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(持ってみて)
おお、意外と重量感があるんですね。
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芦田 健一郎
(あしだ・けんいちろう)
任天堂総合開発本部
開発部係長 デザイン担当 |
任天堂広報部: |
そう、重量感はありますよね。
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────: |
写真で拝見していたときは
かたちのキュートさから、
もっと軽いのかな?
と思い込んでいましたが、
こうして実際に見てみると、
しっかりしたものだという印象ですね。
この「ゲームキューブ」は、
いつごろから考え始められたんですか?
“64”が世に出たあと、すぐに?
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芦 田: |
企画はかなり古いんです。
(手帳を3冊出して)えーっと……。
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────: |
3冊っていうことは2年前から……
1999年ですね。
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芦: |
そうですね、
僕が参加してからは、2年半ぐらいなんですが、
総責任者の竹田総合開発本部長が
いつからこれを考え始めたのかは、
ちょっとわからないんですね。
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────: |
竹田さんの頭の中にぼんやりあったものが
だんだん形になる過程というのが
みなさんの知らないところであったんですね。
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任: |
この時コードネームって
「ドルフィン」やったよね。
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芦: |
そうだね。(手帳を見ながら)
僕が本体デザインに着手したのは
1999年3月からですね。
コントローラはひと月おくれで4月から。
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────: |
芦田さんはデザインに関することをすべて、
なにからなにまで見る方なんですか?
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芦: |
ええ。
ゲームキューブ・プロジェクトにおける、
ハードウェアのデザインから
パッケージやロゴマークなどの
グラフィックデザインまで
いろいろやってます。
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────: |
こうした大きなプロジェクトの
デザインというのは、
もっと……なんというか、
分業的なものかと思っていました。
何人かのデザイナーさんがいて、
それを統括していくというよりも、
ひとりのセンスをすごく大切にして、
っていうやり方なんでしょうか。
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芦: |
ゲームキューブのハードの設計・デザインは
総合開発本部の総力を結集して
取り組んでいます。
当然、ひとりでやっているわけでは
ありません。
総合開発本部はハードウェアの
開発部隊ですので、
機構設計のエンジニアが数多くいます。
まず、ハードウェアのデザインでは、
機構設計のエンジニアと各アイテムごとに
二人三脚あるいは三人四脚で進んでいきます。
その中で議論しながら
デザインをまとめていきます。
機構設計のスタッフのガンバリなくして
斬新なデザインが実現できません。
「このデザインできたけど、どおや?」
「ちょっと、無理やな」
「何とかならへん」
「しゃあない な。ほな、考えるわ」
という感じで、スタッフひとりひとりの
センスを大切にして、
カタチができていくんです。
グラフィックデザインも同じで、
僕がディレクションをしますが、
デザイン担当スタッフ全員で
アイデアを出し合いながらやってます。
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────: |
ディレクション……すると、やっぱり、
芦田さんの個性というのも
色濃く投影されているのではないか?
と思うんです。
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芦: |
そうですね。
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────: |
ゲームキューブ、これ、
建築的な印象があるんですけれど、
なんかそういうものから影響されたりとか
しているんですか?
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芦: |
ん! してますね、これは。
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任: |
芦田さんは、建築好きやんね。
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芦: |
建築は、大好きです。
イタリアなんかでは、
建築デザイナーと工業デザイナーは
同じ人が両方やっている場合がありますね。
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────: |
そうですよね。
フィリップ・スタルクは
でかいビルから、
歯ブラシまで設計してますよね。
もっと身近な関係でいうと、
一般的な建築家でも、家具を作りますよね。
たしかに、それを考えると
別に不思議じゃないです。
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芦: |
そうですね。でも、じっくり考えてみると、
建築や他の家電製品といったものからの影響は
あくまで間接的な影響であるような気がします。
やっぱり、テレビゲーム機をデザインする
プロダクトデザイナーとして、
僕がもっとも直接的に影響を受けたのは、
ゲームソフトそのものだと思うんです。
それも任天堂情報開発本部が
ゲームソフトをつくる
思想なんじゃないかなと。
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────: |
ゲームキューブをつくってきた
この3年ぐらいというのは
芦田さんは何を大事にしながら
来たんでしょう。
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芦: |
あー、「家」と「子供」ですね、やっぱね。
じつは、“64”をつくっていたときには
僕は自分でも家を建てていたんです。
ですから、建築的な知識が
64の設計にも生かされたり
ヒントになったりしたことはありました。
ゲームキューブのデザインは、
はじめての子供が産まれて、育てる過程と
ぴったり並行しているんですね。
今、子供は3歳なんですが、
4歳くらいになったら、
ゲームキューブのコントローラを持たせて
ゲームを遊ばせようと、
今から決めています。
ゲームキューブのコントローラは
出来るだけコンパクトなデザインを
試みたのですが、
ちっちゃな手で遊べるかどうか、
今から心配で楽しみです。
それから、この2、3年間ていうのは、
自分にとっても今までの仕事の
集大成という気持ちが強いですね。
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────: |
これが、たしか3作目ですよね、
大きなものとしては。
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任: |
スーパーファミコン、64、ゲームキューブ。
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────: |
前作の反省が今回生きた、
ということはありますか?
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芦: |
ええ。日本ではねえ、
やっぱり64のコントローラっていうのは
大きかったんです。
子供には使いにくかったんですね。
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────: |
大人の手でちょうどよかったですね、
たしかに。あれはなぜ?
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芦: |
ロクヨンはアメリカのマーケットを重視して
デザインしたからなんです。
でも、コントローラをアメリカンサイズに
デザインしたのは間違いでした。
それで日本の小さな手の子供たちを
犠牲にしてしまいました。
この点は反省として、
ゲームキューブのコントローラのデザインに
大きく反映されましたね。
そして、ゲームキューブのコントローラを
スーパーファミコン的な気持ち良さが味わえる
コントローラにするため、
試作を繰り返しました。
ボタン同士の相互関係が自然であったり、
手の平でつつむ感覚が
コンパクトでやさしかった
スーパーファミコンのコントローラを
再現しようとしたんです。
えーっと、それから。
流線形や有機的なフォルムを基調にしたのも、
当時のアメリカでCoolと思われる
デザインを考えた結果です。
その時はある意味で革新的だったと
思うのですが、
今ではちょっと恥ずかしいですね。
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────: |
エルゴノミクスというか、
なめらかにカーブしているデザインですよね。
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芦: |
そういうものは、
やっぱり好き嫌いあると思うんですよ。
だから、いいと言う人もいれば、
部屋に置きたくないという人も、いる。
そういったことをほんとに、反省して、
今回は挑みました。
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────: |
とてもせんえつな言い方かも
しれないんですけれど、
ゲームキューブの本体を
こうして見せていただいて、
任天堂の“本気”を感じるんです。
エンターテイメント企業です、っていうような
言い方をしてますよね、このごろ。
その気持ちみたいなものが
すっごく詰まってるなと思って。
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芦: |
そうですね。反省をしているというのは
本気の証拠なんでしょうね。
それから、反省だけしたんじゃなっくって、
ちゃんとどうしたらいいのか考えたんです。
そのデザイン的アプローチとして、
「誰からも嫌われないデザイン」
ということになるんですけれど。
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────: |
ええ。
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芦: |
具体的には、「フレンドリー」と
「ニュートラル」というキーワードで
デザインが進んでいきました。
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────: |
といって個性が無いわけじゃないですよね。
このキーワードって難しいですね。
きちんと咀嚼して考えないと、
ただただ世の中に迎合したような、
ほんとにつまらないものになりそうです。
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芦: |
ちゃんと説明しますと、
「ニュートラル」といっても、
どっちつかずであったり、
特徴が無いといった意味ではなく、
好き嫌いが極端に別れるデザインは
やめようという事なんです。
「フレンドリー」は
ユーザーにとって本当に使いやすいマシンの
デザインをするためのキーワードといえます。
そして、こういったアプローチを試みた結果、
生まれてきたカタチが
“キューブ(立方体)”だったんです。
だからまあ、「ニュートラル」とか
「フレンドリー」っていうことは、
マイナス的な考え方や
消極的な考え方ではなくて、
まったく逆なんです。
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────: |
(笑)そうですよね。
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芦: |
新商品は必ず、
革新的でなければいけないんです。
立方体の小さなテレビゲーム機は
革新的だと思いませんか?(笑)
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────: |
これは、革新的ですよ!
たしかにキューブ、四角いものは
昔からあったわけだけれど、
それだけじゃない、なんだろうな、
これ言葉で説明しにくい部分なんですけど。
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