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こないだね、斎藤由多加さんと会ったんですよ。
(※編集部註:斎藤由多加氏=ゲームデザイナー。
ドリームキャストより発売のシミュレーションゲーム
「シーマン〜禁断のペット〜」の制作者。「ほぼ日」でも
「もってけドロボー!斎藤由多加の頭のなか」を連載中です)
「シーマン」が順調みたいで。
よかったねって言ってんねんやけど。
ぼくは 「シーマン」の元のアイディア を
世界で初めてみせてもらったひとなんですよ。
「シーマン」の開発当初から、斎藤くんとは
何度か会ってまして、相談にも乗ってきました。
任天堂で出せたらよかったんやけど、結果として
彼がドリームキャストというハードを選んだことは、
よい判断だったと思いますよ。
今回は、 『ファミ通64+』で取材を受けてね。
斎藤くんとぼくが、ふだんどんな話をしてるのかを
取材させてくださいというので、
ま、たわいもない話をしててね。
そのなかで、斎藤くんに以前1冊の本を紹介してもらって
それ、まだ借りたままだよね、って話をしたんです。
『ライト、ついてますか?』っていう本だったんだけど、
まわりのスタッフが何人か、ぼくらの対談を読んだ後に
その本を探して読みました、って言ってきました。
で、ぼくにその本の感想をね、「面白かった」とか、
「まぁ、う〜ん、」とか、さまざま言ってくれたんやけど、
ぼくらとしては、その本が面白いかどうか、とか
そういうことが言いたかったのではなくて、
ある本を読んでいてゲームを作ろうと思ったってこと、
つまり、他のことをしてるときに、
ゲームを作ろうという気持ちになることが
もっともっと大事やと思う、という話をしていたの。
あたりまえのことなんですけどね。
ゲーム以外のことを話しながらゲームを作ってる、
っていうのが、とても大事なんですよ、という話を、
あえて言わなあかんくらい、
まだやっぱり未成熟なんだよね、この業界って。
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あそこのパラメータ設定がよかったね、とか(笑)、
あのスーパーバトルシステムは素晴らしいよね、とか、
そんな話、ぼくらはふだん、まったくしてないわけで。
でもね、たぶん、今、ゲームつくってるひとたちって、
そういう話をふだんからしてると思うんですよ。
そんで、ゲームデザイナーになりたいという子たちも
いつもそういう会話をしてるんじゃないかと思う。
別に64のソフトだけやなしにね、「シーマン」もそう、
ある新しさを持ってるソフトの背景には、
他の話がベースになってることがあるやろうし、
よく「飲み屋で飲んでたときに決まって」なんて言うけど、
その話はいきなりそこで決まったんじゃなくて、
そこでまとまっただけでしょう。
ぼくは飲まへんので、飲み屋には行けないのですけれども。
そういう背景をもったソフトが、
これからもたくさん出てくるかどうか。
作るひとだけやなしに、売るひとも含めて、
この業界として、ね。
ゲームもパターン化して、ジャンルで括られてますからね、
けっこうひととおりのパターンは出尽くしたやろ、と
最近は言われてしまったりもしていますから。
アドベンチャーゲームというジャンルをつくったら、
その技術を使うためのゲームを作ることが重要だったり、
このパターンならアクションゲームにするのがいい、とか、
そうやって枠にはめることが、
ぼくらはすごく上手になってきていて、
そのあたりの手際はいいのやけれども、
その手際よさだけで、ものづくりをしていくところが
なんか限界というか、面白さを削いでるところがあって。
斎藤くんが面白いのは、枠組みがないんで、
だから、すごい不安定でもありますよね。
60点しか取れないかもわかんないし、
けど、「魅力」ってことだけでいうと、
常に80点以上あるようなものを作れるひとやろうし。
ちょっとうらやましいですよね、そういうところはね。
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最近、プロデューサーって何かな?って、
すごい考えるんですよ。
別に、プロデューサーというはっきりした役割はないし、
ひとによってやってることは違うからね。
世の中には、力のあるものとか力のあるひとって、
いっぱいいるわけで、
力があってもそれがマスにつながっていくかどうかは
「運」なんで。
で、その、マスにつながっていくための
サポートをしていくのがプロデューサーだっていう
考え方は出来ますよね。
それはわかりやすいでしょ?見えやすいし。
それに近いことをしてるひとも、いる、と。
で、ぼくの場合やったら、
会社がぼくのプロデューサーだったと思う。
もっとも「会社がプロデューサー」っていう言い方は
あんまりしないから、ぼくなんか
自力で上がってきたみたいに見えてるけど、
そのメディアがあったこと自体が
ぼくにとっては、とても大きかったですね。
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ぼく自身、力はあると思うの。
なにか知らんけど、なんかの力は。
そやけど、実際は、こんなにたくさん
注目をしてもらうほどの力ではないと思うのね。
そういう力を持ったひとは、よそにもっといると思うし。
ぼくは、まぁ、いろいろ贅沢なことをね、
「世の中で目立ってやりたい」みたいなことを考えて
ずっとやってきたんだけども、
結局は「ゲームをつくる」ってことで、
やっと自分らしい部分が引き出されて、
それは、自分がそれだけ勉強してきたからとか、
自分で積み上げてきたんだとか、
いちお形のうえでは言ってるけども、
実はそうじゃなくて、
もうちょっと潜在的な、何か他の能力が
現場で引き出されてきたような気がする。
だから、計画通りに来てないからこそ、
結果としてうまくいってる、みたいな感じが、
自分ではあるんです。
意外な、うん、意外な力というのかなぁ。
そういう意外な力が出せる環境にいたということが、
ぼくにとってすごいラッキーやったと思うんですね。
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今、こんだけゲームを作るひとがいっぱいいてて、
いろんなところで作れるようになってくると、
昔は、そのひとに力があったら
そのまま出てこれるくらいの狭い「村」やったけども、
今はちょっと大きい「村」になったんでね、
力があっても埋もれてるままのひとも出てくるし。
実際、うちのスタッフのなかにも、
すごい力があるひとはいっぱいいてるんやけども、
会社がプロデューサーっていう役割を、
必ずしもちゃんと果たせなくなってきている。
そんなときに、自分の役割としては、
会社単位じゃなくて「村」全体のなかで見て、
ものになりそうなひとにチャンスを与える
という仕事があってもいいんじゃないか、
と考えはじめているんです。
今までは、会社のなかでプロデュースされている自分が、
作者として持ってる力を表現していく、
というかたちやったけれども、
ぼくが今やってる仕事というのは、
その部分を、ある程度はひとに委ねているわけで、
実際には若いスタッフたちに作ってもらってるのでね、
その考え方でいけば、この先は
自分が若いスタッフを紹介するだけの役、という
さらに一歩ひいた立場があると思う。
それを純粋に「プロデューサー」って言うんかなぁ、
と、最近やっとね、物理的に、こう見えてきたね。
昔は、なんかほら、会社からお金をもらってくるとか、
何かを決裁していくとかいうことをやっていたような。
そうじゃないものがあると、思えるようになってきた。
一緒にやってるスタッフとの関係のなかで、
自分の立場が、ちょっとずつ変わってきているよね。
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まぁ、もっともね。
今はまだ、うるさいアニキみたいな存在でね。
んで、最後にひと筆入れに来るから、
みんなが「目だけは入れんでおいとけ」みたいな(笑)。
そんなことでずっとやってきたけども、
それをやってる限りは、「宮本屋」みたいなものから
大きくならへんわけで。
64ソフトの開発の時代に入って、
その意識をくつがえしていかなあかんなと思ったときに、
ひととね、一緒に作るだけじゃなくて、
そのひとを紹介するだけの役割でもいいんだということを
もっとはっきりしていかへんとあかんな、って
思うわけです。
ほら、例えば糸井さんと仕事をしたときなんていうのは、
技術的にみて可能かどうかを判断する、みたいな、
いわば、後見人みたいな役割だったでしょ。
そうじゃないプロデューサーの仕事というものが、
物理的に見えてきたところですね。
当面は社内から。
理想的には、会社の外のひとともね。
時間や手間がかかる仕事ではないだけにね。
時間が必要なくらいやってしまうとだめだと
思ってるんで。
まず社内からちゃんとしていこうかな、と思ってます。
ちょっと、きれいごとですけどね。
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