篠崎 | 調律って深いなって、 この仕事を通して感じました。 実は、矢野さん、この5、6年のあいだに コバヤシさんとおっしゃる重要な調律師を、 癌で失ってしまったんです。 吉野さんが倒れた時には、 そのコバヤシさんが元気に 調律してくださってたのに、 吉野さんがリハビリしてるあいだに、 コバヤシさんのほうが亡くなられた。 矢野さんにとってはもう本当に、 ふたりの信頼できる人が、 1人は倒れ、1人は逝ってしまったという 状況だったんです。 吉野さんもコバヤシさんと コンビで仕事をする機会が多かったので、 コバヤシさんが亡くなられたことを、 私、吉野さんにしばらく告げられなくて。 でも、このレコーディングのスタートに セッティングを、となった時に、 「実は亡くなったんです」ってお話ししました。 吉野さん、とてもショックを受けられたけれども すぐに、こうおっしゃったんですね。 「コバヤシさんは、非常に全部の音程が ピッタリ合う美しさを持っていたけれど こんどは──」 私、それ聞いた時に、 「ピッタリ合わせるのが調律じゃないの?」 って思っちゃったんです。 |
ほぼ日 | そうですよねぇ‥‥? |
篠崎 | それで、わからなくなって、 「え‥‥どういう調律師がいいですか」と尋ねたら、 「微妙にずれて、グラデーションというか、 倍音が増える、華やかさを持てる、 微妙な崩れがあるものができる人」 とおっしゃったんです。 |
ほぼ日 | えーっ‥‥? |
篠崎 | 私も「えー?」と思ったんだけど、 実はこのところ、矢野さんが たまにお願いしてる方で 小沼(おぬま)則仁さんとおっしゃる方がいらして、 上原ひろみさんがデビューからずっと 信頼を寄せているかたで。 その方はヤマハで昔からやられてる、 もう重鎮でしょう? |
ヤマハさん | そうです。 |
篠崎 | その方しか考えつかなかったんですけれど、 けっこう怖いおじさんで、その人に 「微妙にピッチずらした調律お願いします」 なんて言ったら 「バカヤロー!」とか 怒鳴られそうだなと思いつつ、 もう言うっきゃないと思って、 いままで小林さんにお願いしていたことや、 亡くなられてしまったこと、 吉野さんが今回はこういう調律をしてほしいと 望んでおられることなどを話したんです。 「私、言い方がわからないんですけども、 “ピッチをずらした調律”というのを お願いしたいんです」って。 そしたら、もうバーッと全部を理解されて。 「そういう調律なら俺以外ないな」 みたいな感じで(笑)。 |
ほぼ日 | えぇー!! 通じた、通じた。 |
篠崎 | うん、すごい通じちゃって、 私、自分の無知をさらすようですが、 またもや「あ、そういう世界?」と思いつつ、 お任せすることにしたんですね。 レコーディング中は、 本当に朝から晩までずーっと 4日間ベッタリいていただくことにして。 |
ほぼ日 | ずっといなきゃいけないものなんですね。 |
篠崎 | そうです。 |
ほぼ日 | つまり曲のたびに 調律をしてもらうんですね。 |
篠崎 | そうです。もうずっと、 調律師はずーっといるんです、共に。 それでスタートし始めたんですけども‥‥ 結局どういうことが起きたかというと、 1日目の途中、小沼さんが私に 「これは、調律、全部を、 俺はしないほうがいいな」。 「どういう意味ですか」 「矢野さんが調律しちゃうんだよ、 ピアノ弾きながら」 っておっしゃるんです。 |
ほぼ日 | いったいどういうことなんですか。 |
篠崎 | 鳴らない音を、 鳴らせてしまうっていうのかな。 ピアノを弾きながら、 ピアノを手なずけて、 矢野さんの音を最大限に話せるようなピアノに 調教しちゃうんだっておっしゃるんです。 |
ほぼ日 | うわぁ?! |
篠崎 | ですから、「完璧にずらした」という 調律をしてしまうと、 矢野さんが弾くことで、変化していくため、 ちょうど到達点にならないんだそうです。 「手前でやめとかなきゃいけないって わかったんだよ」って。 「手前でやめておけば、 矢野さんがあとはやってくれるんで ちょうどいいものができるんだ」って。 って急に私に言ったって‥‥ 私は私で「わかんない!」って感じで(笑)。 |
ほぼ日 | ははぁ‥‥。 |
篠崎 | もう、わからない人だらけでしょう?(笑) 小沼さんがおっしゃるには、こうなんです。 曲によってすごく響かせちゃうような曲と、 すごくストイックに鳴らせたい曲があるとしますよね。 その曲によっての音(おん)の違いがある。 矢野さんが、華やかな曲を弾いていると、 どんどんピアノが華やかな音を出すようになる。 けれどもストイックに鳴らせたい曲がその次になると、 最初は、うまくそれを調整できない。 でも、そのストイックにさせたい曲を 矢野さんがずっとやってくと、 だんだんまたピアノが少しずつ、 変化していくんですって。 |
ほぼ日 | え〜〜〜! |
篠崎 | 初日から始めて、 どんどん調教していって、 2日目、3日目ともなると どんどん一致してきて、 矢野さんの表現に、 ピアノが呼応できるように なっていくんだそうです。 ‥‥もうねえ、うまく言えないんですよ。 私、この感じはもうね、 とてもじゃないけどわからない。 |
ほぼ日 | 僕らが聞いてもわからないんですが、 わからないなりに、 すごいっていうのはわかりました。 |
篠崎 | 面白かったですよ。だから、小沼さんは 最初に「手前でやめておく」という調律をなさって、 あとはずっと見守っててくださって。 ピアノとの矢野さんの呼応のしかたを見て、 こういうことができる人は 本当にいないって、おっしゃってました。 |
ほぼ日 | コンサートの途中で、 歌われる前にしゃべりながら バラバラッと弾かれるのも、 ちょっとした調律だったり するのかもしれないですね。 |
篠崎 | そうかもしれないですね。 なんかあの調教は‥‥(笑)。 あっ、まちがえた、 調教じゃなくて調律は すごいものがありました。 深ーい世界が。 |
ほぼ日 | はあ‥‥恐ろしい。 吉野さんのお仕事は現場と、 あとお持ち帰りになって──。 |
篠崎 | ミックスをしてくださいました。 それがこのCD『音楽堂』です。 |
ほぼ日 | 吉野さんを待って、10年かかったアルバムが 完成したんですね。 トレーラーのなかで、 吉野さんを見送る姿、とてもよかった。 |
篠崎 | 全身で見送っていて。 |
ヤマハさん | 矢野さんが、吉野さんがOK出すまでの あのソワソワ感とか──。 |
ほぼ日 | 吉野さんのOKで ほんとうに喜ぶんですよね。 篠崎さんはそんな光景を そばで見てきたんですね。 |
篠崎 | もう本当に、いろんなすごい人たちを見ました。 こんな、普通の人間の ビックリおったまげた様子を お話しするしかなかったけれど、 大丈夫ですか? |
ほぼ日 | 楽しく聞かせていただきました。 このお話、矢野さんに聞いても 出てこないと思いますよ。 |
篠崎 | そう、矢野さんにとっては 普通の話だと思います。 「どこが不思議?」って言われちゃいそう。 |
ほぼ日 | ありがとうございました! |
矢野さんと吉野さんの『音楽堂』は、 この4月から5月にかけては ‥‥おっと! もうひとつ! |
2010-02-10-WED