各家庭の事情や、
本人の意思もあるだろう。
そこまで気にかけてもいなかった。

ある試合の前日、監督が参加者の確認をした。
秋の長雨の影響で、
中学校の野球部とクラブチームの重要な試合日程が
重なってしまったのだ。

「明日、中学野球部がある子は?」
監督に聞かれ、長男も手をあげた。
「岩井は?」
「自分も休みます」
岩井くんは、申し訳なさそうに上目遣いで、
あごからペコペコとお辞儀をしていた。
「日曜は仕込みがあるので休みます」。
最初は聞き違えたかと思った。
長男に改めて聞いてみると、
やはり「仕込み」でお休みだった。

岩井くんの家は、家業で居酒屋をやっているらしい。
だから親御さんも、
なかなか応援には来られないのだという。
そうか、仕込みか。
岩井くんの大きな身体を、
わたしはずっと、羨ましく眺めていた。
あの身体があれば、
もっと遠くまで野球の夢を追えるのではないか。
そんなふうに思っていた。
けれど、あの大きな身体にも、
グラウンドの外での暮らしがある。
岩井くんは、硬式野球に進みたかったのだろうか。
家の手伝いがあるから、
何かを諦めたこともあるのだろうか。
もちろん、そんなことはわからない。
案外、本人は最初から
軟式野球がやりたかっただけかもしれない。
ただ、13歳というのは、
まだ無邪気に夢を語っていてもよさそうな年齢なのに、
もう、自分の思いどおりにならないことを
少しずつ知っていく年齢でもあるらしい。

身体の大きさも、才能も、家庭の事情も、
みんな同じではない。
何かを選ぶときには、
別の何かを選べないことだってある。
そんなことを思いながら、
わたしは岩井くんの居酒屋を想像した。

ここからは、あくまでもわたしの想像である。

東京都内。
県境の下町にある小さな居酒屋。
お世辞にも広いとはいえないが小綺麗な店内。
四人掛けの小さなテーブルが三つと、
カウンターが五席くらいだろうか。
カウンターは中身が見える冷蔵ケースになっていて、
いくつかの魚の冊が並んでいる。
カウンターの奥には、
普段は野球帽の岩井くんが、
すぽんと白い和帽子をかぶり、
作務衣に前掛けを巻いて、
しずかに包丁を研いでいる。
こちらを一瞥すると、
「いらっしゃい」と、
グラウンドにいるときとは違った小さな声で、
恥ずかしそうに笑って会釈する。

とりあえず、瓶ビールにグラスをひとつ。
突き出しは、味のよく沁みた里芋の煮物。
うつくしく面取りしてあって、
良い仕事をしている。
小鉢を眺めていると、岩井くんのお父さんが、
「それ、息子がつくったんですよ」
と誇らしげに笑う。
岩井くんは照れくさそうに、
また包丁を研ぐ。

いくつかの料理を頼み、
キンミヤのボトルをセットで頼む。
どれを食べても旨い。
酒が進む。
「これ」。
岩井くんが、ひとつの小鉢を
席まで持ってきてくれた。
小魚には細かく包丁が入っていて、
口当たりがよく、南蛮酢がよく沁みている。
「うわぁ、美味しいよ、岩井くん」
声をかけると、小さく会釈して、
また包丁を研いでいる。

くりかえすが、
これはあくまでもわたしの勝手な想像である。

長男は、
「君んちのお母さんて、よく酒を飲むんだろ?」
と岩井くんに聞かれたらしい。
悪事、千里を駆ける。
地元での泥酔ぶりは、
どこで見られているかわからない。
「うちにも来てほしいな」
岩井くんは笑っていたそうだ。

そりゃあ行くよ。
喜んで行くよ、岩井くん。
君のグローブのような手で仕込む、
酢締めはどんなに美味いだろう。
ボトルだってキープするよ、岩井くん。

これから先、君がどんな道を選ぶのか、
わたしにはわからない。
長男だって、そうだ。
あんなに夢中で語っていた甲子園が、
いつまで彼の夢であり続けるのかもわからない。
それでも、君たちのこれからが、
わたしは楽しみで仕方がない。
野球場のスタンドでも、
居酒屋のカウンターでも、
喜んで通わせてもらおうじゃないか。

とはいえ、岩井くんの店は、
本当はイタリアンバルかもしれないけれど。

イラスト:まりげ

2026-10-29-THU

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  • 祝、連載4周年記念
    シン・なおぽんラジオ
    10月29日(木)20時から生配信

    今年もこの季節がやってきました。
    なおぽんさんの連載が、
    今年の10月で4周年を迎えます。
    いつもあたたかく見守ってくださり、
    ありがとうございます。

    となれば、今年もやっちゃいます!
    一年に一度のスペシャル企画
    「なおぽんラジオ」がまたまた復活!

    なおぽんさんをラジオブースにお呼びして、
    10月29日(木)20時から
    YoutubeLIVEで生配信をおこないます。
    この一年をのんびり振り返りながら、
    気ままにおしゃべりするだけの恒例企画。
    出入り自由。ながら聞き大歓迎です。

    4周年を迎えたなおぽんさんへの、
    お祝いメッセージも募集中です。
    エッセイの感想や聞いてみたいこと、
    とりとめもないことでかまいませんので、
    当日までにお送りくださいね。

    なお、いただいたメールは、
    配信の中でご紹介することもありますので、
    念のためペンネームもお忘れなく。
    (一部、内容を編集する場合もございます)
    メールの宛先は「postman@1101.com」まで。

    なおぽんラジオも今年で4回目。
    もしご都合つくようでしたら、
    リアルタイムでいっしょにたのしみましょうー。
    それでは、どうぞよろしくお願いします!