おしゃれな女性ファッション誌『sweet』で
連載中の「シンVOW」では、
毎回、すてきなゲストをお迎えし、
VOWについてあれこれ語りあっております。
このページでは、紙幅の都合で
sweet』に載せきれなかった部分を含め、
たっぷりロングな別編集バージョンをお届け。
担当は、VOW三代目総本部長を務める
ほぼ日」奥野です。どうぞ。

>加賀美健さん プロフィール

加賀美健(かがみ・けん)

現代美術作家。時事問題やカルチャー現象をジョーク的に変換し作品化する。同時に、おかしなものばかり買う人。近著『最近、買ったもの』は22世紀に残したい奇書である。

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第2回 VOWも「アート」だと思う。

──
手書きの日本語を書いたTシャツとか、
これまで加賀美さんが
いわば「路上」でやってきたことが、
世界有数のハイブランドという
上のほう」から
オーソライズされてしまったときには、
加賀美さん、
何か他のことをやりはじめそうですね。
加賀美
あ、日本語もアリじゃんってなるのは
いいんですよ。
でも、それが「おしゃれ」になったら、
ぼくは興味を失うと思います。
ぼくの日本語のTシャツとかにしても、
好きな人が買ってくれて、
しかも「パジャマで着てます!」とか、
それくらいなほうが、
やっぱり、ちょうどいい気がするので。
──
加賀美さんの「アート」もそうだけど、
加賀美さんの言う「カッコいい」も、
加賀美さんの感じる「おもしろい」も、
権威を帯びた何かだとか
エスタブリッシュされた存在を、
相対化するようなところがありますね。
加賀美
そうですかね。
まあ、難しくは考えてないですけどね。
──
そこなんですよね。
カッコいいとかおもしろいとかが先で、
別に難しくは考えてない。
そういった部分で、
加賀美さんがずっとやってきたことと、
VOWがやってきたことって、
似ている部分がありそうな気がしてて。
加賀美
ああ、似てると思いますよ。
どこがどうっていうのはアレですけど、
少なくとも
ずっとやってきた」ところは似てる。
──
わはは、たしかに(笑)。
加賀美さんはもう20年以上、ですか?
VOWは40年もやってるんですけど。
加賀美
同じことを、飽きもせずにね(笑)。
だからVOWも「アート」じゃないかなあ。
投稿している人たちには、
そんな意識まったくないと思うけど。
長く続けてきたことって、
ぼくはそれだけでアートだと思う。
それにVOWって、
欧米の人たちから見たら、
赤瀬川(原平)さんのやってたことと、
そんなに変わらないとも思うし。
──
路上観察学会とか、トマソンですかね。
たしかに。
その点については、
ぼくもどこか共通点がありそうだなと、
ずっと思ってました。
なので、次回ご登場いただく
東京国立近代美術館の主任研究員の
成相肇さんに、いろいろと
うかがってみようと思っているんです。
加賀美
ああ、いいですね。
赤瀬川さんたちが
道ばたでおもしろがっていたことを、
より大衆の目線で捉えてる、
ぼくは、それがVOWだと思います。
──
それこそ、
赤瀬川さんの「千円札」の事件なんて
権威の象徴中の象徴を
相対化しているわけで、
ただただバカバカしいだけに見える
VOWの投稿にも、
そんなような「気概」っぽいものを、
たまーに感じることがあるんですよ。
2代目総本部長である古矢徹さんも、
1000回に1回くらい、
そういうコメントを混ぜてたし。
加賀美
ああ、そうなんですね。
──
加賀美さんが、Tシャツの胸に
I'm not interested in art」と書くのも、
赤瀬川さんが
千円札の模型をつくったのも、
VOWが大新聞のやらかした誤植について
投稿人とボケ合うのも、
権威的なものを自由にする感じがあるなと、
ぼくは思っているんです。
加賀美
なるほどね。
──
権威の側にいる人たちやえらい人たちって、
どこか「見えないもの」に
縛られてるような感じがするんだけど、
赤瀬川さんや加賀美さんやVOWによって、
そういう人たちに対しても、
どこか親近感を感じられるようになる‥‥
気がするような、しないような。
加賀美
なんかわかります。いまの時代って
過剰に「不謹慎だ!」とかありますよね。
さっきの氷室さんの投稿だって、
ヒムロック、今でもかっこいいです!」
とか言われるかもしれないけど、
そんなことは当然わかってるわけだしね。
──
そう。ぼくはBOØWYのファンですから、
その点はもちろん承知してますけど、
でも、そのうえで、
この落書きには笑っちゃうし、同時に
氷室さんのファンであるという気持ちには、
まったく変わりはないので。
そういえば加賀美さんも、
ちょっと前に「炎上」なさっておれらて。
加賀美
しました。人生初の炎上。
あのときの批判でいちばん多かったのは、
こんなのアートじゃない」
オレにも書ける」ってやつなんだけど。
──
あー、なるほど。
加賀美
ぼくは「こんなのアートじゃない」って、
思われることが自分のアートだって、
どこかで思っているフシがあるんですよ。
──
うん。わかります。
加賀美
こんなのアートじゃない」って
言われてからが勝負だという気がしてる、
というか。
ぼくがやってきたことって、
上手な絵とか迫力のある彫刻作品だけが
アートだって思ってる人からは、
こんなのアートじゃない!」ってこと
ばっかりなので。
──
加賀美さんのやったことで、
ぼくが度肝を抜かれたのは「ぎ展」ですね。
加賀美さんの娘さんが、
お母さんつまり加賀美さんの奥さまの握った
おにぎりを包んでいた銀紙を丸めて、
立体作品だよ」といって渡してくるのを、
加賀美さんが、ずっとコレクションしていて、
それらを一堂に展示した展覧会。
加賀美
はい。

加賀美健『ぎ展』(2023)展示風景 協力:VOILLD 加賀美健『ぎ展』(2023)展示風景 協力:VOILLD

加賀美健『ぎ展』(2023)展示風景 協力:VOILLD 加賀美健『ぎ展』(2023)展示風景 協力:VOILLD

──
展覧会場の真っ白い壁に、
ちっちゃく丸められたおにぎりの銀紙が、
ぽつりぽつりと並んでる。
めちゃくちゃおもしろくて、
まったく新しい光景でした。
加賀美
誰もが「アートだ」と認める作品と引き比べて
銀紙を丸めたのなんてアートじゃない。
オレにもできる」って、
ぼくは、そこに「はてな?」を感じるんです。
アートとはこうである!」って
決めつけた瞬間にアートじゃなくなる気がして。
──
さっきの話の流れで言ったら、
アートとはこうあるべき、
美術館に入るもの以外はアートでありません、
みたいなくびきから、
アートを自由にしている人のひとりだなと、
ぼくなんかは、傍から見てて勝手に思うんです。
で、歴史を振り返れば、
マネもルソーもデュシャンも印象派でさえも、
最初は「あんなもの!」と批判されていたけど、
いまじゃアート・オブ・アートですよね。
そこにアートの懐の深さを感じたりもしてます。
加賀美
誰もが納得するアートの定義を言える人なんて、
世の中にひとりもいないと思う。
こんなヘタな字なら俺でも書ける」とか
これのどこがアートなの?」とか、
そう言われること自体がぼくのアートだと、
ぼくは、思っているんです。

『VOW7』より 『VOW7』より

つづきます)

2025-03-13-THU

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