最終回 たんぽぽ
息子が通うことになった幼稚園には、入園式がない。
園長先生の説明によれば、
おおげさなセレモニーで子どもたちが戸惑わないように、
新しく来る園児が、公園にでも遊びに来たような感じで
すんなりと新しい環境に馴染めるように、
という配慮からだという。
そこは古い幼稚園で、
園庭では子どもたちが本当に泥だらけで遊んでいる。
子どものためにいくつかの幼稚園を見学したとき、
なんて楽しそうなところだろうと思った。
古い幼稚園には、
長い時間をかけて培った独特のルールがある。
送迎バスは、なし。
運動会では、カメラの持ち込み禁止。
そして、入園式もない。
だから、今日は、息子の初登園の日だけれども、
僕も妻も息子も完全に普段着である。
ビデオカメラも用意していないし、
朝ご飯もいつもと同じように、パンにした。
公園にでも、遊びに行くような感じで。
せめて幼稚園の門のところまで送り届けることが
僕と妻にとってのささやかなセレモニーだ。
もちろん、親の胸には期待と不安がある。
けれども、平素のごとく振る舞う。
必要以上に子どもを緊張させないように、
それでも「たのしみだね!」という
わくわくした気持ちは高め合いながら、
僕と妻と息子はいつもより少し早く起きて車に乗り込んだ。
その幼稚園は、隣町にある。
送り迎えは少したいへんだけど、
子どもがあの幼稚園で3年間を過ごせるなら
それくらいは苦にならない。
後部座席でチャイルドシートに座る子どもは、
真新しいオレンジ色のスモックに身を包まれている。
今日から幼稚園なのだ、ということはわかっているようだが
完全にたのしさだけではしゃいでいるかというと、
やはりそうではない。
3歳児特有の脈絡のないおしゃべりの合間に
いつもよりちょっと長めの沈黙が混ざる。
きっと、僕と妻の、隠そうと努める緊張感のようなものが
じわじわと伝わってしまっているのだと思う。
座る子どもの傍らに置かれたいくつかの入園道具は、
僕と妻が文字通り夜なべをして作った。
お母さんは、リュックと手提げと巾着袋を。
お父さんは、お道具箱を。
既製品ではなく手作りで用意するのが
その幼稚園の決まりだ。
僕も妻も、工作や裁縫は不得意ではないが、
なにしろ長くやってなかったことだったから
互いに本当に苦労してつくった。
お道具箱には絵や名前を描くということになっている。
僕は子どもの好きな「太陽の塔」を描いた。
ずいぶん久しぶりに真剣に絵を描いて、
それはそれでとても楽しかった。
当然、そういった苦労を子どもは知らないので、
妻が苦心のすえに仕上げたリュックをはじめて見たとき、
「もういっこ、つくって」などと言っていた。
カーステレオでいつも聴いている音楽をかけて、
あえて、他愛のないおしゃべりをしながら、
みんなで幼稚園へ向かう。
せめて、今日がいい天気でよかった。
幼稚園には駐車場がないので、
少し離れた川沿いのコインパーキングへ車を停める。
降りて、子どもがいきなり抱っこをせがむ。
歩いて行こうね、と小さな手をつかむ。
どうしても、今日がそのはじまりなのだということが、
わかってしまうのだと思う。
でも、歩いて行こうね、とその手を握る。
行く道のところどころに小さな植え込みがあり、
そこに茂る雑草が小さな彼の歩を進める助けとなった。
「あ、なずな」と子どもは指さした。
子ども用の草花の図鑑で名前を覚えたのだ。
2歳を過ぎてから、子どもは
急にものの名前を覚えるようになった。
国旗、電車、虫、貝、草花、ひらがな、カタカナ。
そういうところはあんたの小さいころに似ていると、
先日上京したうちの母親が言っていた。
なずな、たんぽぽ、ほとけのざ、からすのえんどう。
この歳になって、僕も草の名前をいくつも覚えた。
川沿いから幼稚園へ向かうその道はビルの陰になっていて、
ところどころに明るい日向が浮島のように浮かぶ。
僕と妻と息子は、幼稚園へ向かって
ゆっくりゆっくり進んでいく。
もうしばらく真っ直ぐ行って、
左へ折れて、100メートルほど進むと幼稚園だ。
早すぎず、遅すぎず、
ちょうどよいころに着けるなと思った。
妻が前日に試算した時間どおりだ。
いい天気で、子どもも、ぐずったりはしていない。
小さな手を引きながら、僕は少し、ほっとしていた。
前方から自転車がやってきていた。
でも、まったく気にしていなかった。
不注意だったと思う。
突然、ぱっと息子が駆けだした。
つかんでいた僕の手を払い、真横へ。
たぶん、道路際の植え込みに何かを見つけたのだ。
けれども、あまりに突然の出来事だった。
あっと思ったときには、もう、ぼくの手を離れていた。
自転車の、甲高いブレーキ音。
朝の空気を切り裂き、
駆け寄る。
自転車の大きな大きなゴムのタイヤが、
本当に、小さな彼の、
鼻先数十センチのところまで迫っていた。
ぎりぎりでブレーキは間に合って、
ぼくは子どもの名前を強く短く叫び、
自転車に乗っていたおじさんに慌てて謝って、
呆然としている子どもの肩をつかみながら
だめじゃないか、というようなことを言った。
とにかく、だめじゃないか! と。
たぶん、大きな声を出したと思う。
叱りかけた僕の背に向かって妻が何か言った。
振り返ると妻は、僕をにらみつけながら
「怒らないで」と静かに鋭く言った。
妻の目は、子どもを怒ろうとする僕に対して怒っていた。
我に返って目を転じると、
子どもはいろんなことに驚いて
泣くことさえままならずに
ただ固まってしまっていた。
そうだ、彼は、何かを見つけて
つい走り出しただけなのだ。
歩道を1メートルくらい走っただけなのだ。
そのうえ、今日は初登園の日なのだ。
これから、新しい生活がはじまるのだ。
僕は何食わぬ顔をして立ち上がり、
よし、じゃあ行こうか、と、
無理にいつもどおりの調子で声をかけて、
またその小さな手を引いた。
引かれるがまま、息子は呆然として歩いた。
大丈夫、なんでもないよ、というふうに、
僕らはその日陰の道を、ゆっくりと歩きだした。
ニワトリがいるかな、
どろんこ遊びできるかなと、
僕と妻は努めて明るく問いかけた。
たのしい気分で、幼稚園の門に立ってほしかった。
息子はとぼとぼ歩いている。
混乱して、よくわかっていない。
大丈夫だよ、と言ってあげたいが、言わない。
だって、なにが大丈夫なのか、
きっとよくわからないだろうから。
しばらく歩いたところで、
ずっと黙っていた彼がぽつりとつぶやいた。
誰に言うでもなく、小さな声で。
「ぼく、たんぽぽが、とりたかった」
消え入りそうな声で、そう言った。
それを聞いてちょっと泣きそうになる。
うん、そうか。そうだったのか。
たんぽぽが咲いてたんだね。
ごめんね、気づかなかった。
もう少しで曲がり角だ。
あそこの角を曲がると、幼稚園だよ。
たのしいよ、きっと。たのしくなるといいね。
角を曲がる直前で、もう一度、彼は言った。
まえと同じように。
小さく、前を見つめたままで。
「ぼく、たんぽぽが、とりたかった」
うん、そうだね。
ごめんね、悪いのは、
ちゃんと手を握ってなかったパパなんだ。
日陰の道から角を左へ曲がると、
幼稚園への道は陽の光に満ちていて、
小さな彼はまぶしさで何度も目を瞬かせる。
もう着くよ。きっと、たのしいよ。
そして、幼稚園までもう少し、
というところまでのろのろと歩いて、
とうとう彼はその足を止めてしまう。
だんだんに歩幅が狭くなり、
止まって、手を引いても応えない。
日向の道で立ち止まり、彼はうつむいている。
しゃがみ込んだ僕の耳もとで、彼は言った。
3度目のそれが、もっとも弱々しかった。
「ぼく、たんぽぽが、とりたかった」
そして、言い終わるか言い終わらないかのうちに、
顔がくしゃくしゃと崩れていって、
そこでようやく「うわーん」と泣いた。
絵に描いたように「うわーん」と泣いた。
小さな目から、小さな涙が、ぽろぽろとこぼれた。
たぶん、いろんなことがいっしょくたになっていた。
とれなかったたんぽぽや、
突然響いたブレーキの音、
着慣れないオレンジ色のスモック、
なにかがはじまるというかすかな胸騒ぎ、
いつもより短い睡眠時間、
目の前にせまった大きな自転車のタイヤ、
そして、いつもとちょっと違うパパとママ。
いろんなことが小さな胸にあふれて、
4月の日向の道で彼は「うわーん」と泣いた。
それはいつも駄々をこねるときに
泣き叫ぶときのような声量はなく、
陽のまぶしい屋外ではとりわけ弱々しく響いた。
小さな体からいろんなものがあふれだしていくようで、
僕はそれを両腕でぎゅぅっと包んだ。
そして、持っていた荷物を妻にあずけ、
泣いている子どもをそのまま抱きかかえると
僕はもと来た道を小走りに引き返した。
せめて、そのたんぽぽを、と僕は思った。
角を曲がると小さな植え込みが続く。
なずな、たんぽぽ、ほとけのざ、からすのえんどう。
とりたかったたんぽぽは、もっと向こうにある。
これかな? これじゃないね?
話しかけながら、僕は戻る。
そして、見つけた。見た瞬間にわかった。
それは、日陰の中で、
陽のスポットライトを浴びているかのようだった。
ビルの隙間から指した新しい朝の光が、
植え込みのその部分を鮮やかに射抜いている。
そこに、黄色い大輪。
そう、たんぽぽにも、大輪がある。
この歳になって、僕はそんなことを知る。
たんぽぽなんて、どれも同じだと思っていた。
すごくよく咲いたたんぽぽがあるなんて、
これまでに考えたこともなかった。
ひだまりの中に見事な黄色の輪がある。
花弁のひとつひとつは見事に同心円状に並び、
そのいちいちが外側に行くにつれて絶妙な角度で反り返る。
小さなたんぽぽは、
強く、ひたすらに陽の光を反射している。
ああ、これを見て、駆け出したのか。
これを見たら、駆け出しちゃうよな。
抱かれたまま彼は小さな手を伸ばし、
それを助けるために僕はしゃがみ込む。
そして、小さな手が、その大輪を手折る。
しっかりとその手に握られる、黄色いたんぽぽ。
それだけですぐにたのしく笑えるわけではない。
それでも、黄色い花が手に握られたことで、
彼の心を堰き止める石がひとつ取り除かれ、
腕の中に小さな安堵が生じるのを僕は感じる。
手にしたたんぽぽをじっと見つめる子どもを、
僕は、絵本の『よるくま』に出てくる
熊のお母さんみたいに抱っこしたまま急いで歩いた。
角を曲がるとまぶしい道にママが立っていて、
そのままみんなで真っ直ぐ進むと幼稚園だ。
古くて、ニワトリが放し飼いにされてて、
ときどきヤキイモを焼いたりする幼稚園だ。
なずな、たんぽぽ、ほとけのざ、からすのえんどう。
たのしいよ、きっと。たのしくなるといいね。
黄色い花を握ったままの子どもを
頼もしい先生たちにあずけて、
僕と妻は門を出る。
スロープのところで振り返って
小さい背中を目で追っていったら
妻から、はやく来いと怒られた。
昼過ぎ、どうしても気になって、
仕事中に妻の携帯を鳴らした。
「たのしかったみたいよ」と妻は言った。
それだけ? と妻は言う。
うん、それだけ。と僕は答える。
2007/04/11
(永田が「ほぼ日」の乗組員になるまえから連載していた
『怪録テレコマン!』は今回で終了です。
読んでいただき、どうもありがとうございました。
永田は「ほぼ日」の記事をばりばり書いていますので
今後ともどうぞよろしくお願いします。) |