はじめての中沢新一。
アースダイバーから、芸術人類学へ。

とんでもなく大きい視野のイベントができました!
友人たちが関係者席に座りたがってタイヘンです。
タモリさんと、糸井重里の依頼で、
中央大学教授の中沢新一さんが、登場するんです。

30年間の研究を、徹底的に濃縮し、
糸井重里に邪魔されながら、
タモリさんに突っこまれながら、
旧石器時代から現在につながる人間たちを、
そして未来に向けての人間たちの希望を……
たぶん、目の前に、想像させてくれるはずです。

「対称性、という道具を持って世界を見るうちに、
 自分の思考の中でなにか決定的なことが起きた」

縄文地図を手に東京を歩く『アースダイバー』や
全5巻の大傑作『カイエ・ソバージュ』の内容を、
いい会場、きれいな座席、長丁場で、語りつくす!

イベントがどんなにおもしろくなるか、
想像できそうな、打ちあわせの会話を、
「ほぼ日」では、連載してゆきますね。

第13回 どこまでもつながってゆく
糸井 『アースダイバー』は
まえがきのコンセプトに
血わき肉おどったよなぁ。
タモリ なんで、
あんなにワクワクするんだろうね。
東京をあちこち歩いてても、自分では
「あ、ここは古墳だ」っつうぐらいで。
糸井 ローマの遺跡で
おどろいていた自分が、
「東京のほうが深い」
といわれるとショックですよね。
タモリ だから、
縄文というのが
おもしろくなってきた。
糸井 つい眉唾になるぐらい、よくできてたもん。
でも感動しました。ほとんど詩だね。あれ。
中沢 パリやローマを歩いても
こんなに深い話までいかないんです。
ローマはせいぜいローマ時代だから、
二〇〇〇年もいかないでしょう。
東京には、
ほんとにへんなものが残ってて。

あ、ぼく、タモリさんを
昔、新宿で見かけたんですよ。
タモリさんが最初に九州から出てきたころ。
赤塚さんの『少年サンデー』の担当者が
ぼくの高校の同級生で、
赤塚さんに、紹介してもらいにいったら、
九州からきた森田さんという人が
四カ国語マージャンをやっていた。
……あれは、びっくりしました!
糸井 うん。当時は、
「今日、タモリきてるから」
という言葉がありましたね。
中沢 それで
赤塚さんと話したんですが、
赤塚さんが相撲取りをつれてきて、
ぼくがなんかの拍子に
相撲取りをからかっちゃったんで、
「表に出ろ!」と張りたおされて。
タモリ それ、玄武かなんかでしょう?
中沢 はい、玄武です。
タモリ 玄武にやられたらすごいですよ。
中沢 さすがに相撲取りの張り手はすごかった!(笑)
その時、タモリさんをはじめて見たんですよね。
タモリ へぇ、ずいぶん前ですね。
ほんとに、東京に出てきた直後です。
糸井 へぇ。

『アースダイバー』を
日本のあちこちでやるなんてことは、
もうないんですよね?
中沢 やれたらおもしろいと思うんですけど、
「この縄文地図と
 そっくりの地形のところいきませんか?」
と言われて、どこかきいたら、
気仙沼のリアス式海岸って……。
タモリ (笑)
そういうこっちゃない。
それじゃ、
縄文文化じゃなくて
単なる地形ファンだから。
糸井 それにしても
東京というのは
とんでもない場所なんですね。
中沢 うん。
やはり、世界の都市のなかでも
とんでもないもののうちのひとつです。
タモリ 読むと、
「へぇ、はじめて知った」
というものばかりでした。
東京の町っておもしろいな、
と、なんとなく思っていた理由が、
だんだんだんだん解きあかされて、
その理由が、
ものすごいところに
つながってるんですよね。
どこまでもつながってゆくし。
中沢 江戸時代の東京論というのは、
江戸時代の有名な神社仏閣が
中心になっているけど、
その神社仏閣がもとはなんだということを
言っていくと、
『アースダイバー』みたいになるんですね。
タモリ 東京は
江戸時代から
あとのものとされがちだけど、
さらに先にいくと、
こんなことが起きていたのか、
と思いました。
糸井 タモリさん、けっこう
東京の坂を歩きまくったんですか。
タモリ 東京の坂は、歩きましたね。
糸井 十年ぐらいですか?
タモリ そのぐらい。
中沢 大都会で、ふつうは
こんなに坂があっちゃいけないですよね?
タモリ 急坂ですからね……。
中沢 坂の写真の撮り方ってむずかしいでしょ?
タモリ 最初はカメラマンが撮ってたんですけど、
こちらがさんざん文句を言って、
結局、自分で撮ることになって……
仕事が増えちゃったんです。
糸井 まぁ、カメラマンは、タモリさんほど
「坂とは何か」とか考えてないからね。
タモリ 俺、坂道に
人とクルマがいるのがイヤなんです。
中沢 ほんとだ。
タモリさんの本には、いないですね。
タモリ ふつうのカメラマンは
かならず入れるんです。
中沢 皇居が東京にきちゃったのは、
天皇制の歴史にとって
画期的だったんじゃないかと思うんです。
もともと、天皇家は
京都の平地にならしたところで
地続きで住んでいたわけでしょ。
庭なんか、草木をみんな切っていた……。
しかし江戸城はそういう場所ではなくて
もともと岬の突端地にありましたからね。
家康がきて山を切り崩したにしても、
征夷大将軍の「岬にたつ」という感覚は、
ずっと残るわけでしょう。

そこに、
明治天皇が軍服をきて入ることになる。
住む場所が森になっちゃったわけです。
本来、天皇家というのは、
森に入るときは戦闘態勢なんですよね。
後醍醐天皇の熊野のときとか、
壬申の乱のときがそうだけど。

京都の御所から
こちらにきたときに、
根本的に、変わっているものが
あるんじゃないかと思うんです。

だから、
森に住むようになったとき、
長いこと天皇家が
表面に出さなかったものが
出てるんじゃないかと思うんですね。
女系天皇という可能性が
出ているじゃないですか。
女系天皇が出てくると、
縄文時代とおなじ家族制度になるわけですね。


(明日に、つづきます)

2005-10-06-THU

(C)Hobo Nikkan Itoi Shinbun