2024年、ほぼ日の「老いと死」特集が
満を持してスタートしました。
そのかたすみで、
ひっそりと生まれた企画がひとつ。
「正直、老いや死のことを、
まだあまりイメージできない」という
2、30代の乗組員が、ざっくばらんに話し合う
「老いと死の歌座談会」です。
おそらく私たちの手に負えるテーマではないけれど、
いま考えていることを、気張らずに話してみます。
‥‥タイトルの「歌う」が気になっている方も
いらっしゃるかもしれません。
よくぞ気づいてくださりました。
そうなんです、座談会の最後は、
毎回のおしゃべりから誕生した歌を
みんなで歌います。
どんな歌が生まれるのか、少しだけ、ご期待ください。
担当は、ほぼ日の20代、松本です。
- 松本
- 気づけば、今回でこの座談会も4回目です。
2度目の登場の方もいらっしゃいますが、
最初にお名前と年齢をお願いします。
- 加藤
- はい。加藤千恵子です。25歳です。
- 高澤
- 高澤季裕です。25歳です。
- 佐藤
- 佐藤愛樺です。23歳です。
- 南
- 第1回にも参加しました、南萌です。28です。
- 松本
- 司会の松本万季です。22歳です。
- 菅野
- 最後に作詞作曲をします、菅野綾子です。
55歳です。
- 全員
- よろしくお願いします!
- 松本
- 回を重ねて、いろんな話が出てきました。
まずは、きょうのみなさんにも、
老いや死について考えたことがあれば、
可能な範囲でお聞きしたいと思います。
- 佐藤
- 私は、お葬式について、
ひとつ思い浮かぶことがあります。
ひいおじいちゃんが亡くなったとき、
震災などいろいろな要因が重なって、
お葬式に行けなかったんです。
そのことが、ずっと心残りで。
ひいおじいちゃんが亡くなったという実感が、
あまりないんです。
- 全員
- ああー。
- 松本
- もし、お葬式に行っていたら、
実感しただろうなと思いますか。
- 佐藤
- はい。でも、最後にお葬式に行ったのが、
まだ幼稚園児か小学生のころだったので、
お葬式の記憶があまりないんです。
なので「実感したかもしれないな」という感じです。
- 松本
- なるほど。いままでの座談会では
「お葬式に行ったけど、あまり亡くなったことを
実感できなかった」という意見も、
けっこう出ていたんです。
- 佐藤
- へえぇ、そうなんですね。
私は、お葬式には
「別れの区切り」というイメージがあるから、
行きたかったなと思っていました。
- 松本
- たしかに、お葬式にはきっと、
生きている側の気持ちの整理をする
役目もありますね。
- 高澤
- 私は、最後にお葬式に行ったのは
中学生くらいのころでした。
そのとき「お葬式ってすごく忙しいんだ」
という印象を受けたんです。
親族側になると、やることが多くて、
バタバタしているうちに終わってしまう感じで。
- 松本
- そうですね。
- 高澤
- 出産の立ち会いだったら、
「人が生まれる」ということに
直に向き合えるけれど、
お葬式で正面から
「人が亡くなる」ことに向き合う時間は、
実際はそんなに多くないのかもしれません。
四十九日も過ぎて、日常に戻ってから、
やっと故人の死を深いところで感じるというか。
- 松本
- さきほど、まなか(佐藤)さんが言っていたように、
お葬式によって気持ちの整理がつくこともあれば、
お葬式だけでは「亡くなった」という事実を
受け止めるのが難しいこともあるのですね。
- 南
- 私は、お葬式には4回くらい出たことがあります。
でも、思い出してみたら、
意外とお葬式の最中の記憶がないんです。
お葬式の会場に向かうときの夕日や、
「ああ、いまからお葬式か」と思ったことなど‥‥
なぜか、そういった記憶のほうがよく残っていて。
たぶん、自分のなかでは、
お葬式自体よりも、式に向かったことのほうが、
大きなできごとだったのかもしれないです。
- 松本
- いまのお話で、私もひとつ思い出しました。
祖父のお葬式のときに、南さんと同じで、
式自体の印象はそこまで強くなかったんです。
でも、夜、
泊まっていたホテルから夜景が見えて。
そのとき「あ、夜景って光が動くんだ」
と思ったことを、
すごく覚えているんです。
- 南
- ああー。
- 松本
- 夜景って、上から見ると光が動くんだ‥‥
と、初めて知ったことが、
自分にとってとても大きなできごとで。
お葬式のときに知ったからなのか、
別のタイミングでも感動したのかは、
わからないですけれど。
お葬式は、一般的に共有される段取りやルールが、
決まっていますよね。
だから、たとえば南さんだったら道中の車、
私だったら夜景といった、
個人的な記憶の方が
頭に残りやすいのかもしれないです。
- 南
- うん、そうかもね。
その車で掛かっていた音楽もよく覚えています。
すごく夕日がキレイで、
クローバー・ワシントン:ジュニアの
『Just The Two of Us』が
ラジオから流れていました。
これからお葬式で、悲しいのに、
目の前の光景と音楽がキレイだなって思って、
不思議な気分でした。
- 菅野
- もしかしたら、お葬式というのは、
そういうことを感じやすい状況なのかもしれないね。
- 松本
- ああ、感受性が高まるということですね。
悲しい場面なのに、
いろんなものがキレイに見えるみたいな。
- 菅野
- うん。
- 松本
- お葬式の話で、もうひとつ考えたことがあって。
メキシコなどの国では、
お葬式がめちゃめちゃ陽気だと
聞いたことがあります。
そういう形式のお葬式だと、
死もそんなに悲しいものとして捉えることは
ないんでしょうか。
- 南
- 泣いたりはするのかな。
- 松本
- 詳しくはわからないのですが、
お祭りのような雰囲気なら、泣かない気がしますね。
逆に、以前の座談会で、
お葬式に呼ばれて泣く職業の話も出たんです。
- 南
- へえー。
- 松本
- だから、国によってお葬式はぜんぜん違うんだなと
思いました。
徹底的に悲しむことによって、
死の悲しみを乗り越えようとするところもあれば、
歌おう、踊ろうという感じのところも
あるんだなと。
- 南
- 最近、有名な漫画家さんが
お亡くなりになったと聞いて、
ハッと気づいたことがあって。
不謹慎な言い方かもしれないのですが
「人って、死んでいなければ生きているんだ」
と思ったんです。
- 菅野
- えっ、どういうことですか。
- 南
- 私は、その漫画家さんのことを、
もう「伝説」のように感じていたんです。
教科書に載っている偉人や、
伝記が出ている人と同じようなイメージで。
でも、訃報を見て
「これまではどこかで普通に生きていたんだ」と、
初めて認識したんです。
- 菅野
- なるほど。
- 松本
- ちょっとわかります。
- 南
- 好きな海外の役者さんやアーティストも、
自分にとってはすごく遠い、伝説的な存在だけれど、
死んでなかったら生きてるんだなと。
- 松本
- たしかに、彼らがどこかで生きてくれていることの
ありがたみを、普段意識していなかったです。
- 南
- テレビで見るだけの人や、
本で読んで知っているだけの人も、
この世のどこかで生きてる。
そう思うと、すごくふしぎな気持ちになります。
- 松本
- 私たちが伝説的だと思っている人も、
何か食べたり、「これとこれどっち買おうかな」と
迷ったりしているんだな、と、
急に実感が湧きますね。
- 加藤
- 少し話はそれるのですが、有名人の訃報について、
感じていることがあって。
芸能人の方が誹謗中傷を苦にして
亡くなってしまったという事件などを、
最近、とくによく見る気がするんです。
- 佐藤
- うん、以前より、すぐ伝わるようになったと思う。
- 高澤
- 多くの人にその情報が見えるようになったよね。
- 加藤
- ああ、問題自体は昔からあって、
いまは自分たちのような第三者にも
見えやすくなったのか。
- 高澤
- たぶん、SNSがあまり使われていなかったころは、
みんな、そんなに人の死の情報を
追わなかったんじゃないかな。
でも、SNSなどでそういった訃報が流れると、
人は、追いがち。
- 松本
- 追いがちです。
- 高澤
- 亡くなった方に深く関わっていたわけではなくても、
ニュースを目にすると
「どうして亡くなってしまったんだろう」と
気になってくるのかな。
それはなぜなんだろう。
- 松本
- うーん‥‥。
いまは、調べればわかってしまうことが多いから、
かもしれないですね。
それで、深追いしてしまうのかも。
(4曲目〈その2〉に続きます)
2024-11-08-FRI