こういうこと考えるのは自分だけ?
こんなとき、みんなはどっちを選ぶ?
日頃、常々気になっていることや、
ひとりで考えても答えが出せないようなこと。
あ、そんな深刻な話じゃなくて、
もっとくだらないことなんですけどね。
そんな質問をインターネットの海に投げ入れ、
そのアンケート結果をリアルタイムに見ながら、
あれやこれやと雑談しようという企画です。
話しては、ほぼ日の永田と稲崎。
X(旧ツイッター)のスペースを使った、
ほぼ日でいちばん気楽な生配信です。
スマホ片手に、のんびりお付き合いくださいね。
なぜ人は大切な思い出を忘れてしまうのか?
ほぼ日の稲崎です。
いきなり野暮にはじめてみました。
こういうキザな書き出しを
一度はやってみたかったんです。
やってみたかったんですが、
やってみていまわかったことがあります。
こんな出だしではじまる文章が
おもしろいわけがない‥‥。
自分で書いておきながら気づきました。
いまキーボードを打っていて、
手に取るようにわかってしまいました。
そもそも疑問系からはじまる文章は、
だいたいが陳腐です。
「みなさんは〇〇をご存知ですか?」
「ふだん〇〇で困っていませんか?」
ああ、陳腐だ。シンプルに陳腐だ。
手垢にまみれた定型文だ。
そのあと展開が手に取るようにわかる。
きっとAIでも量産されてるにちがいない。
さらにタチがわるいのは、
その使い古された出だしを前フリに、
それを否定することで
ちょっとした予定調和を崩して
読み手の気を引こうとするこのやり口も、
これまた陳腐の上塗りと言えるのではないか?
やめましょう。
こんなはじまり方はよくありません。
いったんすべて忘れて、
あたらしい出だしではじめてみようと思います。
例えば、こんなふうに‥‥。
人は思い出を忘れることで生きていける。
だが、決して忘れてはならないこともある。
エヴァだ。碇ゲンドウのセリフだ。
この令和の時代に誰がわかるというのだ。
陳腐だ!おじさんだ!サブカルクソ野郎だ!
ああ、バカバカ、なんで書いてしまった!
そもそも名言を文章のなかに入れたくなるのは、
書き手が楽をしたいときに起こる現象だ!
いいセリフを書いていいことを言っている錯覚を
書き手自身がしているだけで、
人の手柄を利用しているだけじゃないか!
と、ここまで書いておきながら、
さらにもう一度意見をひっくりかえします。
サンボマスター風に語りかけるなら、
しかしです。しかしなんです。
それでもぼくは思うわけです。
オリジナルなんてどこにあるんだと。
どんなものも陳腐じゃないかと。
ドーナツもコーヒーカップも人体も
トポロジー的に考えるなら同じものだ。
あらゆるものを本質でわけてしまえば、
ほとんどのものは陳腐になる。
いま聞いているポップソングが
ビートルズのつくった曲の
どれかに似ていたっていいじゃないですか。
それで曲をつくらなくなるよりも、
似たような曲をどんどんつくったほうが
世界もあなたも豊かになるじゃないですか。
いまこうやって陳腐な書き出しを否定して、
その否定した案も否定するという
この入れ子構造メタ認知的な手法だって、
メタ入れ子陳腐と名付けてもいいくらいに陳腐です。
そんなややこしい話はクリストファー・ノーランの
『インセプション』だけで十分だとあなたは言うだろう。
陳腐まみれの奈落の底でペンを握るぼくは、
漆黒のセータにぽつりとあいた
穴のような空を見上げてこう叫ぶだろう。
「おれ、その映画みてねーーーし!」
さて、みなさん。
ぼくは身勝手に書き散らして、
読み手を置いてけぼりにしたいわけではないのです。
ぐるっとまわって、
陳腐を受け入れるところから
はじめたいと思っているのです。
縦の陳腐があなた、横の陳腐がわたし。
織りなす陳腐はいつか誰かを暖めるかもしれません。
いま陳腐という綱から手を放しましょう。
みんなで大きな輪をつくって座りましょう。
そんなことをイメージしたら、
なぜだかハンカチ落としをしていた
小学生の頃を記憶がよみがえってきました。
ハンカチ、ぼくのところに来ないかなぁ。
ぼくのところに来たら、
あの子のところに置くんだけどなぁ。
ああ、ぼくも走りたいなぁ。
みんなの注目をあびて走りたいなぁ。
ドキドキするなぁ、うずうずするなぁ。
‥‥けれども、ハンカチはやって来ません。
待てども待てどもハンカチは落ちません。
誰もハンカチを落としてくれません。
きょうもぼくのところにハンカチは来ませんでした。
ゲームが終わるまでのあいだ、
ぼくはただ体育座りをしていただけでした。
個人的な話を、大変失礼しました。
陳腐な話をしようとしたら、
切ない思い出がよみがえってきました。
忘れてもいいような思い出を思い出してしまいました。
ここで最初の野暮な問いが頭をよぎります。
ほんとうに大切な思い出は忘れてしまうのに、
どうして忘れたい思い出は覚えているんだろう。
忘れたくないものは忘れてしまい、
忘れたいものは忘れられない。
これはどういうことなんでしょうか。
わたしたちの脳みそはなぜこうも
複雑な仕様になってしまったのでしょうか。
「自然に存在するすべてのものに、
意味があるという前提のもとで考えるなら‥‥」
というまわりくどい前置きをしながら、
ぼくの心のなかのマイリトルサンボマスター本田は、
こんなことをぼくに語りかけます。
記憶は消えるがたのしかったという感情は残る。
いや、たのしいという感情が残るからこそ、
記憶は脳から消えるように
プログラムされているのかもしれない。
人は忘れるからこそ、また体験したくなる。
人は忘れるからこそ、何度もくりかえしたくなる。
人は忘れるからこそ、その瞬間が愛おしくなる。
そういうことなんじゃないかな?
それだけを言い残して、
マイリトルサンボマスター本田は、
フェンダーのギターを小脇に抱えながら
御茶ノ水方面に姿を消していきました‥‥。
書き散らかした長い物語も、
ようやく終わりが見えてきたようです。
勘の言い方はすでにお気づきでしょう。
そうです、ここまではイントロダクション。
この記事のほんの序章にすぎません。
お待たせしました。
ここからが本題です。
不定期で配信している
この『アンケートと雑談』は、
基本的にアーカイブが残りません。
なんならバックアップもとっていません。
サハラ砂漠の雄大な砂丘のように、
そこにたしかに存在していたものは、
いまはもうどこにもありません。
ま、残ってもらっても困るんですけどね。
この配信でかわされた会話は、
みなさんの脳内に残るのみです。
きっと10年、いや5年も経ってしまえば、
おそらく誰一人ここでの会話の中身を
覚えている人はいないでしょう。
それはマイクに向かって話している
ぼくたちでさえ同じです。
なんなら前回話した7割近くのことを、
ぼくはすっかり忘れてしまいました。
永田さんはきっと聞き直してもいないので、
9割は忘れていることでしょう。
次回の配信もこれまでと同じように、
アンケートをとりながら雑談をします。
素人がだらだら話すだけですから、
あんまり期待はしないでください。
仕事おわりに同じ部署の先輩後輩が、
家に帰らずにだらだらしゃべってるなぁと
思いながら聞いてみてください。
そんな感じの会話が聞こえてくるはずです。
いたらぬところもあると思いますが、
本人たちは精一杯やりますので、
長い目で見守ってもらえるとうれしいです。
次回は11月20日(水)です。
20時からXのスペースを使って配信します。
年内最後の集いになりますので、
よかったらアンケートにも参加してみてください。
「アーカイブは24時間だけ!」といいながら、
毎回2、3日ほど残っていたりします。
当日リアルタイムで聞けないという人は、
Xのタイムラインをさかのぼって
アーカイブを探してみてくださいね。
次回で6回目の配信。
ぼくらの実験はもうちょっとつづきそうです。
2024-11-18-MON