2024年、ほぼ日の「老いと死」特集
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。

‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。

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第3回〈その1〉結末を想像して生きる。

松本
よろしくお願いします。
全員
お願いします。
松本
では、今回も最初に事情聴取を。
持田
事情聴取!? 
松本
毎回、お名前と年齢を、
おひとりずつお願いしていて‥‥。
持田
ああ、そういうことね。
持田優介と申します。今年31歳になります。

菅野
座談会初の、30代ですね。
持田
なんと、そうなんですか。
前回までのみなさんは若かったんですね。
松本
はい、全員20代でした。
持田
では、いままでとは、
また少し違った話ができたらと思います。
赤間
赤間史佳です。24になりました。
松本
私は、きょうも司会をつとめます、
松本万季です。22歳です。
菅野
作詞作曲担当の菅野綾子です。
55歳です。
松本
老いと死の歌座談会第3回、始めます。
まずは、なんとなく老いや死について
考えたことがあれば、無理のない範囲で
お話しいただきたいです。
赤間
けっこう重い話なのですが、いいですか。
松本
もちろんです。
赤間さんご自身がお話ししていてつらくなければ、
大丈夫です。
赤間
ありがとうございます。
私は、死がけっこう身近にありまして。
自分が小学校に上がる前くらいには、
もう祖父母が全員亡くなっていました。
だから「人は死ぬんだ」ということを、
小さいときからずっと感じていました。
松本
はい。
赤間
「死ぬときはひとりなのかなぁ」ということも、
小学生のころによく考えていました。
松本
小学生の時点で、もう考えていたんですね。
赤間
はい。親が亡くなったらどうしようということも、
すごく考えていました。
それから、大学時代に友人をふたり亡くしたんです。
そのできごとは、きつかった経験として、
自分のなかに残っています。
そのとき私は「生きてる人」として
彼らに何もできなかったな、と思いました。
とは言っても、
私にはどうしようもできないことだったよな、とも。
それ以来「生きてるってなんだろう」ということは、
ずっと考え続けています。

松本
お話を、ありがとうございます。
赤間さんは、死を、リアルなものとして
身近に感じてきたんですね。
赤間
はい。たぶん、同年代の人のなかでは、
死の印象はリアルなほうだと思います。
松本
持田さんは、どうですか。
持田
僕も小さいころから、
死はけっこう近いところにいました。
僕自身が、ひどい小児ぜんそくを患っていて。
アトピー性皮膚炎もひどかったので、小学生のころは、
3日に1回ぐらい学校に行けない日がありました。
ぜんそくの発作で緊急搬送されたこともあって
「僕、このまま死ぬのかな」という感情を、
年に一度くらいは味わっていました。
そういう経験を何度も重ねるうち
「生きててよかった」という感情のほうが
大きくなってきたんです。
病院から出て、家に帰って、
ほうれん草のおひたしとか食べて‥‥
ほうれん草のおひたし、嫌いだったんだけど、
嫌いなものでもうれしかったんです。
「生きてるー!」と思って。
食べるだけで楽しい、歩くだけで楽しい、
みたいな状態がありました。
「死」と言われて思い出す、原体験はそれです。
松本
小学生の段階で「生きているのがうれしい」
という境地に達していたのが、
それだけ苦しかったんだろうと思うのと同時に、
すごいなと感じます。
持田
自分以外の話だと、
小学校の校長先生をつとめていたおじいちゃんが
亡くなったときのことが、印象に残っています。
身内ながらですが、みんなの心の支えのような、
立派な人だったんですよ。
赤間
かっこいいおじいさんですね。
持田
そのおじいちゃんが
認知症になってしまったとき、
みんなでお金を出し合って、
なんとか食い止めようと、
いろんな治療に取り組みました。
ですが、そのまま亡くなってしまいました。
それは、すごくショックでした。
「亡くなっても、残るものはたくさんある」と、
頭ではわかっていたんです。
おじいちゃんの書いた本や、
教えてくれたことが、残ってはいるんですけど‥‥、
「もういない」というだけで、
生きていたときに聞いた言葉とは、
ちょっと違うものになってしまったというか。
言葉の入り方が変わってしまったんです。
いまはそこまでではないですが、
当時は「おじいちゃんを失ったんだ」という実感が
めちゃめちゃ強くて、つらかったです。
一方で、このあいだ、
もうひとりのおじいちゃんが亡くなって。
こっちのおじいちゃんは、なんて言ったらいいかな、
もう‥‥さきほどお話しした、
校長先生だったおじいちゃんとは、
全然違ったんです。
というのも、ほんとに自由奔放で、
言葉を選ばずに言ってしまえば
「くそじじい」みたいな感じで(笑)。
ギャンブルなんかも大好きで。
小学生だった僕に、自分のおつまみのするめを
食べさせるようなおじいちゃんでした。

松本
しぶいですね。
持田
お葬式でも、生前に行きつけだったらしい
スナックのママさんたちが、
焼酎の瓶にタバコを差して持って来て(笑)。
「あの人はこれが好きだったんだよ」と言いつつ。
赤間
そのおじいさんもおじいさんで、
好かれていたんですね。
持田
そうなんです。
もうね、好き放題お酒飲んで、タバコ吸って、
ギャンブルやって、身体を悪くして、
亡くなってしまったものだから、なんか‥‥
おかしな言い方ですが、
「よかったね」という雰囲気で送り出せたんです。
「最後まで走り切って、よかったですね」みたいな。
松本
ああ、へえー。
持田
最初のおじいちゃんのことを思い出すと、
亡くなり方で、遺された側の感情も違うんだな、
と実感しました。
赤間
うん、うん。
持田さんのその感覚、わかるかもしれません。
私のひいおばあさんはめっちゃ長生きで、
108歳ぐらいまで生きて、大往生だったんですよ。
持田
すごいね。
赤間
超健康で、最後までしっかり喋っていました。
亡くなった日には、自分の娘を家に呼んで
「たぶん、きょう死ぬ」と伝えたそうなんです。
松本
ええー! 
赤間
「だから、ごはんはいらない。みんなを集めなさい」
と。
持田
おお。
赤間
ほんとうにそのまま、
「じゃあ、寝るから」と、亡くなったんです。
松本
すごい‥‥。
赤間
大往生も大往生、超大往生でした。
こんなにキレイに亡くなる人、
そうそういないだろうなと思いました。
持田
すごい方だ。
赤間
その亡くなり方がすごく印象的だったので、
それ以降、死に限らず、
多くのものごとは結果論なんだなと
考えるようになりました。
例えば、部活で厳しい顧問の先生に
「赤間、校庭5周してこい」と言われて
「いやだよ、なんでそんなことを」と思いながら
走ったとして。
でも、その走り込みのおかげで
いい結果が残せたら、顧問に感謝すると思うんです。
「先生のおかげで、私、ここまでこられました。
涙、涙‥‥」って。
松本
ああ、たしかに。
赤間
でも逆に、そのせいで
脚の調子が悪くなってしまったとか、
何かしら不都合なことが起きたとしたら
「先生のせいで、
こんな困ったことになった」と感じる。
そういうふうに、未来で起こった結果によって、
人は過去の意味を書き換えるんだなぁと思います。
松本
心理学者のエリクソンによると、
老年期の課題は「自我の統合」らしいんです。
いままでの人生を1つのストーリーのように
振り返って統合し、受け入れる、
みたいなことですね。
ということは、老年期に入る前から、
自分のなかでうまい具合に納得できるストーリーを
想定しながら生きる、というのも
悪くはないのかなと思いました。
赤間
うん、たしかに、老年期に限らず、
そのことは常に考えている気がします。

(3曲目〈その2〉に続きます)

2024-10-08-TUE

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