それは「トンコハウス、10年の旅」の羅針盤。

短編アニメーション『ダム・キーパー』が
アカデミー賞にノミネートされたのは、
もう9年も前のこと。
それより少し前に堤大介さんと知り合った
ぼくたち「ほぼ日」は、
トンコハウスのうみだす物語を、
ちょっとだけ近いところで、見てきました。
7月に10周年を迎えるトンコハウスの、
これまでの「旅」について、
あらためて、堤大介さんにうかがいました。
担当は「ほぼ日」奥野です。

>堤大介さんのプロフィール

堤大介(つつみだいすけ)

東京都出身。スクール・オブ・ビジュアル・アーツ卒業。ルーカス・ラーニング、ブルー・スカイ・スタジオなどで『アイスエイジ』や『ロボッツ』などのコンセプトアートを担当。2007年ピクサーに移り、アートディレクターとして『トイ・ストーリー3』や『モンスターズ・ユニバーシティ』などを手がける。2014年7月ピクサーを退社、トンコハウスを設立。初監督作品『ダム・キーパー』は2015年の米アカデミー賞短編アニメーション賞にノミネート。2021年には日本人として初めて米アニー賞のジューン・フォレイ賞を受賞する。2023年、長編『ONI』でアニメ界のアカデミー賞と言われるアニー賞、米テレビ界最高の栄誉エミー賞を受賞。

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──
トンコハウス、10周年!
いやー、本当におめでとうございます。
ありがとうございます(笑)。
──
はじめて堤さんとお会いしたのって、
堤さんがまだピクサーで、
お仕事の傍ら、「スケッチトラベル」
というプロジェクトを
個人的にやっていたころだから‥‥。
震災の前後でしたよね、たしか。
ぼくが「スケッチトラベル」を
はじめたのは、
ピクサーに移って来た年くらいですが、
お会いしたのは、
たぶん、その最終段階のころだと思う。
──
え、ピクサー入りたてだったんですか。
あの、世界71名のアーティストたちが
1冊のスケッチブックを
手渡しで回していって、
そこに作品を描いていくという‥‥
壮大なプロジェクトをはじめたのって。
はい。終了直前に、糸井さんと
対談させていただいたんだと思います。
──
たしか、ほぼ日へ来てくださったのは、
フレデリック・バックさんから
71人目の宮崎(駿)さんのところへ
スケッチブックを届ける直前でしたね。
で、その後ピクサーをお辞めになって、
ロバート・コンドウさんと
トンコハウスを立ち上げるわけですが、
何年いらしたんですか、ピクサーには。
7年です。
──
そのころのことで、
今でもよく覚えてるんですが、
当時のピクサーの社長さんに
メンターになってもらってるんだって、
堤さん、
すごくうれしそうに話してたんですよ。
ああ、はい。エド・キャットムルですね。
スティーブ・ジョブズたちと一緒に
ピクサーを設立した人。
ピクサー関連の本ではいちばん有名な
『CREATIVITY,INC.』の著者です。
そのエドに、メンターになってもらって、
ピクサー最後の年の8ヶ月間、
本当に、いろんなことを教わったんです。

──
ピクサーのクリエイティブといえば
ジョン・ラセターという人が有名ですが、
エドさんをメンターに選んだのは、
堤さんのご希望というか、意思ですか?
そうですね。エドは、
ピクサーを成功に導いた最大の功労者で、
もともとは
コンピュータ科学者、エンジニアでした。
ぼくはアートディレクターだったので、
メンターシップで、
ジョンのような
トップクリエイターではなく、
エドに応募したことは、
たしかに、
ちょっと異例のお願いだったと思います。
──
どうして、エドさんに?
エドは、組織を動かすことや、
社員たちを引っ張っていくことに関して、
大変すぐれた才能を持っていました。
ピクサーの百戦錬磨のクリエイター陣を
ひとつにまとめ上げて、
あれだけ高いクオリティの作品を、
次々と、
それも「健全に」つくっていったんです。
──
健全に。
そうです。健全に、です。
ぼく、ピクサーに入る前は
別のスタジオで仕事をしていたんですけど、
そこのマネジメントって、
ちょっともう‥‥ひどいものだったんです。
完全にトップダウンの指揮系統によって、
クリエイターという
本来「わがままな人たち」の集団を、
むりやりまとめている感じだったんですね。
──
なるほど。
でも、ぼくが入ったころの
ピクサーの雰囲気って、
すごく自由で、みんながイキイキしていた。
各人が自分の才能を
十分に発揮できる場所を実現してたんです。
──
社員の数って、何人くらいだったんですか。
たぶん「1200人」くらいかな。
──
すごい。そこまでの巨大な組織で、
多くのクリエイターたちが
自由にイキイキと才能を発揮する‥‥って、
いかにも難しそうです。
だから、「なんでだろう?」‥‥って、
その秘密を知りたくて、
エドにメンターをお願いしたんですよ。
──
ちなみにですが、当時のピクサーって、
作品としては、
どのあたりをつくってたんですか。
ぼくが入ったのは
『レミーのおいしいレストラン』が
完成したくらい。
ピクサーではじめて仕事をしたのが
『トイ・ストーリー3』です。
ピクサーって、
『トイ・ストーリー3』までは、
ぼくらの業界では
「打率10割」って言われてたんです。
──
ピクサーなら間違いない、みたいな。
「ピクサー最新作!」というだけで、
「見なきゃ!」って感じでしたもんね。
作品のクオリティはもちろん、
映画の興行成績も負け知らずでした。
でも、社長であるエドにとっては、
そうやって
「ずっと成功が続いていること」が
「最大の懸念点」だったんです。
そのことが、近い将来、ピクサーを
ダメにしてしまうかもしれないって。
──
どういうことですか。
失敗がなければ学ぶ機会もない、と。
エドは、メンターシップの8ヶ月間、
そのことについて
折にふれて話してくれました。
で‥‥ぼくが『ダム・キーパー』を
つくりはじめたのも、
ちょうど、その時期なんですよね。
──
ピクサーでピクサーの仕事をしながら、
週末とかに、
自分たちの作品をつくってたんですよね。
エドは、まだ黎明期のピクサーで
『トイ・ストーリー』をつくっていたころの話を、
たくさん聞かせてくれました。
自分たちは、どうして、あの作品をつくったのか。
何が大変で、何に苦労して、
でも何が自分たちにとってのよろこびだったのか。
何が、自分たちにとってのチャレンジだったのか。
──
堤さんがピクサーから独立したのは、
そういうエドさんの話に感化された部分も?
はい。大いにあります。
ロバートと『ダム・キーパー』をつくってるとき、
オフィスを借りていたんですね。
ピクサーの目の前のビルの、倉庫みたいなところ。
あれで法律的にオッケーなのかどうか‥‥
窓もないし、
入口なんかゴミの集積所みたいなところの脇で、
めちゃくちゃ安いところだったんですが、
そこに、いちど、エドが来てくれたことがあって。
──
おお。
ロバートとふたりで、「申しわけないなあ」って。
だって、ピクサーの社長が、そんなところに。
──
そうですよね。
でも、ゴミをかきわけるようにして、
エドは、ぼくらのオフィスにやってきてくれた。
そして、こう言ったんです。
「おまえたち、この気持ちを忘れるな」って。
──
わあ。
自分たちも、ピクサーを立ち上げたときは
同じような感じだったんだ‥‥って。
だから、今の気持ちを
絶対に忘れちゃダメだぞ、おまえたちって。
今でも、覚えています。
──
感動するなあ。
自分が言われたわけでもないのに(笑)。
これからの若きクリエイターに対する、
最大のエールですよね。
エドには8ヶ月間、
メンターシップを担当してもらいました。
その、エドから多くを学んだ8ヶ月間が、
結果的に、
ピクサーを辞めて
トンコハウスをはじめようって決心した、
そのきっかけになっているんです。

(つづきます)

2024-07-04-THU

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  • 7月14日に10周年をむかえる、トンコハウス。
    堤大介さんが、
    まだピクサーのクリエイターだったころから
    親しくお付き合いしてきたご縁で、
    「トンコハウス10周年おめでとう!展」を、
    渋谷PARCO・ほぼ日曜日で開催しています。
    この10年の歩みを、
    キャラクターのマケットやスケッチブック、
    コンセプトアートなど、
    貴重な資料とともに振り返る展示構成。
    また、アカデミー賞にノミネートされた
    『ダム・キーパー』をはじめ
    4つの作品を特設の上映コーナー等で放映。
    自由に鑑賞できます。
    10周年おめでとうのメッセージを書いて
    会場内にはりつけて、
    10周年をみんな一で緒にお祝いしましょう。
    詳しくは、特設サイトでご確認を。

     


     

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    THE SKETCHTRAVEL

    THE DAM KEEPER

    堤大介監督が またひとつ大切な物語をつくってくれた。

    クリエイティブとお金、 チームと個人、リスペクトと嫉妬心。 (画家junaidaさんとの対談)