生死については、考えてもしょうがないです。 生死については、考えてもしょうがないです。
「老い」と「死」をテーマに、
集中的にコンテンツをつくっていきます。

ひさびさにほぼ日が取り組む本格的な特集です。
簡単ではないテーマですが、
食らいついていくのでおつき合いください。



さて、そのはじまりに
これほどふさわしい人もいないでしょう。
解剖学者の養老孟司さんです。
鎌倉にある養老さんのご自宅を尋ねるとき、
糸井重里はちょっとたのしそうにこう言いました。
「養老さんはそんなに簡単に
死を語ってくれないんじゃないかなぁ」



果たして、そのとおりだったのです。
しかし、だからこそ、おもしろかったのです。
最終的に、養老孟司さんはこう言います。
「生死については、考えてもしょうがないです」
ええええ、そうなんですか。
そんなふうにはじまる「老いと死の特集」は、
いったい‥‥どうなるんだろう?
【第2回】自分の老いより心配なこと。
糸井
養老さんが「老い」を意識し始めたのって、
何歳ぐらいの頃でした? 
養老
60、70歳を超えたぐらいかな。
糸井
その頃までは「老い」を意識することは
なかったんですか。
養老
ええ、自分に起こる変化は、
当たり前のことだと思っていました。
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糸井
ああ、「当たり前」。
養老
60歳を過ぎてから、趣味の虫取りを再開して、
ベトナムの山奥をずんずんと歩いていたんです。
そのとき、着いてきた人たちが
「この人、年を取っても衰えないで、
元気いっぱい網を振ってるよ」
とか言って、からかってきて(笑)。
僕自身は、自分が年を取っている自覚が
ぜんぜんなかったから
「そうか、おれ、年寄りだと思われてるんだ!」
って、そこで気づきました。
糸井
そこではじめて(笑)。
自分で自分の老いを意識するのではなく、
他人から年寄りだと思われてる、
と発見したのがはじまりだったんですね。
養老
僕があまり老いを感じてこなかった原因として、
「その場で一番年下」の立場にいた期間が
長かったということもあります。
だから、60を過ぎたぐらいのときに、
大学の会議に出て
「あ、今はこの場で自分が一番年上なんだな」
と、初めて実感しました。
その経験がなかったら、
自分が年を取ったことに気づかなかったかも
しれないです。
昆虫採集仲間と虫取りに行くときなんかは、
やることも言うことも、子どもと同じですからね。
一緒になって騒いでるわけで。
糸井
言われてみれば、
自分が一番自然な状態なのは、
子どもっぽいことをやってるときですね。
年寄りといわれる年齢になってからも、
そういう「子どもっぽい気分」というものが
消えないのが、
僕はおもしろいなと思っているんです。
養老
そうですね。
「三つ子の魂百まで」って、
そのことを言ってるのかもしれないですね。
つまり、老いていくにつれて
変化していくのは当たり前だけど
「変わらないところもあるよ」ということを
指したことわざだと思うんです。
糸井
年を取ってからも残っている「子どもの気分」は、
ご自身で発見したんですか。
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養老
もちろんです。
虫を取りに行って、
その季節にいるはずの虫が見つからないと、
子どもがしょんぼりするのと全く同じ気分で、
本当にがっかりしますから(笑)。
糸井
それだけ頻繁に自然と触れ合っていると、
虫や自然に起こっている変化は、
よく感じるんでしょうか。
養老
感じますね。
いまは、私が子どもだった頃に比べると、
桁違いに虫が減ってしまいました。
特に、昨年は暑かったから、
虫がぜんぜんいなくて。
この部屋からも、
昔は虫が飛んでいるのが見えたんですが、
最近はほとんどいません。
糸井
それは、養老さんにとっては、
ご自身の老いよりも心配なことかもしれませんね。
養老
本当にそうですよ。
1990年から2020年までの30年間で、
世界中で昆虫の8、9割が消えてしまったと
言われていますから、重大な変化です。
身近な話で言うと、例えば、
昔は高速道路を走ると、
虫がぶつかってかなり窓が汚れましたね。
その汚れが少なくなったと感じませんか? 
糸井
そういえば、
最近はいつも窓がきれいですね。
養老
でしょう。
虫が減っていることには、
気候以外にもいろいろな要因がありそうで、
僕は、相当深刻な問題だと感じています。
少子化なども、
この現象と並行していると思うんですよ。
つまり、生き物が増えなくなっている。
増えにくい環境を
つくってしまっているのではないかと。
糸井
ああ。
生き物が増えない環境のまま、
時間がどんどん過ぎていっているわけですね。
昔、吉本隆明さんが、道端のイネ科の植物の実が
スカスカになっていたのを見つけて
「これはどうしたんだろう、なにかあるぞ」
と思っていたら、
やはりその年は凶作だったということが
あったそうです。
養老さんや吉本さんのように
物事を観察している人は、
大きな変化が起こる前に、
すでに兆しを感じているんでしょうね。
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養老
吉本さんと並べていただくのは恐れ多いですけれど、
なにか観察し続けている人だけが気づく
前兆というものは、たしかにあるかもしれません。
虫の変化を見ているだけでも、
相当な危機が迫っていることがわかります。
虫がここまで減ると、次に鳥が減りますから。
糸井
はぁ、そうか。
鳥は虫を食べているんですもんね。
そして鳥が減るということは、
鳥に依存しているさまざまな生態系が‥‥
養老
崩れてしまいます。
糸井
それは、ちょっと恐ろしいですね。
養老
虫が減ると植物が実らなくなって、
山で食べられるものが少なくなります。
「山が乏しくなる」というか。
糸井
クマなどの野生動物が、
餌がなくて町なかに出てきてしまう問題も、
たぶんつながっているんですね。
養老
そう、山が乏しくなるからですね。
クマやシカが町に降りてきてしまうことを防ぐには、
実現できるかはわからないですが、
犬の飼い方を変えるのが有効だと思います。
糸井
というと。
養老
現在の日本ではおそらく不可能ですが、
家で繋いでしまわずに、
犬がごはんを食べられる場所だけは確保しておいて
放し飼いにするという飼い方が、
ひとつの方法です。
そのためには、地域の住民みんなで
「あの犬は放しておこう」と合意ができたら
いいんですが、なかなか難しいですね。
糸井
昔はよく見ましたね。
地域の住民たちのつながりが弱くなったから、
難しいんでしょうか。
養老
そうです。
共同体が消えたということですね。
ブータンなどでは、
国中どこでも犬を放し飼いにしている光景が
見られますが。
糸井
そうでした、そうでした。
僕も以前ブータンに行ったんですが、
ホテルの中でも犬が放されていました。
養老
交差点の真ん中でも犬が寝ていたでしょう。
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糸井
そうでした(笑)。
養老
ブータンでは、車を運転する人は、
犬や人をひかないように運転することが
当然の前提なんですよ。
だから、当たり前に犬を放せる。
糸井
日本では「轢かないように、犬を優先する」
という前提が共有されていないということですね。
そうなると、
日本で犬を放し飼いにするというのは、
かなりの「高等技術」なのかもしれません。
養老
そうなってしまいましたね。
残念なことに、
人間が当たり前のことをしないから、
結果的に、自然との付き合いが
どんどん難しくなりました。
しかも、動物だけでなく、植物も変化しています。
ほとんどの植物が
外来種に置き換わってきているんですよ。
糸井
早いものですねぇ、環境が変わるのって。
やっぱり、人間もそれに合わせて
変化するんでしょうか。
養老
ある意味、もう変化していると思います。
例えば、日本の食料自給率は、
2000年度以降ほぼ40%で低迷していますね。
ということは、日本に暮らす私たちの体の
60%は外国のものでできているんですよ。
物質的なことだけで考えれば、
60%は外国人だとも言えるかもしれません。
糸井
そうか‥‥。
同じタヌキでも、日本にいるタヌキと、
世界のほかの場所にいるタヌキは違うのと
同じように、
「食べているものが生きものをつくっている」
と考えると、
ほとんど外国産のものを食べている日本人も、
国産のものを食べていた頃の日本人からは
変化していると言えそうですね。
(つづきます)
2024-05-09-THU
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