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この緊急座談会を読む前に。
 

ほんとうは、まだ起こっている事実に
心がついていってない状態ですが、
少しだけ、いま現在の気持を述べさせていただきます。

昨夜、このページの掲載準備をするために、
参考資料として「画面写真」を少しつけようと、
ゲームの出来ている部分を急ぎ足でやっていました。
ぼくと「マザーチーム・文芸部」をやっていてくれた
三浦弟くんが、コントローラーを握ってくれて、
ゲーム内でのバトルや会話をしながら、
3時間ほどプレイしていたでしょうか。
それを、ぼくはずっと見ていました。
「ほぼ日」のスタッフもずっと見ていました。
笑い声があったり、叫び声があがったり、
泣きそうになるやつがいたり、
まるで、発売されたゲームを楽しんでいるようでした。

しかし、これは、あり得ない
「未来の思い出」だったのです。
秘密で進行しているゲームのプロジェクトですから、
こういう場で、ユーザーの笑い声などを聞くことは
いままでありませんでしたが、
あらためて無邪気に楽しんでくれたり、
「すげぇ」と叫んでくれる人たちを初めて見て、
やっと、ぼくは悲しい気持になることができました。

『MOTHER 3』というゲームソフトの開発が、
中止されることが決定されてからも、
なんども「MOTHER 3はいつでるんですか?」と、
質問されました。
答えようのない答えをのどにつかえさせたまま、
過ごしてきた期間も、ぼくは、
ほんとうにこのゲームが出なくなるということを
身体全体で信じることができないでいたように思います。

しかし、現実に『MOTHER 3』というゲームは、
あしかけ6年の開発期間を経たものの、
志をまっとうできずに中止にすることになりました。
出来ている部分については、あらためて
おもしろいゲームになっていると思いますし、
どんでん返しの連続のストーリーにも、
いまでも未練は残っていますが、現実的には
開発のスタッフだけが知っているという、
幻のゲームになりました。

この『MOTHER 3』開発の中止について、
簡単な書面でお伝えすることは、
誤解も招くおそれもありますし、
関わった大勢のスタッフと、費やした時間に比して
あまりにも舌足らずになってしまうのではないかと考え、
「ほぼ日刊イトイ新聞」という、
制約のないメディアで、このことについて、
たっぷり話すことで、待っていてくださった皆さんへの
事情説明をさせていただくことにしました。
かなり、つらい時間ではあるはずなのですが、
それぞれの立場から、できるだけ冷静に
自分たちの思いを語り合いました。

長時間の会話をそのまま掲載していますので、
文字量も相当に多いものになりましたが、
いっしょにこの場に居合わせたような気持で、
耳を傾けてくだされば幸いです。

悲しいことですが、事実を事実として受け止めて。


2000年8月22日  糸井重里・記

 
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