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中沢 |
前橋に講演にいったんです。
前橋ということで、
お客さんを、つかまなきゃいけないから、
ま、糸井さんの話をするじゃないですか。
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糸井 |
やだなぁ(笑)。
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中沢 |
そのあとやっぱり
縄文の話になるね。
前橋の古墳と
多摩丘陵の古墳と、
ほとんど同時代なんですよ。
流行が
前橋と多摩でいったりきたりする。
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糸井 |
そうとうな距離だよね?
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中沢 |
うん。
前橋、多摩丘陵、町田、
それから八ケ岳というのが、
ひとつ津久井通というのでつながってる。
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糸井 |
移動、たいらなところをとおらないんだ?
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中沢 |
とおらないね。
縄文のところはみんな丘陵地です。
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タモリ |
(縄文の時期の地図を見る)
これ以上、
海が入りこんだ地形図は
ないんですか?
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中沢 |
ええ。
やっぱりこれが
いちばん入りこんだ時期です。
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糸井 |
タモリさん、
東京をさんざん歩いてるから、
縄文地図を見ると、やっぱり、
「そうだろうな」
という感じで見えるんでしょ?
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タモリ |
うん。
「あぁ、あそこだ、やっぱり」って。
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中沢 |
町を歩いてると、
「なんで
こういう坂になっちゃうの?」
とか考えるじゃないですか。
のぼったりおりたり
めんどくさいような場所は
昔の地図を見るとわかるんですよね。
神社の配置は、陸に沿っていますし。
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タモリ |
東京は何回か
陸になったり海になったり
してるらしいんです。
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中沢 |
そうなんです。
氷河期にはひいちゃうんです。
だからこの地図が、いちばん、
海が入りこんだ時期ですよね。
いちばん入りこんだ時期が
縄文中期で、
町田、八ケ岳、前橋あたりで
縄文文化の全盛期だったんです。
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糸井 |
へぇー。
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中沢 |
紀元前六〇〇〇年ですね。
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タモリ |
(地図を見て)
ここには特に
ものすごい谷が入りこんでる。
こういう地形、
あんまりないですもんねぇ。
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中沢 |
ええ。規模のちいさい……。
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糸井 |
(笑)なんか、
専門家どうしの話がはじまったよ!
タモリさんも
中沢くんも、まるで常識のように
「こういう地形はあんまりないね」
って……。
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タモリ |
河口でこういう地形が
ないこともないんですけど、
東京の場合は
標高がけっこう高いんです。
それが、特徴なんですよね。
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中沢 |
そうそう。
もともとは高地なんです。
たとえば
山の上ホテルのあたりは、
今より
数十メートル高いんです。
駿河台を切り崩して、
銀座に埋めちゃったんです。
駿河台の土で
日比谷や虎ノ門あたりを
埋めたわけなんですよね。
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糸井 |
その情報源も区史?
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中沢 |
江戸時代の人が、
もっこで土を運んでるところを見て、
随筆に書いてんです。それを読んだ。
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タモリ |
品川に八ツ山ってあるでしょう?
あれ、もともとはほんとに
山だったみたいです。
ぜんぶ、埋めたてに使ったって。
地名だけが残っているから、
いまは、
どこが山なんだろうっていう
ところなんだけど。
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糸井 |
俺、それ『タモリ倶楽部』で
見たような気がするなあ(笑)。
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中沢 |
『タモリ倶楽部』って
そういうのやってるんですか?
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糸井 |
ときどき、すごいことやってる(笑)。
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中沢 |
(笑)すごい。
(明日に、つづきます)
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